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機動戦士ガンダム 一年戦争異伝 【ゴーストクロニクル】 第1話 絶望のジルバ 《series000》
熾烈と混迷を極めた、人類史上初の宇宙大戦「UC0079 一年戦争」
無音の空間に散った無数の魂が鳴き叫く戦場で、今ここにもまた、己の存在を勝ち得るために命の咆哮を轟かすパイロットがいた。
「くぅ……ぅおおあああー!!」
食いしばった歯からもれる呻き声は、一瞬の後、強烈なGから開放されて雄叫びに変わった。
掠めるように抜けていくビームの光が、サイドモニターを白く染めた。
一瞬の差で命が繋がり、すでに何度目かの、これ以上は無い冷たい汗が背筋を迸る。
休むことなくスティックをコントロールする手は加速を続け、意識を先回りして次々に機体への動作を刻み込んでいく。
愛機はそれに応え、見事な反応を返していた。
────クラウザー・ラウザー。
地球連邦軍コンペイトウ所属、第126パトロール艦隊のエース。
機体の胸に描かれた『踊る人形』の紋章の下には、2つの星が穿たれている。
彼の駆るGm117は今、最高のコンバット・パフォーマンスを見せていた。
『クラウ! 駄目だ……ぬ、抜かれる! 早く! ……頼む!! き、来てくれー!』
警戒ランプが狂ったように明滅を刻み、アラームがサラウンドで喚き散らすGm117のコックピットに、僚機の悲鳴が追加された。
「こっちは捉えてる! もう少しだ……落とせる! 直ぐ向かえる! あと少し、少しだけ持たせろ!」
全力で臨む戦闘の、息つく暇も無いめまぐるしい変化。次の状況の予測。
それらを瞬間的に判断し続けるように強要され、視界の焦点は広がり、頭の中で火花が弾け、手足が切れ飛びそうなコントロールを肉体に強いながら、クラウザーは嘘をついた。
視界の端に点滅する光点が映る。それは自分が展開しているはずのエリアから、随分はずれてしまっている事を訴えていた。
こんな戦闘を経験するのはいつ以来のことか……この強敵との高速ドッグファイトは、自分にそれを強制する。
く、くそ! なんて……上手い奴なんだ!!
心の中で吐き捨てた。
相対する敵機はビーム装備の大型機動兵器。最新データにあがっていた奴だ。
ビグロ……だったな!
不気味で、薄汚れた暗褐色。Gm117を遥かに上回る巨体。そして、そのずんぐりとした三角形の機体に灯っている一つ目に、否が応無く畏怖心を煽られる。
それがこの上なく腹立たしく感じられた。
──!
不意に、閃光が脳天を貫くかの様な戦慄を覚えた。
瞬間、敵機追尾の動作を解除して、フルスロットルオーバーを掛けながら機体を捻る。強烈な加速がG-LOCを誘発し、視野が曖昧になり、視界が灰色に薄れていく。
ビグロは下方へ滑り込んでいた。脅威の加速力、そして、信じ難いコントロールだ。
クラウザーの卓抜した操縦の虚を突いて、バトンタッチの死角と呼ばれる、追尾センサーの切り換りラインを縫ったのだ。
Gm117を正面に捉えたビグロのモノ・アイの膨らむ光が、クラウザーのグレイアウトしていく瞳に残った。
背景が消失し、薄らぐだけの世界に閉ざされていても、ビグロの放つビームが迫っているのが解る。低下した反応速度に抗って、休まず右、左、左、そして下へと機体を振った。
ぅうぉおぉおおぉぉぉ!!
声に出来ない雄叫びを上げて、鈍る頭脳と重く固まっていく体の痺れを堪えた。
逃げ回る自分に追い縋っているはずのビームは、寸差で抜けて行っているのだろう。
Gと恐怖で引きつった顔をさらに歪めて、スティックを引き絞りながら、カウントを始めた。
血が頭から下がり、視界がグレイアウトしている状態での激しい回避運動は、身体に極端な負担のかかる非常に危険な行為だ。本当は直ぐにでも止めるべきなのだ。
加えて、クラウザーはこの機動を終えるとき、通常通りに安定飛行に移っての血流回復を行う気はなかった。そうすれば、数秒間、機体を慣性に任せなければならない。この敵を前に、止まる事になる。確実に全てが終わるだろう。
彼は逆制動をかけ、一気に血を戻し、回復にかかる時間を無くするつもりだった。
これはグレイアウト継続や、その渦中での高G機動を凌駕する最も危険な行為だったが──それでも、止むを得ないとクラウザーは覚悟していた。
そして、この敵はそれをも予測しているだろう。Gm117の行う、最後の逆制動のタイミングを狙っているだろう。
逆制動による急ブレーキは、瞬間的に機体を高速後退させるように見せる。
奴は、既にその方向へ何発か撃っているはずだ。
クラウザーはその上を行こうと必死になっていた。
敵の予測するタイミングを外し、なおかつ、その運動で敵機を自分の照準に捉える。霞む思考と戦いながら、見ることの出来ないビグロの動きを懸命に予想していた。
血の気を失った瞳を細め、クラウザーは祈った。
覇気を込め、スティックを一気に引く。Gm117のスラスターが爆発的な火を噴き、機体が閃光に照らされた。
クラウザーに、逆制動による強制回復が掛かる。血液の奔流に気を失いそうになりながら、まだぼやける網膜で敵影を捕まえた。
モニター上のビグロを追う十字光は今、まさに重なり切ろうとしていた。
クラウザーの精神が咆哮をあげた。
それに呼応する様に響いたロックオンの電子音と共に、クラウザーの指が複雑にスティック上を瞬間移動する。
機体の全火器が一斉開放され、Gm117のレフトアームがサーベルを抜き放つ。
降り注ぐGm117の弾幕をバレルロールですり抜けて、ビグロが迫った。
「もらったああああ!!!」
叫びながら振り薙いだサーベルの軌跡は──しかし、ビグロに重なりはしなかった。
クラウザーの表情が、引き歪んだ。
絶体絶命の状態からの会心の逆転、そして、敵機撃墜を確信させる一撃だった。それを、躱された。
……まだだ!! いや、今こそだ!
胸中は、驚きと、怒りと、泣きたくなる様な複雑な心境に塗りつぶされそうだった。しかし、そうなれば自律不能の反応の低下をひき起こして、操縦の停止に陥ってしまう。
クラウザーは、己を堕としめる負の感情を握りつぶし、自分を叱咤し、自らへ気迫の激励を浴びせた。
即座に、クラウザーはGm117を振り向かせず、そのまま過ぎた敵の方へバックする様に急加速させた。
相対速度を相殺し、至近距離でのすれ違い、入れ替わる位置関係を支配する高速捕捉機動『ジルバ』に入った。
────MS・MA。
この大戦より実用化され、宇宙空間を規格外の敏捷さで飛び回る力を与えられたこれらの兵器は、それまでの戦史でも類を見ない程の機敏な格闘戦闘をその武器とした。
パイロット達は勝利と生存を賭して、宇宙戦闘機では生まれ様の無い、数々の高度な戦闘機動を生み出していった。
その一つ、ジルバは、仕掛けの上手さで勝負が決する高速戦闘機動だ。チャンスを逃さず切り込み、仕留める。
多くの場合、受け手に回ってしまった者がジルバを仕掛けられたと認識するのは、爆発の衝撃にヘルメットを振り回され、被弾アラームの音に耳を痛めた時である。
今がチャンスだった。そして、切り込んだ。一瞬のズレも無い、最上のタイミングだった。
ここまで至る事は今まで殆ど無かったが、至ったならば、これで決まらなかった試しは無い。
『踊る人形』を胸に刻む部隊のエース、クラウザーのプライドの所以。
対MS駆逐戦術『絶望のジルバ』に、奴を招いたのだ。
それは一斉射撃から繋がる、クラウザーの持てる最高の戦術展開だった。
既に再三に渡って落胆を味合わされた敵だ。これでも決まらないことがあるかもしれない……いや、それはない……
かすかによぎる嫌な予感と、それでも実績によって培われてきた自信に裏打ちされた希望が湧き上がる。
コンマ数秒後、ターゲットサイトにビグロの尻、並んだノズルがインしているはずだった……
「なにいいいい!!!」
クラウザーの指がトリガーから外れ、スティックの挙動スライダーをタッチする。
Gm117の機体各部が、高精度射撃の為の固定ポジションから開放され、代わって高速運動性を発揮するための駆動力を取り戻す。
そしてクラウザーは、何度も失いそうになりながら繋ぎとめていた気力が、今度こそ千切れ飛びそうになるのを感じていた。
ビグロは、Gm117と、並んで……いた。
敵対する2機の機動兵器は、仲良くも、同じく、何も居ない虚空をその砲火の焦点として睨みつけていた。
それは、もしクラウザーがあのタイミングでジルバに入れなかったならば、敵を見失った自機の尻をビグロに向けていたであろうことを物語っていた。
奴もまた同時に、恐るべき絶妙さでジルバに入っていたのだ。
クラウザーは、言葉にする事の躇われる、絶望的な予感が湧いてくるのを感じていた。
……負けると……思うな!!
鬼気を振り絞り、クラウザーは操縦を続けた。一瞬でも早く、ほんの少しでも上手く……
Gm117とビグロは互いに不規則な螺旋を描くように、無重力のリングを滑稽に転げまわった。
この破綻した戦闘状況を打開し、続く戦闘再開の主導権を取るべく、手足は唸りをあげそうな程にコックピットを暴れまわった。
その必死の建て直しの高運動を行う中、敵はクラウザーへの1射を放ちもした。掠める程ではなかった。きっちり外れだ。しかし……
この限界の操縦下で、高精度射撃ポジションに切換えて放たれたものだった。
それはパイロットとしての技量の、本当に微小な、だが、決定的な差を顕していた。
「…………あぁ」
側に耳を寄せたとて、誰にも聞き取れぬほどの微かな呟きが、クラウザーの口から漏れた。
クラウザーは、敗北と、そして……死を、予感した。
scene 001 絶望のジルバ
Fin
and... to be continued