【vampire ID】その1
あらすじ
ヴァンパイアが日光で死ななくなった代わりに、不死ではなくなり、首にヴァンパイアIDを埋め込まれて人間から狩られる存在になった。それはどうして起こったのかを一人のヴァンパイアを通して語られる物語。
【Vampire ID】その1
1.エセイサ国際空港
南米アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスの玄関口であるエセイサ国際空港は閑散としていた。 世界的な流行り病が終息を迎えてしばらく経っていが、旅行客が少ないのはそのせいではなかった。
空港は、ライフルを構えたアルゼンチン陸軍ブエノスアイレス軍管区パトリシアスの兵士に溢れ、たった今旅客機から降りた少ない客に鋭い眼光を向けている。 入国審査場に向かう数人の客の中に背の高い一際目立つ人物がいた。
一人は欧米人、もう一人はアジア系の顔立ちをしている。
兵士が空港にいる物々しい雰囲気に旅行客はヒソヒソと不安を口にしているが、その背の高い二人はむしろその様子を楽しんでいるように見える。 白いシャツにジーンズというラフな格好の欧米人の番になり、パスポート提示や本人認証が終わると軽い質問があり、すんなりと通過していった。 「パスポートを」 アジア系の人物の番になり、審査官に促され、パスポートを提示する。 青いジャケットに赤いシャツ。下はメンズ用巻きスカートで、顔立ちから和装に見えた。
何度もパスポートの顔と目の前の人物の顔を見比べ、審査官は眉を潜めた。 ベテラン審査官ともなると、ちょっとした違和感を覚えても顔には出さないで入国拒否を選択するが、「この人物……」という強い想いが彼の顔に現れた。 「本人認証します。顔をカメラに……」 審査官はそう言うと同時に、机の下の非常コールボタンに手をかけた。 アジア系の人物がにこやかに頷いて、顔認証カメラに顔を近づけた。
カメラに“何も映らない”。
ビー! けたたましいブザーが鳴り、「エマージェンシー、コードレッド、エマージェンシー」と感情の無い機械音が非常事態を周囲に知らせた。 銃を構えた兵士が入国審査場を取り囲む。非常ボタンを押した審査官は机の下に身を隠した。
「エマージェンシー、コードレッド、ヴァンパイアを確認。速やかに対処を」
機械音が非常事態の内容を伝える。
「ヴァンパイアを確認。速やかに……」
アジア系の男は「参ったな」と言いつつも何十もの銃口を向けられても焦ってはいない。
「エージェントに支払う金をケチったせいかな」
アジア系の男がゆっくり両手を挙げようとすると、突然ブザーと機械音が消えた。
口笛が聞こえる。
兵士の何人かがその音の方へ銃を向けた。 しかし、すぐにガクリと銃を下げ、膝から崩れ落ちる。
カツ、コツと靴音が響き、下手くそな口笛でブルータンゴのメロディが近付いていた。 足音がする方へ兵士がフォーメーションを変える。
間抜けなメロディを口から響かせる黒ずくめの男が、取り囲む兵士の間を歩く。
ひとり、ふたり、さんにん……
男が歩く度に取り囲む兵士が足元に崩れ落ちていく。
兵士を指揮する隊長が「Fuego!」と発砲の命令を発する前に白目を剥いて顔面から床に倒れた。 軍用ヘルメットが床に当たり、乾いた音がする。
黒い男がアジア系の男に近づく頃には、取り囲んでいた兵士は全員床に倒れていた。
「¡Hola!(やあ)!」
黒い男が陽気な声で挨拶をしてきた。アジア系の男と同じように背が高い。スーツ、シャツ、ネクタイ全て漆黒だった。
「やあ」
アジア系の男が日本語で返した。
「じゃあ、行こうか、Mr.カトー」
黒い男は流暢な日本語でそう言うと、ポン、とアジア系の男の肩を叩いた。 アジア系の男、加藤は「ああ」と頷いて、黒いスーツの浅黒い顔の男の後に付いて空港出口に歩いていく。
入国審査官は机の下でイビキをかいている。 床に倒れている兵士もまた夢の中にいた。
空港を出ると、ブエノスアイレスの空は快晴で、日差しが眩しい。 二人はサングラスをすると、黒塗りの車の前に来た。 おもむろに黒ずくめの男が加藤に振り向いた。 「ああ、そうだ。自己紹介しておこうか。僕が君のエージェント、アマラントだ」 笑いながら名乗った男の白い歯はやけに犬歯が目立っていた。
2.眠る人々
空港の外は日差しが強い。 そして、アスファルトの道路には車が数台クラッシュして停まっていて、歩いていたであろう人が道に倒れている。 眠っているのだ。 「ちょっと、やりすぎじゃない?」 加藤が呆れ顔でエージェントに尋ねた。 空港の広いロータリーに停めてある黒のBMWをスマートキーで開けると、「ん?」とアマラントはとぼけた。
「por si acaso(念のためさ)」
と、事もないように答える。
「僕らはもう不死じゃない。奴らにいつ襲われて死んでもおかしくはないんだ。僕みたいな「血の法」を使える氏族は減った。半径200mの人間を眠らせるのはやりすぎなんかじゃないさ。それより、君のボディーガードをしたんだ。感謝してほしいね」
アマラントはトランクを開け、加藤の荷物を入れると、軽い身のこなしで助手席を開け、加藤を招いた。
「どうぞ」
「どうも」
加藤はBMW735に乗り込み、MT車だと確認すると、『車といい、格好といいまるでトランスポーターだな』と思った。
「シャツは違うけどな」
アマラントが運転席から乗り込み、いきなり話した。
「映画トランスポーターの運び屋は白シャツだ」
そう言ってアマラントはエンジンキーをかけた。
以前は日光を遮る為のサングラスと遮光効果を付与したスーツとロングコート、ハットは『ヴァンパイア』の日中の格好だった。 真祖の頃よりの呪いである、『日光による致命的な火傷』を克服した彼らにそんな格好は必要なかったが、アマラントはスーツとサングラスだけでもと、現代に生きるヴァンパイアとしての矜持を持っていた。
空港からすぐの高速道路に進入すると、BMWは北へと進んだ。
「改めてようこそ、ブエノスアイレスへ」
アマラントは加藤に話しかけた。
「10年ぶりの会合がブエノスアイレスとはね」
加藤はブエノスアイレスへ長旅をしてきた理由を思い出していた。
3.代償として
南半球に位置する南米のパリ、ブエノスアイレスは日本と季節が逆になる。 関西国際空港から出発した時には雪だったが、エセイサ国際空港に降り立つと真夏だ。 それを見越して軽装をしていて、大阪では奇異な目で加藤は見られていた。
ただでさえ目立つ長身であり、顔立ちはアジア系ではあったが、純日本人ではなく、どこかヨーロッパの血筋を思わせた。 アマラントが何かを話しかけているが、加藤には届かず、生返事だと気づいたアマラントはカーステレオからタンゴ音楽を流した。
アマラントはタンゴがこの上なく好きなのだ。
『僕たちは不死じゃない』
アマラントの言葉は真実だった。
不死身の吸血鬼、人間の血を糧に何百年何千年生き、人間を奴隷にしてきたヴァンパイアだったが、ほんの数年前、その不死の呪いが解けた。
解呪の経緯は極簡単な事だった。
『ヴァンパイアの真祖が死んだ』
聖書のイザヤ記に記述され、ヴァンパイアの祖と言われる『鳴きたてる梟』と訳された『リリス』が『死んだ』のだ。
勿論だれ一人『リリスが死んだ』のを見た者はいない。しかし、ヴァンパイア達、そして一部のヴァンパイアハンターに『リリスは死んだ』と啓示があった。
あるヴァンパイアは『梟が死ぬ夢を見た』。
あるヴァンパイアは『太陽を恐れる必要が無くなった』と感じて実際に日中にも関わらず遮光コートもなく外に出た。
あるヴァンパイアハンターは『これからは苦労せずに仇敵を殺せる』と占い師に言われた。
様々な天啓のあと、全世界のヴァンパイアが『太陽により致命的な火傷』を負わずに太陽の下で活動できるようになった。
同時に、『ヴァンパイアは死ぬ』ということを身を持って知ることになる事件が起きた。
その事件のあと、ヴァンパイアは今まで奴隷としてきた人間に全員捕獲され、『ヴァンパイア認識票』、『vampire ID』を身体に埋め込まれた。
人間はヴァンパイアを全員捕獲したのにも関わらず、抹殺せずに『認識票』を埋め込み、そして世に放った。
今やヴァンパイアは『人間に狩られる存在』へと落ちぶれていた。
ヴァンパイアは『太陽により消滅する』という呪いが解けた代償として、『人間に殺される』存在になっていた。
『不死身のヴァンパイアがヴァンパイアハンター以外の人間に殺される』
この事件でヴァンパイア達に激震が走った。
糧や下僕でしかない人間に殺される。このことはヴァンパイアのアイディンティティを揺るがす大事件だった。
同時にヴァンパイアの超能力とも言える『血の法sanguijus/サングイジス』の能力も失うものが多かった。
この事態にどう対処するべきか、それを話し合う為にヴァンパイアの長老達は全ヴァンパイアにブエノスアイレスに集合をかけたのだった。
それは、人間に殺される機会を増やすことに繋がることが想定されたが、まだ政財界にヴァンパイアのコネクションが残っている南米で行うことで、少しでもその機会を減らす目的でもあった。
そうとは言え、やはり空港には軍が配備されるなど危険があったので加藤はヴァンパイアコミュニティのエージェントに『空港をすんなり通れる』ように依頼をしていたが、先程の『顔認証で身バレする』ということが起きた。
加藤はアマラントを見た。
『こいつは本当に信頼における奴なのか?』
テレパスで思考を読まれるのは承知の上だったが、アマラントは知らないふりなのかタンゴに夢中なのか、下手くそな口笛を吹いているだけだった。
その2
その3
その4
その5