見出し画像

インタビュー:アルフレッド・ダンカン

アルフレッド・ダンカンが Radio TV Serie A con RDS のインタビューに応じていたので紹介。

元記事はこちら

🎤イタリア市民権について

『イタリアの市民権を得たから、自分のことをアルフレッドと呼んでいる。電話が鳴って、申請が通ったという連絡を大臣からもらった時は友人と家にいたんだけど、本当に嬉しかった。もっと前に申請する可能性もあったけど、イタリア国民であるということの意味を理解していなかった。』

『子供たちの助けになればと思ってしたことだ。とても大切なことだったし、ピッチの内外で自分がイタリアで歩んできた道が如何に重要なものだったかを気付かされた。誰もがこの機会を得られるわけではない。神のおかげでこの幸運に恵まれ、17年を経て凄く幸せだ。』

🎤ガーナとの違い

『15歳でイタリアに来て、落ち着くのは早かった。幸運にも、ペーシャで私を受け入れてくれて、しっかりと素早く育ててくれた家族の存在があったからだ。ガーナとイタリアの文化は違う。彼らはしっかりと教育をしてくれて、たくさん助けてくれた。メンタリティが変わって、イタリアで良い気分で過ごせた。』

『15歳で家を出て、家族や4人の年上の姉と離れ、言葉も知らない違う国に行くことは簡単なことではなかった。彼らのおかげで快適に過ごせているし、今の私になることができた。』

🎤アクラ(ガーナの首都)で過ごした幼少期

『私をとても成長させてくれた。賢く、少し利口でなければ生きていけなかった。変わった家庭の出身で、家族はとても静かだった。男の子にとってフットボールというのは最も簡単に遊べるゲームで、幼馴染と一緒にプレーしたし、4対4の試合に賭けをする人もいた。』

『最終スコアに賭ける人もいれば、誰がたくさんゴールを決めるかに賭ける人もいた。私たちに儲けはないよ、賭けをしていた人たちだけだ。楽しめれば良かったけど真剣な人もいた。VARなんか無いし、ファールや特定の判定について口論になって、時には揉め事で終わることもあった。』

🎤若手へのアドバイス

『教育が第一で、それは両親を通じて身に付くもの。社会に出れば付いてくるもので、人々はそれを以ってあなたがどこから来たかを理解する。まずは教育、そして学校だ。行く先々で馴染むことを助けてくれる。それが基礎だ。』

『無知というのは病気のようなもので、教育と学校、この2つは子供やこの仕事をする人たちが身に付けなければならないもの。加えて、常にやりたいことをやること。』

『子供のころに目標を立てたとしても、それが達成できるものである必要はない。私は自分がイタリアに移住するなんて考えていなかった。学校に行って、やりたいことをやることしか考えていなかったのに、思いがけないことにイタリアに渡って今に至る。好きなことをするには、前を向いている必要がある。』

🎤イタリア移住が決まった瞬間

『移住先の家族が受け入れてくれるかどうか、これまでと違う扱いをしてくれるかどうか、それが気になっていた。彼らのことでたくさんのことを理解できたし、彼らとは凄く仲が良いんだ。2人の弟はヴェネツィアまで会いに来てくれるし、彼らとは強い絆で結ばれている。』

『私がイタリアに来た時、1人は3歳、もう1人は3ヶ月だった。今では19歳、もう1人が17歳になる。これもまた美しい。イタリアに来た頃のことを思い返すと、決して楽ではなかった数年間を思い出して感傷的になってしまう。学校にジャンルーカという友達が居て、イタリア語を話せない時期だったから学校でたくさん助けてもらった。』

🎤有名になって何か変わったか

『両親の教えが物事を簡単にしてくれた。子供の頃、母は自分らしくいること、変わらないこと、アルフレッドらしくない習慣を身につけないことを教えてくれた。変わらないように努めたし、友人たちも同じだった。』

『名声というものは管理されなければならないが、友人たちはいつもそばに居て、例え醜い事実を告げなければならない時でさえも助言を与えてくれた。常に面と向かって何でも話してくれるし、それが私を大きく成長させてくれた。彼らが身近に居てくれることを誇りに思う。』

🎤フィレンツェの街中でトレーニング

『パンデミックの直後、フィレンツェではダゼーリョ広場の公園前にある家に住んでいた。庭がなくて、息子と一緒にガレージに行っていたんだけど、公園なら人が多く居ても自然を楽しめると思った。そこで軽い運動を楽しんだよ。』

『5人制のサッカーをプレーしている子供たちがいて、よく2回くらいパスをしてランニングに戻っていた。フィレンツェは好きだし、妻も気に入っている。子供たちも楽しんでいるし、ペーシャからも近いから便利だしね。』

🎤ヴェネツィアとの関係

『まだそれを見出そうとしているところだ。今はマルコンに住んでいてね。残念ながら妻と子供たちは学校のため、息子はフィオレンティーナのユースでプレーするためにフィレンツェに残ったから1人なんだ。犬のように寂しくね(笑)。だから、マルコンに住むことにした。でも、友達が訪ねてきたときでも、行ける時はヴェネツィアに行っているよ。』

🎤ヴェネツィアで好んでいる役割と経験

『自分をオールラウンドなタイプだと考えている。監督がどこでのプレーを好むかによるけど、中盤ならどこでもプレーできるよ。ディ・フランチェスコ監督とは長い付き合いだし、彼とはうまくやっている。サッスオーロでヨーロッパリーグに出場した時など、何年も一緒に仕事をしてきた。』

『重要な道のりを進んでいるし、最初は結果が出なかったけど徐々に回復してきた。試合へのアイディアはあって、皆んなよくやっているし、必要なのは結果だ。パルマ戦では違う結果を望んでいたけど、敗れるというペナルティは課せられたけど、特に前半は良いプレーができていた。』

『ポジティブであり続けて、リーグ戦の再開を待ち、できる限り強くリスタートしなければならない。レッチェは更にハングリーになってくるだろうし、正しく準備して再開しなければならない。』

🎤人種差別との闘い

『私は、「子供たちに何を考えるかではなく、どう考えるかを教える」という言葉がとても好きだ。教育が何より大切で、家庭ですることが子供たちが学ぶことになるんだ。常に子供には道理を理解させ、物事にどう対処すべきかを理解させようとしている。』

『そして、その選択は子供たち次第なんだ。監督がアイディアを授けても、ピッチに出たら自分で選択するようにね。子供たちには、何を選ぶかを教えることはできない。彼らは教育を受けなければならない。教育こそが第一だからだ。』



にほんブログ村のランキングに参加しています。

ヴェネツィアFCファンを増やすべく、下記のリンクをクリックしていただけたら嬉しいです!

いいなと思ったら応援しよう!