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はるばらぱれを受け取った日

2024年10月22日
今日この日を、これからの人生で何度も想い返すことになる。そう確信した日だった。

霜降り明星の粗品という人間を知ったのは、彼らがM1を優勝した後だった。
まだその時点ではおもしれ~芸人が出てきたなーぐらいの認識でしかなかった。
そこからの活躍ぶりは凄まじく、それに比例するように霜降り明星の、中でも粗品という人間にどんどん惹かれていく自分がいた。

粗品の持つ多面的な魅力は人々を虜にしていく。
史上最年少チャンピオンでフリップ芸の天才、またある時はギャンブラー、またある時は司会者、またある時はスパチャをせびる配信者。
しかし、中でも自分が惹かれたのは彼の持つ人間臭さとも言える人情の厚さだった。
あんなヒール芸をやっておきながら、時折見え隠れする優しさがなんとも憎めない人なのだ。

そんな彼が本格的に音楽をやると聞いて、最初は趣味の一環なのかな~ぐらいの認識でしかなかった。それ以前もボカロ曲も出していたし、今度は自分で歌ってみたでも出すのかなと。

しかし彼の音楽は本気だった。
先日発売されたアルバム「星彩と大義のアリア」の衝撃たるや筆舌に尽くしがたい。
作詞作曲すべて粗品。ブレない真っ直ぐな歌詞と往年のブルーハーツを思わせるシンプルで激しいロックサウンド。
そこに芸人粗品の面影はなく、ミュージシャンとしての確固たる意思と覚悟を感じた。

そんなアルバムの中から先行公開されたのが「はるばらぱれ」だった。
粗品が高校生の時に亡くなった父親を憶って歌った楽曲である。

この広い世界で感動する音楽、素晴らしい音楽はたくさん存在する。
しかし、人生に影響を与え、己の人生の一部となって寄り添ってくれるような楽曲と出会える機会は早々ない。
はるばらぱれは間違いなく、今後の人生の指針となるような曲だと聞いた瞬間に確信した。

自分も2年前に母親を病気で亡くした。それが全てであり、それ以上でも以下でもないが、共感するに足る十分な理由だった。
この音楽に救われたんだと思う。
あまり軽々しく「救う」という表現を用いることに抵抗はあるのだけれど、こと「はるばらぱれ」に関しては心の底からの本音、本心だと自信を持って断言できる。

12月の嘘みたいな朝 えげつない別れ
神様なんて いないってことが 決定した冬
ベッドのへりまで登って 頬をすりよせて泣いたなあ
廊下で崩れ落ちてく 悔しかったなあ
~中略~
電話での心配 面倒に思ってしまってごめん
両親があの時 恋に落ちてくれて本当に嬉しい

はるばらぱれ/粗品

これ以上ないほど的確にあの日あの時感じた感情そのもので、まるで自分の境遇を歌っているような、烏滸がましくもそんな思いが溢れて止まらなかった。胸が熱くなった。
歌詞の一言一句全てが深い共感とともに胸に突き刺さる。
もしかすると、僕らはどうやったって運命には抗えないのかもしれない。
それでもこの世界に同じ想いを抱え、悲しみながらも今日を生きている人がいる。その事実だけでどれだけ勇気をもらったかは言い表すことなどできない。

その後発表された全国5大都市Zeppツアー。
この機会を逃すという選択肢は無かった。気がつくと札幌公演に応募していた。

そうして迎えた札幌千秋楽公演。
正直なところ、「はるばらぱれ」は聞けないかもしれないなと思っていた。
それまでのツアーではるばらぱれは特別な時しかしない、とMCで話していたことや、粗品のお母さんが見に来られていた東京公演で披露していたのもあったからだ。

もちろんそれでも全然構わなかった。生で粗品の奏でる音楽を浴びることができるだけで十分だと思っていた。

運良く早い整理番号を引いたため、なんと最前エリアに入ることができてしまった。
近い、近すぎる。ここまで近いとは思わなかった。なんてこった。

そしてついにその時がやって来る。
静寂に包まれる会場。その帳を破るように粗品がステージに現れる。
ガチガチに固めたヘアスタイルにビジュアル系の濃いメイク。
DEATH NOTEのリュークかよ、などと心の中で突っ込みたくなる気持ちはありつつも、それ以上にオーラと存在感に圧倒されていた。
贔屓目もあるかもしれないが、華のある芸人とはこういう人のことを言うんだなと思った。

そしてライブが始まる。
演出は最低限に抑えられた、直球真剣勝負の音楽が心に真っ直ぐ突き刺さる。
誰よりも全力で、そして誰よりも楽しんで音楽をしていた。

MCで彼は語りかける。
「柄でもないこと言います。」
「死なないでいてくれてありがとう」

ともすれば薄っぺらく感じてしまう話題ではあるが、粗品の本心から発せられる熱い言葉は聞く人の心を強く打つ。
そこにおふざけは一切なく、音楽を通して粗品が届けたい想いや伝えたい感情が凝縮されていた。
今日という日を迎えることが出来て本当に良かった。
ここに至るまで、決して簡単な道のりじゃなかった。それは粗品もそうだし、我々ファンも同じなんだろう。

さらに続ける。
「札幌公演、残念ながら埋まりませんでした。もちろん次来る時は必ず埋めます。」
「でも今日来てくれたお客さんのことは一生忘れないと思うし、感謝しかない。」

ファン一人一人に語りかけるように離す粗品。
こういうことを言う人なんですよ、、粗品って人は。
感謝したいのはこっちなんだよ。熱い感情がZeppを埋め尽くしていた。

そんなこんなで遂に運命の時がやって来る。
「東京公演では泣きすぎてほとんど歌えてなかったんでリベンジさせてください」
「聞いてください、はるばらぱれ」

PVを見る度に泣いた曲、共感と安堵と救いを与えてくれた曲、心の拠り所となった曲。
その曲が目の前で歌われている。
ライブで浴びる「はるばらぱれ」はエネルギッシュで、でも何処か憂いと儚さも漂っていて。
涙が止まらなかった。止められるわけがなかった。粗品の真っ直ぐな歌声が全身に届き、心が洗われ涙へと昇華していく。
最高のパフォーマンスだった。魂の叫びだった。
曲が終わった時、自然と「ありがとう」と叫んでいた。当然の感謝だった。
生で聞ける日が来るとは思っていなかった。
ライブに来れたこともそうだし、セトリに入るとは思っていなかったから。

今日という日に「はるばらぱれ」を聞けたことに大きな意義がある。
生きているからこそ、受け取れたものだろう。
そんな当たり前のことすら、日常生活の中では薄まってしまう。
ライブという非日常が、忘れかけていた感覚を呼び覚ましてくれる。

これからも粗品の音楽を聞き続けていきたいし、粗品の生き様を見届けたいと思う。

ありがとう粗品。
ありがとうはるばらぱれ。

あいやしばらく。

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