リビングライフ2月:主の謙遜と奉仕の模範に習う弟子(2/17)
ヨハネの福音書 13:12〜20
🔸今日のみことばの要約
イエスは弟子たちに、主であり師であるご自分が弟子たちの足を洗ったのだから、彼らも互いに足を洗い合わせなさいと言われます。しもべは主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさらないことを理解している人は幸いです。イエスを受け入れることは、イエスを遣わされた方を受け入れることです。
→ イエス様が人に仕える模範を示してくださったのに、私は人から高められることを願っていました。これからは主のしもべとして低い所で人に仕える者となります。信仰を揺るがすような試みの前でも、私を強くしてくださる主にすがり、信仰を守ることができますように。
弟子たちの足を洗われた意味
13:12〜17
🟡イエスは、弟子たちの足を洗うことで、彼らを教えられました。弟子たちの足を洗い終えたイエスは、上着を着て席に着き、ご自分が弟子たちの足を洗った意味を説明されました。当時の会社が階級社会だった子ことを考慮すると、師が弟子の足を洗うことはかなり革命的なことでした。またイエスは、弟子たちが互いに足を洗うように「奉仕の模範」を示されました。
あらかじめ語られた理由
13:18〜20
🔴イエスは、神が選ばれた者がだれであり、彼らがどんな心を持っているか、すべてご存知でした。イエスは、イスカリオテのユダがどんな人物かも知っておられました。イエスはどんなことが起こっても「『私はある』であること」(19節、ギリシア語「エゴ・エイミ」)を信じなさいと言われます。
悲しみと苦しみをともにする愛
だれかのことを心配したり案じたりすることは、人間の本質です。しかし、各自が自分の生きる道を歩まなければならない現実の中で、私たちは無情になってしまいました。そして、ほかの人たちの苦痛に敏感に反応できなくなっています。
一節の黙想
ヨハネの福音書13:14〜15
🔷イエスについて知っているからといって弟子になれるわけではありません。イエスが示してくださった模範に従う者が弟子なのです。いと高き神の御子イエスが最も低いところに下りて来られ、最も聖なる方が最も汚れたものに触れられました。いのちの主が殺され、罪のない方が罪を担われました。この方は、仕えるために世に来られ、それを通して罪人を救われました。イエスが示された模範に従って互いに愛し仕え合うとき、私たちはイエスの真の弟子になることができるのです。