【vampire.ID】その4
1.vampireID
同じ狼狂の氏族だった女の残骸からICチップをつまみ上げると、加藤は握りつぶした。
加藤は自分の頸の後ろを触った。自分にも埋め込まれているだろうICチップを今にも抉り出したい気分になった。
だが、それは出来ない。ヴァンパイアIDを抉り出そうとしてそのまま息絶えたヴァンパイアを知っているからだ。
女ヴァンパイアが目の前で「X」に変わる。死んだヴァンパイアは“名前が無くなる”。
銀の弾丸がさらに飛んできている。魔術師のヴァンパイアが呪文でその軌道を反らせるが、ギャング達が撃つ弾丸も反らさなければならない為、全部の弾丸は反らせない。
何体かのヴァンパイアが腐敗した僅かな液体になり、人間達はそれ以上の死体が転がっている。
これはヴァンパイアと人間の最終決戦の場なんじゃないか、とさえ加藤は思う。
世界一美しい墓地の一つのレコレータ墓地が汚物の池と死体の山と化している。これが映画の話なら、B級確定だろう。
こんなちんけなヴァンパイアVS人間の映画など、プレデターVSエイリアンほど面白いわけがない。死体は人間のものばかりで、ヴァンパイアの痕跡など僅かしか残らない。
この戦いに決着が着いて、跡を見た者は、“ヴァンパイアなど居なかった”と思うだろう。
加藤の頭にある考えが浮かんだ。
“ヴァンパイアが居なかった?もしかしたらそれが目的か?”
誰かが“ヴァンパイアを居なかったものとする計画をしているのでは?”そんな考えが加藤の頭に浮かんだ。
“誰が?”“何のために?”
疑問が浮かんだ加藤は戦いに集中できなくなり、銃撃もハンターの白木も身体に受け続け、気づいた時には心臓と頭以外の部分がかなり損傷し、地面を這いつくばっていた。
痛みが目の前を暗くして、吐き気もする。よく動けているものだ。
他のヴァンパイアも疲労が激しい。不死では無くなると人間並みに疲労するようだ。
回復目的に人間を一人掴む。ギャングではなくヴァンパイアへの賞金に目が眩んだ太った親父がガタガタ震えている。
銃などなく、サバイバルナイフだけだ。よくこんな装備だけでヴァンパイア退治をしようとしたものだ。太った身体に防弾チョッキが張り付いている。
加藤はラムネの瓶を開けるように親父の頭をポンと手のひらで叩いた。親父の首がベコっと身体に食い込み、肩の辺りから血が吹き出る。加藤はそれを浴びた。
加藤の口は裂け、頬の筋肉組織が見え、頭も頭蓋骨が見える状態だったが、血を浴びると徐々に回復していく。
霞んでいた視界がはっきりすると、レコレータ墓地を軍隊が取り囲んでいるのがわかった。
2.長老の思惑
空港にいたパトリシアスの兵士が戦車まで揃えてレコレータ墓地を取り囲んでいる。
ヴァンパイア包囲網だ。
軍用兵器を使用すればここにいる残り50体余りのヴァンパイアを殲滅するなど容易いことと思われた。
狼狂の氏族の一人が全身血に塗れて荒い息をして加藤に話しかけてきた。この男は知っている。10年前の会合で合ったディミトリという男だ。
「なあ、俺たち死ぬのか?」
不死者だったヴァンパイアが人間のようなことを言っている。
「かもな」
加藤はそう言って残り少なくなった仲間の方を見た。
少し離れた場所にいたはずのさっきまで仲間だった奴の姿が見えない。
その場所には汚い液体の染みが出来ていて、サングラスが落ちている。
その場所にいたヴァンパイアは、「X」になっていた。名前はもう思い出せない。
“……俺のエージェントだったやつ、か。……たしか……魔術師で、下手くそだったが口笛とタンゴが好きな奴だったな”
加藤はその記憶だけは脳に刻んだ。
パトリシアスの兵士とヴァンパイア達は互いに対峙し、睨み合う。
ヴァンパイア・ハンターやギャング達など人間はすでに死体と化していた。
レコレータ墓地にはその死体とヴァンパイアの死体の染みから放つ異臭に覆われている。世界一美しい墓地の一つの美しい霊廟は、彼らが戦った周囲だけ銃撃や杭などで破壊され、見る影もない。
血の法を操り、精神が疲弊して息が荒い魔術師の一人が呟く。
「長老の思惑通りって訳か」
加藤が振り向かずに聞く。
「長老の?一体何の話だ?」
魔術師は、加藤に後ろからそっと顔を寄せ、囁いた。
「……長老は自分たち以外のヴァンパイアを殺したいのさ」
加藤が思わず振り向くと、魔術師は乾いた笑いをしながら言う。
「噂でしかなかったが、こうなると……真実だろうな」
「サプライズにも程があるぜッ」
加藤は長老達に騙されたことに怒りを覚えた。
「俺たちはこの墓地で死ぬ為に集められたわけかッ」
この場に長老がいたら、その顔に唾を吐いていたはずだ。加藤は代わりに血が混じった唾をアスファルトに吐いた。
パトリシアスの装備を見るに、歴史的美術的価値のあるレコレータ墓地ごと残りのヴァンパイアを殲滅させるのだろう。
「Fuego!」
大隊長の号令で一斉に発砲する。
アサルトライフルから、ロケットランチャーから、戦車の砲塔から弾丸や砲弾がヴァンパイアに向けて放たれた。
全身に穴が空き、頭や身体が吹き飛び、血と汚物が墓地を汚していく。
魔術師の血の法で弾丸や砲弾を全て反らすことはできない。銃弾より速い動きが出来るはずの狼狂は疲れ果てている。他の氏族も何も動きが出来ない。
最初の一斉射撃で50体余りのヴァンパイアが僅かな痕跡を残してこの世から消滅した。
加藤は、まだ立っている。
頭の半分、片足が吹き飛び、右腕も肩から失って尚、加藤はまだ立っていた。
霊廟の残骸に身体を預け、半分の顔で不敵に笑う。
「……その程度で終わりか?」
3.長老の首
レコレータ墓地の一部を完全に破壊した一斉射撃を生き抜いた加藤は吠えた。
顔が半分で身体のほとんどを失ってもその咆哮は兵士の士気を下げるのに充分だった。
狼狂の遠吠えではない、魂からの叫びだ。
兵士たちがただ立っているだけの加藤に何もできない。
半分の顔で笑いながらゆらりと身体を前に出す。霊廟の残骸から離れると、加藤は地面に倒れた。
足りない身体で前へ前へと進む。
ズル……ズル……。
残った左腕と左足で前へ。
兵士達が銃を構えながら後退を始める。ヴァンパイアでも不死ではなくなったはずだ。何故動けるのかという恐怖が兵士を後退りさせる。
ズリ…ズリ……
数㎜ずつだが、確実に加藤は前へ、兵士の方へ進んでいく。
ヘルメットの中で脂汗を流しながら後退する兵士の前にさらに男が現れた。
破壊された霊廟の地下から、まるで地下鉄から出て来たように軽い足取りで男は現れた。
背の高い、ラフな格好の欧米人だった。
男は兵士達に手を差し出すと、兵士は一斉に銃を下げた。戦車も砲塔を横に反らす。
男は満足げに頷き、地下に手を向けた。何かが空中を漂ってくる。
首だった。
24個の首が空中を漂っている。
それは、ヴァンパイアの長老達と側近達の首だった。
「やあ、また会ったね」
男は加藤に、映画館でたまたま出会った昔の知り合いのような、軽い感じで声をかけた。
「おまえ……」
加藤は見覚えがあった。
エセイサ国際空港で同じ飛行機から降り、自分の前に入国審査を済ませたあの欧米人だ。
「おまえ……」
言葉がでない。“ヴァンパイアだったのか”というその言葉が出てこない。
「ああ、その通りだよ」
男は加藤の思考を読んだように話を続ける。
「僕はヴァンパイアさ。……そして、たった今ヴァンパイアの長になったばかりさ」
男は空中に浮かばせていたヴァンパイアの長老の首を一つずつ、風船を割るようにして潰していく。
「永かったよ。本当に永かった。……この日を僕はずっと待っていた」
ヴァンパイアの長老達の首は、真っ赤な鮮血を散らせながら割れていく。
どれ程の人間の血を吸って来たのか、どれ程の永い年月を生きてきたのか。ただ、その血は人間より本の少しどす黒いだけだった。