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機動戦士ガンダム 一年戦争異伝 【ゴーストクロニクル】 第2話 ゴーストソルジャー 《series000》
「クラウザー・ラウザー中尉!」
通路を隔てる白いドアに向かって、クラウザーは声を張った。中ほどから覗いているレンズが、素早く瞬いたように見えた。
小気味の良い電子音が鳴り、キーロックが解除された事を告げる。
ここからのエリアは艦長の為の空間だ。クラウザーはいつも、このエリアに入る時は緊張する。それが、長く乗り合わせた艦であっても。
「入ります」
誰も居るはずの無い扉の向こうに挨拶をして、クラウザーは歩を進めた。
視界が開けると同時に、通路の両側に立つ2名の兵士の姿が飛び込んできた。予期せぬ光景にわずかに歩みが緩む。
兵士の肘から先だけが動いたように思えた。静かに敬礼をしてくる。
クラウザーは切れよく敬礼を返しながら、2人を眺め上げた。
──様に、なっている……
敬礼をしている姿は切り取られた絵画のようだ。眼差しだけが生きている人間だと教えてくれる。
明らかに二人は別人であるにも関わらず、なにやら双子のように思えた。彼らの放つ同じ雰囲気、精悍で冷徹なそれ、が原因だろう。この種の兵士の目的の為に、抜かりなく鍛え上げられてきた精鋭なのだろう。
「同行致します、中尉」
兵士の一人が言った。語感にも強靭さがありありと感じられる。
「頼む」
敬礼を終え、奥へ顔を向け、二人の間を抜けた。
艦長というVIPをガードするのが、この二人の仕事である。彼らは憲兵だ。
────憲兵。
それは、艦船及びMS攻撃部隊の要員、すなわち通常の乗組員とは一線を挽いて、艦の治安の維持に努めるMPだ。
ここで憲兵に迎えられる。本来ならば、当然の事なのだ。しかし今の疲弊しきった戦争状態にあって、まともに憲兵が活動している艦があるとは驚きだった。
数歩で尽きる短い通路を進み、突き当りの扉の前でクラウザーは背筋を伸ばした。軽く息を吸い、口を開いた。
「クラウザー・ラウザー中尉、上がりました!」
少し雰囲気に呑まれたか、クラウザーは自分でも声が大きくなっているのがわかった。
「入れ、ラウザー中尉」
歯切れの良いテノールだ。落ち着いていて明朗な声が、扉の向こうから帰ってきた。
空気が抜ける様な音と共に、ドアがスライドした。
「失礼します!」
一歩入って止まり、敬礼をした。目線をまっすぐ前方に据え、目に映る風景だけを見る。
艦長室の応接間だ。クラウザーのよく知っている光景だ。取り分けて変わった所もない。迎える男が起立していたことだけが、見慣れない。
男はクラウザーへ敬礼を返し、直ぐに切った。
「休め、中尉」
クラウザーは腕を下げ、後ろで組み、足を開いた。しっかりと相手を見つめる。
軍帽をかぶっていない。肩章には二本線に3つの星。
「ロイデ・アームオン大佐だ、中尉。この船を任されている」
男が名乗った。
「コンペイトウ、第126パトロール艦隊、攻撃部隊所属、クラウザー・ラウザー中尉であります。アームオン艦長」
クラウザーの申告を受け止めた目が、頷いたように思えた。
「掛けたまえ中尉」
アームオンはそう言うと、自らソファに腰を下ろした。
クラウザーが座ると、ゆっくりと話を始めた。
「君の現状を説明しよう」
机の上のファイルを取り上げ、クラウザーをちらりと見る。
ファイルを開いて目線を落とし、アームオンは語り始めた。
「貴君の艦隊は今より数時間前、敵との交戦により殲滅した。
君は我々が確認した唯一の生存者であり、この艦に収容を受けた。
収容は大破したGm型117と共に行われた。同機は損壊が酷く、しかるのち破棄された」
ページがめくられた。
「収容時、君は失心状態にあった。
医療科の監察の結果、精神に異常を来たしている事が判明。被撃墜から収容までの間の漂流の恐怖によるものと思われる。
よって例に倣い、漂流中の記憶の抹消を試みた。
結果、充分な効果を得られたようで、精神は安定。以後の経過にも異常は見られず、MSPとして復帰可能と判断されている」
アームオンは言葉を切り、クラウザーを伺った。
クラウザーの表情は険しかった。
勝っていたカードゲーム、突然鳴ったアラーム、予想外に強力な敵、僚機の悲鳴、敗北感と絶望感、死の確信、空白、そして医療科の白い天井……さまざまな記憶が駆け巡っていた。
クラウザーは腹の底がうずくような気がした。嫌な汗が滲むのを感じる。記憶操作の残滓、残留感情だろうか?
クラウザーは気づかず、不快そうに口元に手を当てていた。
「中尉」
アームオンが、訊ねる様にチューブの伸びるマウスマスクを差し出した。あてて戻せば、掃除機の要領で綺麗に吸い取ってくれる。
クラウザーは気がついた様に自分の手を見ると、それを下げて小さく頭を振った。アームオンが少し笑う。
「……大変だったな中尉。しかし、よく生還した。……君に、感謝する」
アームオンの言葉は、クラウザーの胸を打った。
「続けるぞ、中尉」
アームオンは、再び視線を落として言葉を継いだ。
クラウザーには、アームオンの表情が、心なしか真剣なものへと変わったように思われた。
「本艦は地球連邦軍所属のペガサス級機動艦。コードはP004。艦名は未だ無い」
ペガサス級。連邦の最新鋭の機動母艦だ。しかし、この艦のコードが表しているものはもっと驚くべきことだった。クラウザーの瞳が開かれた。
「……そうだ中尉、本艦は極秘任務に就いている特務艦だ。
任務内容は機密輸送。
機密の内容及び目的地等については告げることは出来ない」
アームオンはファイルを閉じて机に置いた。
「我が艦は友軍にも存在及び所在を知られておらず、また知られる必要のない事を理解できるな? 中尉。
君は我が艦に収容を受けざるを得ない状況下にあった。そして、収容された。
おかげで君は、この艦の存在と、どの時に於いてどこに居たかという所在を、知り得てしまった……つまり」
アームオンの目線が、クラウザーの瞳にしっかり固定された。
「君を原隊に復帰させることは出来ない。クラウザー・ラウザー中尉。
コンペイトウの記録はこうなるだろう。第126パトロール艦隊は全滅。原因は不明。哨戒任務中の遭遇戦闘に因る可能性が高い。
艦隊の生存者はゼロ、だ」
アームオンの膝の上で手が組まれた。
「君は然るべき時が来るまで、我々と行動を共にする」
クラウザーの眉間は寄っていた。視線を少し落とし、やや下方を見た。
「以上が、君の現状の説明だ」
アームオンは話を結んだ。
しばらく、時が置かれた。
「了解しました。大佐」
視線を戻すと、クラウザーは、はっきりと答えた。
率直に言えば、クラウザーはこの話に抵抗感を感じていた。しかし、アームオンの彼への処置は、妥当で、正当だ。
疲労している自分の心が、この急速な展開を受け入れる事が出来ないでいるだけなのだ。他の返答など、あり得はしない。
クラウザーには、そういう風に状況を努めて分析し、自分を律するだけの力があった。
再び、目だけが頷いたように思えた。アームオンの口が静かに開く。
「中尉、そこで相談なんだが……」
気分を仕切り直した様に軽く深呼吸をして、クラウザーはアームオンを見た。
「何でしょうか、大佐」
「ああ、相談なんだが、君をP004のMSPとして迎えたい……
君の記録は照会した。優秀なパイロットだ。是非この艦の攻撃部隊に加わってほしい」
後で考えれば、至極自然な会話の流れだと思えただろう。しかし、今は虚を突かれた。
それでも、クラウザーは直ぐに アームオンをまっすぐ見た。
「了解しました。大佐」
迷いの無い即答を返した。
自分の艦隊、第126パトロール艦隊は充分に強かったとクラウザーは思っている。それを全滅するのに、恐らく数分も必要としなかった奴等……あの強力な敵部隊は、この艦がクラウザーを回収する時、まだあの空域に目が届いていたのかも知れない。
極秘任務を背負う特務艦が、クラウザーを回収する為にあの空域に来たという行為は、とてもリスクが高かっただろうと彼は思った。
そのリスクを省みぬ行動を、アームオンは執ったのだ。そして、自分は助かった。
儀に悖る事なき……と言えばそれまでだが、それは尊敬に値する勇断だと思えた。
クラウザーは、心情的に恩義を感じていた。そして、パイロットとして、この艦は自分が帰する家だと思う事が出来ると考えていた。
「ありがとう中尉、では君をP004のMSPに配属する。士官室を割り当てるから、追って通達あるまで待機せよ」
アームオンの命令を受け、クラウザーはすっと立ち上がった。
「拝命します。大佐」
続けて敬礼をする。
「待機します。艦長」
アームオンも立ち上がって敬礼を返した。
「下がってよし、中尉」
アームオンが敬礼を切った。
「失礼します!」
クラウザーも敬礼を切り、綺麗に踵を返した。
部屋を出ると、二人の憲兵が彼を迎えた。来た時と同じように、歩み去るクラウザーの後ろから同行していく。
扉が閉まると、アームオンは応接室から執務室に移った。机の上の帽子を取り、しっかりとかぶった。
椅子に腰掛け、受話器を取る。
「私だ。本日ただ今より、クラウザー・ラウザー中尉をP004攻撃部隊に配属した。
……ああ、そうだ。……ああ、任せるよバトラー。ただ、彼にはG型の余っていたやつを…… ……ああ、悪い悪い、余っているわけではないな。わかっているって。
……そう4番機を充てがって見てくれないか? うまく使いそうな気がするんだよ」
受話器から、小さな声が漏れている。
「あっはっは、そう言うなよ。私の口出しは治らないさ。
ん? ……あっはっは、そう、その通りだ。私の得意の上級権限の臨機使用ってやつだ。
……ああ、そうしてくれ」
先程までとは、ずいぶん印象が違う。快活な笑い声が部屋に響いた。
「G型でやらせてみる理由? ……ん~、勘としか言えないな……しかし、間違いなく言えることはあるよ。彼はただ一人生き残ったんだよ。
……そうそう、見ただろう? あの大破した彼の機体…… ……そうさ、そう。流石にパイロットだな。君の方が詳しいし、君の方が驚いてるじゃないか。
……うん、じゃあよろしく頼む」
アームオンは受話器を置いた。
しばらくして、引き出しを開けて葉巻を取り出した。マッチを擦って火をつける。
深く吸って、煙を吐き出し、席を立って一歩前に進んだ。
せり上がった艦橋のウィンドウ越しに、白とグレーの船体を見下ろした。
scene 002 ゴーストソルジャー
Fin
and... to be continued