混沌にシカトを決め込んで、目の前の一枚の付箋にだけ没頭する - 20240527
いつだって仕事なんてしたくねえと思っているが、今日はいつもにもまして仕事したくない思いが強かった。今日だったら世界が滅びても文句を言わなかった。むしろ感謝すらしたかもしれない。で、なんで今日はこんなに仕事したくないのかいちど考えてみるかってことで、ノンストップ・ライティングとかいう十五分間ひたすら自分の頭の中をテキストに吐き出して頭を空っぽにする技法で、思考を書き出してみた。そのノンストップ・ライティングにバグリストっつー技法も織り交ぜるのがおれのやり方んだが、それをやってみると認知負荷が原因だってことがわかった。
仕事したくねえって思ってるのは、いまやってるタスクが手に負えないことになってるのが原因だった。ディレクターから仕様漏れによる追加対を応依頼されて、デザイナーから確認したはずのデザイン変更ぶん投げられて、リリースのスコープがどんどんでかくなっていく。リリースのスコープがでかくなるとテストの負荷がでかくなって、考慮漏れがあるんじゃねーかって不安になってくる。実装しても追加対応が発生して、デザイン変更が発生して、リリースのスコープデカくなって、それでおれの認知は爆発してしまった。もう何も考えられなくなって、その結果として仕事したくねえってことになってるんじゃないか? そういう結論に、おれはノンストップ・ライティングで行き着いた。
おれは認知負荷にすこぶる耐性がない性質で、認知負荷が限界を超えると吐き気がするし、思考が停止するし、イライラするし、無気力になるし、眠たくなるし、発狂したくなる。だから読みにくい資料とか、複雑怪奇なデザインとか、一貫性のないコードとか、そういうものを見ると、立ち止まってしまう。そして自分の認知に負荷がないように整理しながらゆっくり進んでいくことしかできない。
これは仕事だけじゃなくて生活でも同じ。やるべきことが山のようにあって、頭の上にはいつも混沌の雲がぐるぐるまわっている。やるべきことがあるのはわかるが、なにから手を付けていいのか判らない。その混沌はどこにでもついてきて、おれの認知を常に疲弊させている。
認知負荷。それは、どうしようもなくおれを不幸にするものだ。
とはいえ読みにくい資料も、複雑怪奇なデザインも、一貫性のないコードも避けては通れない。仕事はいつも混沌だ。だからおれはつねづねどうすればこの認知負荷を小さくできるか考えて、アイデアを求めていた。そこで GTD やら付箋を使う方法やらを見つけたが、一般化すればすべて同じことを言っていた。混沌に立ち向かうな。混沌は小さくひきちぎって、その引きちぎった小さな混沌の欠片に対応することに集中しろってことだ。デカルトさんの『方法序説』の「困難は分割せえ!」ってやつだ。
おれはまた認知負荷にやられていただけだと言うことに気づくことができたので、いつも通り付箋を取り出して混沌を小さく引きちぎって付箋に叩きつける。今日やるべきことの数だけ付箋がテーブルに貼られる。そのどれもが明確な課題となっている。頭の上には依然として混沌があるが、おれはただ机に貼り付けた付箋の一枚一枚に集中して対応すればいい。頭の上の混沌のことなんて知らねえ。
おれは混沌にシカトを決め込んで、目の前の一枚の付箋にだけ没頭する。