note#2 Baumkuchenの苦悩
「禍福は糾える縄の如し」
「良いこともあれば悪いこともあって、基本その繰り返しっすね。」
怪人として生きることはバッドなことの方が多いように思うが、これもやはりグッドとバッドが糾えっている。
人と異なるが故の怪人だが、
謎の怪人かくたるべし!という人間側の決めつけ、
怪人=悪という正義のヒーローによる弾圧、
逆にルッキズムからの解放や高い匿名性で得る自由な振る舞いもある。
しかし、縄と呼ぶにはグッドとバッドの長さは均一ではないように感じる。
グッドタイムはあっという間だ。
それなのにバッドタイムは永遠のように長い。
「先輩っ!この縄、長さが不均一ですよ!」
思わず後輩化してしまうほどのビックリ仕様、
temuで買ったのか?と疑うレベルの仕上がりに目をパチクリされてしまう。
(そちらからは見えていないかもしれないが)
バッドタイムは長い。
舌出し系のオジも言っていた。
とにかく長い。
それでもグッドタイムの強烈さが忘れられず、
思わず今のバッドタイムをグッと耐えてしまう。
先輩には申し訳ないが、
このカンジ、どっちかという層だな。
レイヤー構造になってやがる。
ドンドン中心に向かっていって、
最後に見るど真ん中にあるのがグッドかバッドか、
それを確かめるボーリング作業だ。
俺もシモン、穴掘りシモンだ。
「墓穴掘っても掘り抜けて、突き抜けたなら俺の勝ち」
これは大怪人(おとな)として知っておかなければならない必修科目の一つ、『グレンラガン 』からの引用だが、
この心持ちは大切だ。
途中でボーリング作業をやめてはならない。
グッドとバッドのレイヤーはバッドの方が分厚い層になっているが、きっとグッドが来る。
そこに定住することも一つの回答だ。
余計なバッドを知らずに済む。
しかし、その先に何があるのか知らないままだし、
掘り進めるマインドがなくしてしまうと、
その層が毒で汚染された際に次のレイヤーへ掘り進めるための術を忘れてしまう。
(そして、その術は刻一刻と形を変え、そのときどきの掘り方になっていくものである)
こんなことを考えていると、一曲できてしまった。
大袈裟なこと言いやがって、
要するにバウムクーヘンやないか。
おわり