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【BAL】チームを救った「四度目の挑戦」 ~Albert Suárez~

※ヘッダー画像は https://x.com/Orioles/status/1817292713718436095より。
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◼︎2860日

MLBという組織は、ありとあらゆる記録が保管されていることで知られている。どれだけその記録が傑出しているかを示すものもあれば、滅多に起こらないような珍記録に類するものもどこからともなく掘りおこされる。

例えば稀代の「Two-Way Player」大谷翔平(LAD)の場合、彼が打ち、投げて、走るたびにさまざまな過去の記録やデータが毎日のように掘りおこされ続けている。
あるいはNYYの大砲アーロン•ジャッジ(NYY)の場合、本塁打数や傑出度が、かつてのステロイド使用者たちの記録に並び、超えるのではないかと騒がれている。

またダニー•ジャンセン(BOS)は2024年8月24日のTOR戦で、MLB史上初の「同じ試合に両チームの選手として出場した選手」となった。
該当試合はサスペンデッドとなった試合であり、本来の試合実施日と再開試合の間の期間で、BOS-TOR間でのトレードが行われたゆえに発生した記録だった。
これはMLBのシステムが生み出した記録ともいえる。


2024年4月22日のBAL-LAA戦、エンゼルスタジアムで新たな記録が打ち立てられた。
それは先の大谷翔平やジャッジが生み出したような傑出した記録というわけではない。ジャンセンのようなMLBのシステムの巧妙さから生まれた記録でもない。
しかし、その記録はとても象徴的で、達成者はいまなおチームを救いつづけている

https://full-count.jp/2024/04/25/post1546937/

男の名はAlbert Suárezアルバート•スアレス
達成された記録は、
1893年以降初めて5年以上のブランクがあり、復帰後2度の登板でそれぞれ5.0IP以上を投げて無失点だった投手』
というもの。

ベネズエラ出身で、MLBからNPB、KBOを経由し、MLBに返り咲いた旅人の2860日ぶりとなるMLBでの勝利は、かつて傘下に所属したLAAを相手に達成された。


◼︎旅路

アルバート•スアレスを脳裏に思い浮べたとき、彼が着ているユニフォームが現所属のオリオールズのものである日本の野球ファンは多くはないだろう。なぜなら彼は国単位でのジャーニーマンだからだ。

スアレスのプロ野球人生はデビルレイズ時代のTBから始まった。
その後LAA傘下を経由してSFに入団。MLB初登板と初勝利を挙げたのち、DFAされて再度SFとマイナー契約を結び、2017年のルール5ドラフトにてARIに移籍。翌年の開幕前にARIでDFAされマイナー再契約となった。

2018年12月、スアレスは太平洋を渡り日本:NPBの東京ヤクルトスワローズと契約した。
20年ぶりに制覇した2021年の日本シリーズでの彼の投球を覚えている人も多いだろう。

ヤクルトスワローズ時代のアルバート•スアレス
https://hochi.news/articles/20210714-OHT1T51232.html?page=1

その後2021年オフに再度海を渡り、韓国:KBOリーグの門戸を叩いた。
所属したサムスン・ライオンズでは2022年に30登板, チーム最多の173.2IPを投げるなどの活躍をした。しかし、翌年ふくらはぎの怪我を起因として退団となった。

サムスン•ライオンズ時代のアルバート•スアレス
https://www.yna.co.kr/view/AKR20230810075900007

そして男は再びMLBへ挑戦する。
2023年12月にボルティモア•オリオールズとマイナー契約を結んだ。
スプリングトレーニングでは招待選手として背番号92を背負い、10歳以上歳の離れた若き有望株たちと共に昇格のアピールをおこなった。

STでのアピールが実ったのか、シーズン開幕直後の4月17日MIN戦にてMLB昇格&初登板、そして前述のLAA戦では6回途中無失点で勝利投手となった。

怪我人が続出しているチーム状況に応じて、先発とブルペンの役割を行き来するいわゆる便利屋のような起用となっても、彼は涼しい顔をして役割をこなし続けている。
NPB、KBOの2球団で変化球の扱い方を覚えたと語る白髪混じりの髭を蓄えた34歳の大きな背中をみて、ファンはBig Alビッグ•アルという愛称で呼ぶことで彼を称賛した。

初めてプロ契約を結んだときから17年、長い旅路の中で幾度となく現れた分岐点で、決断を余儀なくされた。
年齢的にも最後となるかもしれない四度目のプロ野球リーグ挑戦という決断は、結果としてBig Alをチームの救世主たらしめる決断となった。


◼︎兄と弟

アルバート•スアレスには弟がいる。
弟の名はロベルト•スアレス。サンディエゴ•パドレスの絶対的クローザーだ。

左:阪神タイガース、右:サンディエゴ•パドレス
https://thedigestweb.com/baseball/detail/id=61959

二人の野球人生はじつに対照的なものだ。

16歳でMLB傘下と契約を結んだアルバートに対して、弟ロベルトは10代のうちにMLB球団とは契約することができずに、20歳で一旦野球を辞めた。
その後母国ベネズエラで建築現場の作業員やタクシーの運転手として働いていたものの、夢を諦められず22歳で野球を再開し、2014年に23歳でメキシコに渡りプロ入りを目指した。

兄が米国でマイナーリーグを転々としている頃、ロベルトはひと足先に日本に渡り、福岡ソフトバンクホークスに入団した。
同じくのちに日本に渡り、ヤクルトスワローズでスウィングマンとして活躍していたアルバートとは対照的に、ロベルトはセットアッパーとしては活躍したものの、先発転向がうまくいかず2019年オフに戦力外通告を受ける。

しかし翌年阪神タイガースに入団後、持ち前の豪速球を武器にクローザーとして開花。絶対的守護神として2年間、甲子園球場の9イニング目を守り続けた。

スワローズ、タイガースでそれぞれ活躍し、ときに顔合わせの登板となることもあった。

しかしその後、兄弟はまたも別方向の道を選ぶ。
兄アルバートが韓国のKBOリーグに移籍した2021年12月に、ロベルトは日本での実績と100mph超えの4FBを武器にして、MLBのサンディエゴ•パドレスに入団した。

かつて兄にあって自身にはなかったMLB契約を10数年越しに手に入れることができたロベルトは、セットアッパーとして一年を通して活躍したのち、5年4600万ドルというブルペン投手としては高額な契約を手中に収めた。


そして時は流れ2024年の夏、二人は再び顔を合わせた。

現地日付2024年07月27日のSD-BAL戦@OPaCYにて、兄アルバートと弟ロベルトによるメンバー表の交換が行われた。
MLBから契約を得られずかつて夢を諦めた弟と、移籍を繰り返し海を渡り続けたジャーニーマンの兄。

30数年を経てようやくMLBの同じグラウンドに立てた瞬間は、どのような気持ちだったのだろうか。
対照的だった野球人生がようやく晴れ舞台で交わった瞬間は、どのような気持ちだったのだろうか。


◼︎Dear Mr.Season' Savior

MLBはオフになるとトレードやFA移籍、ルール5ドラフトやInFAの季節に入る。実績十分な選手や若き才能の原石を求め、チームや編成部、そしてファンの心は動き続ける。

2023年オフの時点のオリオールズにとって、34歳のアルバート•スアレスは弟ロベルトのような実績十分な選手でもなければ、かつての16歳のアルバートのような若き才能の原石のどちらでもなかっただろうと、今では思う。

それでも彼はMLB昇格の資格を得て、結果を残した。
度重なる故障者を抱え、先発ローテーションやブルペンが崩壊しかけたチームを救い、8/31時点で109IPをスウィングマンとして消化した。

C.バーンズをはじめとした新入団選手、J.ホリデイをはじめとした新昇格選手のうちの誰よりも期待値が低かったであろうNPBとKBOを経験した男は、いまやチームに欠かせない存在になっている。
海を幾度となく渡り、異国の地で挑戦、決断し続けた経験とそこで得た技量、そしてそのたびに生まれた覚悟が彼をそうたらしめているように思える。

あのとき日本に渡る決断をしなければ、韓国に渡らなければ、そしてMLBに再挑戦しなかったら…。
多くの挑戦と決断を経て、彼は今、オリオールズのマウンドに立っている。

今なお挑戦、決断し続けている身にこのような言葉を投げかけるのは不躾かもしれない。
だがあえて今、これまでの彼の活躍と挑戦、決断に敬意を表してこの言葉を彼に送りたい。

¡Admiro tu valentía!

参考文献