リビングライフ11月:神の精錬と祈りの応答(11/6)
詩篇 66:8〜20
🔸分った事:
1. 神は、わたしのたましいをいのちに保ち、私たちの足を揺るがされないようにする方です。銀を精錬すうるように私たちを錬られ、網引き入れ、豊かな所へ導き出してくださいます。詩篇の作者は、この神に全焼のささげ物を捧げ、祈り
の声に耳を傾けて御恵みを与えてくださった神をほめたたえます。
→ 適用: 私のたましいを生かし、つまずきがないように守ってくっださり感謝します。私に与えられた試みと人生の重荷が私の信仰を錬って、豊かさへと導いてくださる神様の愛であることを知りました。恵みとして与えられた尊いものを、御国のために感謝をもって喜んで捧げます。
66:8〜12
🔴神は、ご自分の民を練られる方です。イスラエルの民がエジプトの地で奴隷として生き続けるのなら、神が彼らを練られる必要はありませんでした。私たちは苦難にあったとき、神の精錬が始まったと考えるべきです。神は世を変えるために、まずご自分の民を変えられます。
66:13~20
🔴神はご自の民を精錬して約束の地に入らせてくださる方です。イスラエルは、約束の地に入って、主の家で肥えたものを全焼のささげ物として捧げました。神捧げることができるということは祝福です。私たちは絶望の中で嘆かず祈るべきです。祈る人は真実な心で祈らなければなりません。神は、流暢に祈る人のことばではなく、心から罪を悔いる祈りを聞いてくださいます。心のきよい人は、祈りを聞き入れてくださる神を賛美するようになります。
Q.苦難の中で、あなたは神の精錬をどのような心構えで受け入れますか。
→主との距離を縮めるためだと受け入れ、そこには理由があると思う。
Q. 祈るとき、あなたは自分の義を主張していますか、心の奥底の罪を告白していますか。
→心の奥底に沈んでいる罪を棚にあげてお祈りすることは私にとって非常に難しいけど、せめて神様の前では素直になろうと考えている。神様の前では本音をばれても全然大丈夫だからって思いながら。
苦難が与える実
苦難は、私たちをイエス様から遠ざけることも、逆に近づけることもできます。スポルジョンが経験したような霊的成長は、大波という苦難に喜んで口づけするときに可能になります。私たちは、痛みや苦しみを経験するとき、本能的にその状態から抜け出そうともがきます。しかし、聖書は、苦しみは私たちと神様の関係を深めてくれるため、試練を喜んで受け入れるべきだと教えています。その辛い時間にだけ経験できる神様との親密な関係があります。その苦難の中でだけ結ばれる実があります。