リビングライフ9月:礼拝のために使え、神の宮を管理する人々(9/23)
ネヘミヤ記:11:10~21
🔸分った事:
1.一つの奉仕だけでなく、様々な奉仕に携われる場合はどうするか?
2.聖なる教会を立ち上げていくために私たちが必要であって、主を喜ばせる
ことは私たちの力である。
→適用: 人それぞれ召しは違っても、罪によって崩れたところを再建し、神の国を
広げていくという目標は同じであると告白します。どこにいても神様のみこころを心に抱き、忠実な働き人として生きることができますように。共同体に喜びを与え、成長させる者となれますように。
11:10~14
🔴祭司の中にもエルサレムに残った人々がいました。「神の宮のつかさ」は、アロンの直系子孫である大祭司を指しています。セラヤの5人の先祖たちは、歴代誌
第一6章の系図の最後の大祭司エホツァダクの最後に生まれた子孫のようです。
11:15~21
🔴レビ人のうち、指導者であるシェマヤと族長であるシャべタイとエホザバデがエルサレムに残ります。レビ人は祭司を助けて神の宮で仕えますが、十分の一やささげ物なども管理していたのでしょう。アサフの子孫は神の宮の音楽を担当しました。
Q.共同体の欠けた部分を補うために、あなたはどんなことで仕えることができますか。
→賛美や、新来者を迎える奉仕をやっています。
Q.どこで何をしても信仰者のアイデンティティを守ることが重要なのはなぜですか。
→主が私たちの名を覚えて呼んでくださり、いのちの書に記されていることほど感動的なことはないんだから。
主が喜ばれる名
聖書に名が記された人たちは、共通点があります。彼らは、主に出会うために主のもとへ出て行った人たちです。主を知りたいt言う情熱があり、主のみこころどおりに行おうと力を尽くした人たちです。皆さんはなぜ、聖日ごとに礼拝の場に招かれるとき、その場に出て行くのでしょうか。ただ単に習慣のように教会に行ったり、経済的な祝福を受けようと思って行ってはいませんか。私たちが礼拝をささげる理由は、ただ一つです。神様にお会いし、その愛と救いの恵みを覚えて賛美するために礼拝の場に向かわなければなりません。神様の目は、ひたむきに心を注いでご自分に向かっている人を捜しておられます。そのような人々が、いのちの書に名が記される恵にあずかるのです。