考えてるつもりを脱却するために、書きながら考える - 2023/12/16
たぶん子供の頃はできていたはずだけど、「自分の頭で考える」というのがいつの間にかできなくなっていた。
自分の意見はどこかで仕入れた誰かの意見を借りたものだらけで、自分の頭で作り出したものではないものばかり。自分の頭で考える方法を忘れてしまっていた。
そもそも考えるって何だっけ? ってところまで判らなくなってゲシュタルト崩壊し始めていた。
考えるってなんだっけ
考えるというのは、答えを出そうとすることだ。
答えを出そうするという点で「考える」と「悩む」「思う」は明確に違う。自分はこれまで悩んだり思ったりはしていたけど、考えることができていなかったように思う。
でも学生のときは自分の頭で考えられていたと思う。数学の問題を解く時、ああでもない、こうでもないと頭をかきむしりながら紙に計算式やら図を書き散らしていた。
それがいつの間にかできなくなっていた。なんでできなくなったのか。
考えることは、書くこと
数学の問題を解く時、自分は必ず紙にシャーペンで書きながら考えていた。図やグラフや表を書いてみたり、数列を書き出してみたり、樹形図を書いてみたり、筆算を書いてみたり。書くことと考えることはセットだった。
たとえば 1439 * 13903 の掛け算を計算するとき、腕組みをして頭の中だけで計算しようとしてみてもいつまでも答えはでない。でも答えはわからないけどとりあえず紙に計算式を書いて筆算すれば、答えは出る。
大人になって、紙に書きながら問題を解くという時間がなくなってしまっていた。書くことから遠ざかった自分は、だから考えることができなくなっていた。
なぜ書くことで答えに近づけるのか
何かを書くとき、書く自分と、書いたもの読んで評価する自分が存在する。
「こんな感じだろう」ということ書いて、それを見て「なんか違うな」と思ったら消して、また「じゃあこんな感じか?」と反応を返し、それをまた評価する。それは書く自分と、評価する自分の対話になる。
どんな問題もそう。
頭で考えるだけでは答えに近づくことはできない。自分自身と対話することで初めて答えに近づいていくことができる。その自分自身と対話する手段のひとつが「書く」こと。
「書く自分」と「読む自分」の対話の先に答えがある。
参考
寂しい夜にはペンを持て / 古賀史健 p57 考えるとは「答え」を出そうとすること