幸福を捉える脳の機能は腐敗していて、不幸を捉える脳の機能は常に発狂している - 2024/1/31
もう今年の一ヶ月が終わるのというのに、とくになにも人生に進捗がなくて絶望しますね。
フリーランスとして受けている業務委託の仕事の方は、作業的にはそこまでつらくはないのですが、1日8時間を週4日支配されるというのはなかなか人生を無駄にしている感じがあってため息がでます。今のエンジニアとしての仕事は、やらないでいいならやりたくない、そんな温度感です。それでも、いままでやってきた 13 の仕事の中ではいちばん好きな仕事です。好きでも、それがやらされている仕事である以上、つらいものはつらい。
結局は自分の思い通りにできる仕事がいちばん楽しいのだと思います。自分の作りたいものを、自分で考えて、自分で試して、自分で失敗して、自分で分析して、自分で成功して、そういうのがやりたいとずっと思っています。思っているのですが、思っているだけです。実際に自分が作りたいものを思いついても、作るのが面倒で行動に移せません。ずっと同じ場所にいます。ここから一歩でもいいので移動したいのに、移動できれば人生が変わるのがわかっているのに、やりたいことは後回しで youtube で動画をザッピングして、amazon で本を買って読んで、ネットの記事をサーフィンして、一歩も動くことなく、ずっとここで時間を浪費しています。
意味のない消費行動で時間を浪費しているとわかっているのに、仕事のせいで時間がとれないとか、家事のせいで時間がとれないとか、子供のせいで時間がとれないとか、そんな的はずれな言い訳を自分に投げつけています。いつも考えます、仕事がなければ自分のやりたいことができるのに、家事をしなければ自分のやりたいことができるのに、子供の世話をしないでよければ自分のやりたいことができるのに。でもたぶん自分は、仕事がなくなっても、家事をしなくてよくなっても、子供が自立しても、ずっと自分のやりたいことを後回しにし続けるのだと思います。今がそうなのですから、明日もそうで、きっとこれからもそうです。
どうして自分は自分のやりたいことを後回しにしてしまうのでしょう。ひとつ確実なのは、自分はとても面倒くさがりなのです。できれば何も頑張りたくないと思うような人間です。これまでの人生でいちばん幸せだったのは、大学生のころ、一人暮らしをして、大学にも行かずに引きこもって、古本屋で買った小説を読み漁って、アニメを見漁っていたときだと思っています。ただ無心に消費活動をする昼夜逆転の毎日。やる気のない自分にピッタリの堕落生活です。でもその当時は、大学に行っていない罪悪感や、将来の不安や、孤独感もあって、鬱っぽくもありました。なので、あくまでも今思い返してみればあのころの自分は幸せだったな、と思えるということです。ちなみにその引きこもり時代に憧れていた生活というのは、好きな人と結婚して、子供がいて、プログラマでフルリモートで引きこもって仕事する毎日でした。つまりそれは現在の自分の姿です。
だいぶ話が脱線していますが、たぶんいずれ本筋に戻ってくることを期待してこのまま脱線し続けます。いまの自分は過去の自分を羨ましがっていて、過去の自分は未来の自分を羨ましがっている。自分はこういう、ないものねだりをする幼稚な特性があります。現在の幸福に対して無関心なのに、幸福を血眼になって探している。自分のことながらとても正気とは思えません。人生を謳歌する上でいちばん大事ななにかをどこかでなくしてしまったみたいな感覚が常にあります。現在という時間を捉えられないまま朦朧とした意識で生きている感覚。幸福を掬おうとすると透明になる自分の手は、けれど不幸だけは両手いっぱいに抱える事ができるような感覚。幸福を捉える脳の機能は腐敗していて、不幸を捉える脳の機能は常に発狂している。
自分は幸福になりたいと毎日思っています。
そして幸福は自分の熱狂の中にあることも知っています。それはウィトゲンシュタインに書いてあった気がしますが、記憶は定かではありません。熱狂しているときだけ健全でいられる、そのようなことが書いてあった気がします。熱狂。たぶん熱狂は自分がやりたいと思ったことをやることでしか発生しないと思います。つまり幸福になるには自分のやりたいことをやるしかないということになります。とてもあたりまえのことのような気がします。
自分のやりたいことというのは基本的には、興味があって、楽しいものです、それをするだけで幸福になれるなら、むしろなんでやってないんだ? ってかんじです。まあ面倒だからなのですが、とりあえずその面倒を超えないと、自分は健全になれないようなので、明日からは自分のやりたいことをやっていきたいと思います。決めました。
たぶん明日から毎日たのしいです。
日記を書くのもめんどいですが、書くと何かしら気づきがあるので楽しいです。そういうことなのかもしれません。