リビングライフ2月:神の栄光を現した復活のしるし(2/10)

ヨハネの福音書 11:36〜44

🔸今日のみことばの要約
イエスは、墓から石を取りのけるように言われました。ラザロが死んで4日経っているとマルタが言うと、イエスは「信じるなら神の栄光を見る」と言ったことを思い起こさせます。イエスは父に感謝の祈りをささげた後、「ラザロよ、出て来なさい」と呼ばれます。ラザロは布で巻かれたまま墓から出てきます。

→ 今日のお祈り:希望が見えない状況でも信仰を保つことを願っておられる主のみこころを知りました。見送られたように思えるときも、主は変わることなく働いておられることを信じます。信じれば神様の栄光を見ることばから力をいただき、主のみわざに期待させてください。

信じるなら神の栄光を見る
11:36〜40

🟡人間にとって、墓は悲劇と絶望の場所です。いのちの主権者であるイエスは、その墓の石を取りのけるよう命じられます。死に打ち勝つ神の力と栄光を現すためです。マルタは、イエスをキリストであると告白しましたが(27節)、いざとなるとそれを信じることができなくなったので、イエスは「信じるなら神の栄光を見る」(40節)と再度確信を与えてくださいます。信仰の告白は、ことばではなく、真実な心の告白であるべきです。心から信じるなら、神が行われる驚くべきみわざを見ることになります。

イエスの祈りと神の応答
11:41〜44

🔴イエスの祈りと神の応答から、信仰の祈りに対するいくつかの教訓を得ることができます。祈りは時に大きな声で叫ばなければなりません。信仰の祈りは、死の力に打ち勝ち、神の栄光を見せてくださいます。

死を恐れない理由

イエス様は死んだラザロの墓に行き、嘆き悲しみ、憤りを表されました。イエス様は、愛する人間と創造された世界を破滅に導いた罪と死に対して強烈な憤りを覚えられましたのです。死は侵入者であり、人類が罪を犯して神様に背を向けた結果です。今私たちは、死の世界に囚われていますが、本来はこのような世界に生きるように設計されていません。イエス様が私たちの代わりに負債を完全に返済してくださったことによって、私たちを支配する死の権威と勢力を打ち砕いてくださいました。ですから、キリストを信じる人々は、もはや死を恐れる必要はありません。死がクリスチャンにできることは、人生をさらに無限に良くすることだけなのです。

一節の黙想
ヨハネの福音書11:39

🔷信仰は、神にすべてのことを委ねることです。それは、自分は何もしないと
いう意味ではありません。ラザロを生かす「復活」はイエスの領域ですが、「石を取りのけること」はマルタとマリアの領域でした。多くの人はイエスを信じていることを理由に、医師も取りのけてくださいと求めます。イエスは、人がすべき領域がなくても奇跡を行うことができますが、私たちにするべきことを与えることによって、奇跡の栄光にあずからせてくださるのです。真の信仰は、進んで行う苦労が伴います。

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