アサクリ公式トレーラーで感じた諸々

Assassin's Creed Shadows公式シネマティックトレーラーからの諸々についての私見偏見をかきました。ひととおり把握している人向けです
今はストーリーがとてもすばらしいことだけを期待しています


アジア人の扱われ方

アジア人て、クラスにいるけどそこまで仲良いわけでもないからパーティーには誘わない、それですごい文句言われたこともないし、これからもリストに入れなくても問題ないよね。今回ロールを割り振るうえで侍を黒人にしたけど、ナオエ居るから問題ないでしょ、みたいな。そんな印象だった。
対策としてはまずめちゃくちゃ文句言った後積極的にプレゼンスを大きくして、とりあえず無視すると面倒な存在くらいにはなっておくとかかな。

あと「私たちの侍」はとってつけた理由だとしても、宣教師の連れてきた奴隷をセレクトして「私たちの目になれる」って旧宗主国サイドが言ってるのが、なんかもう感性が違うなってなった。

ゲーム外での弥助についての記述

有色人種が西洋のノーブルを演じるといったような、経緯が行方不明の海外ドラマはすでに複数あるとのこと。

弥助に関する記事のひとつでは、彼は複数言語を操り種々の戦闘技術に長けた外国人技術者(高度人材)のように描写されていた。
ところでLockley氏は、弥助は誘拐されたのち、ヴァリニャーノに同行した時にはすでに自由を得ていたというお考えであったように読んだが、著作によっては弥助について奴隷 slaveという表現を使うのを避けているように見えた。
……界隈はその流れで人間を船に寿司詰めにして運搬した過去も有耶無耶にしていく意図があったりしないよね? もし本作が奴隷制度への言及なく、弥助含む黒人たちを普通に来日した労働者として登場させてきたら相当グロいが、さすがにね

「高潔な人間だと認められたい欲」みたいなもの

差別がテーマになったとき、差別していた(いる)サイド、差別にあいにくそうな層が代弁者の顔して出てくるのが不思議であるが、彼らはおのれの清廉潔白さ、精神的優位性を表明すべくあがいているように私は感じる。できるだけ痛い目を見ない方法で道徳的価値を高めることに腐心しており、救済対象が救済されることよりも所属グループの評価が優先される。

弥助は侍か

私個人はそう表現はしてこなかったしこれからもしないと思う。
上記の表現に違和感を持つ理由は、私が「お侍さん」と雑に呼ぶとすればそれは刀狩令以降の、帯刀の有無により身分を区別できる時代の支配層である。それ以前の人間は武将、百姓、僧、商人、荷物持ちなどと呼ぶだろう。時代劇見て育ったからかもしれない

UBI的日本描写

トレーラーをみるかぎりUBIの解像度はリトルトウキョー殺人課レベルと言わざるを得ない。
ヴァルハラの石積み、ラップバトル、襲撃にあたるものとして相撲、囲碁、落ち武者狩りを所望する。

欧米の目線

仕事で英語使っていて時折しんどいなと思うのは、英語を使う=欧米的価値観に沿って対話することになるところ。欧米はその点ストレスを感じにくいだろう。相手の言動を素の価値観で解釈してOKだから。
他言語を学ぶというのはその言語圏の文化や思考、宗教、人間を学ぶに等しいが、公用語=母国語の人たちはグローバルな対話において追加の学習の必要がない、ゆえに能動的に学ばない限りは我々の価値観自体の認知や尊重の意識は比較的希薄であろうと推測する。



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