たとえ三日坊主でも、その三日間でなにかひとつでも得るものがあればいいよ 2023/11/28
日々のことをぜんぜん覚えていないので、これから日記を書いていこうと思った。たぶん三日坊主になると思うけど、それでいいと思っている。出家して三日間修行して「やっぱ無理〜」ってなって俗人に戻った坊主も、修行した三日間でなにかひとつくらいは得るものがあったと思うのだ。
日記を書こうと思った理由は他にもあって、最近『雑に作る』という本を読んで藤原麻里菜さんという人を知って(x のタイムラインで見たことはあった)、ゆるい感じがいいな〜って思って、他の著作の『無駄なことを続けるために - ほどほどに暮らせる稼ぎ方』を読んだりして、youtube に動画を投稿しているらしいのを知って、いくつか動画を楽しく観ていたら、『【古賀及子に学ぶ!】おもしろい日記の書き方 | 無駄づくりの学校』という動画があった。
なんとなく面白そうなタイトルだったので観てみたら、古賀及子さんという方がこんなことを言っていった。「あの、日記って、すごいパーソナルで、ユニークなものじゃないですか。その人の個人の体験だから。よくさ、でかいマンションとか、団地とか見て、灯の光ひとつひとつに生活があるんだなって思うとゾッとするっていうかさ、ゾッとすると同時に、心強くもあるような。いっぱい人が同時に生きてるんだな、みたいな、思う時あるじゃないですか。日記って、その一個一個の点の詳細が書いてあるわけですよね。あのマンションの中に藤原さんが一人住んでて、あの光のなかがこれ(藤原さんの日記)って思うと、すごい尊いっていうか」。自分は夕ご飯の買い物の帰りに、河を挟んだ向こうにあるマンションの小さな灯りの並びを見るとなんかノスタルジックになる時がある。だから何だという話だけど、自分の頭の中ではなんかそのときの感覚と動画の話が繋がって、「あ、日記書いてみよ」っていう気持ちになった。
で、日記をいいかんじに書く技術として「感想禁止」というのが挙げられる。「楽しかった」とか「おいしかった」とか「可愛かった」とか書かずに、見たままのことを書くという内容で、これは要するにハードボイルドな文章を書くことを勧めているんだと思う。
けっこう前に読んだ『面白く書こうとしてはいけない。日記は「ハードボイルドの作法」で書く』という記事がずっと頭に残っていて、リンクした。めちゃめちゃ好きな記事。
あと大槻ケンヂが徹子の部屋に出たときの動画を観て、彼みたいな偉そうでもなくへりくだっているわけでもなく相手とちょうど対等みたいなきれいな話し方はどうすればできるんだろうって考えた話とかも書きたかったけど、1000 文字超えたからもういいや。
終わり。
参考?
雑に作る
無駄なことを続けるために
アウトプットを続けることで、自分が生きやすい世界になっていく