僕の半生

こんにちは。GHOSTです。今回は、僕の半生をざーっと書いていこうと思います。けっこう壮絶です笑

幼稚園児の時
同級生の男の子たちがドラゴンボールやワンピースなどのアニメを見たり、ヒーローごっこをしている中、僕は非常に独特な遊びをしていました。それは、画用紙に1から順に、数字を書いていき、どこまで大きな数字が書けるかを友達と競争していたのです。意味わからんですよね笑
その他にも、小学校などで習う漢字を自由帳に書きまくっていました。もうこの時から漢字が大好きでした。他にも、鬼ごっこやかくれんぼ、ボール遊びなどを友達として遊んでいました。
そしてこの幼稚園児の時、事件が起こります。それは、たまたま描いて出したコンクールの絵が、全国トップ?に入り、でっかい賞をいただきました。東京に先生と、家族で表彰されに行ったのを今でも覚えています。
非常に愉快な子でした。

小学生の時
低学年の時は非常にまじめで、おとなしい子でした。特にこれといった特徴もなく、元気に過ごしていました。
そして高学年、ここからいろいろ起こり始めます。この時「妖怪ウォッチ」が流行り、下校してから夜になるまで少し遠くの公園へ毎日のようにゲーム(妖怪ウォッチ等)やおにごっこなどをしに行っていました。あの時は非常に楽しかったのを覚えています。そして同時期に子供会でソフトボールをし始めました。最初のポジション決めの際、試しにピッチャーをしてみました。するとなんとびっくり、ど真ん中にどんどん投げられるではありませんか。ここで自分のピッチャーとしてやっていく決心がつき、子供会のエースのピッチャーとしてソフトボールをし始めました。子供会では、みんなとスポーツをする楽しさを体感し、夢中になってボールを追いかけてました。ここで転機が訪れます。母親と祖母が、この子供会のゆるいソフトボールだけではなく、クラブチームに入ってはどうかと言うのです。僕は最初迷いました。楽しくソフトボールをするのはいいけれど、クラブチームの厳しい中でやるのはなんか違うと。しかし、半強制的に、「やってみなよ」と言われ、入りました。ここからが地獄の始まりでした。僕は声を出すのがとても苦手で、練習に行っては怒鳴られ、練習に行っては怒鳴られました。土日練習の前は非常に憂鬱だったのを覚えています。行きたくないので仮病を使ったこともありました。それくらい行くのが嫌だったのです。チーム内でもあまり馴染めず、監督やコーチに怒鳴られる日々。辞めてやろうと思ったときもありましたが、親に強制的に行かされ、辞めることもできませんでした。しかし、悪いことばかりではなく、日々の厳しい練習のおかげで、市大会優勝(
(僕の住んでいた市はまあまあ大きかった)、県大会出場というところまで達成しました。あの時は少しうれしかったのを覚えています。でも一生やりたくねえ!!笑
ソフトボールに加え、習字や水泳までこなすという、超ハードスケジュールの中、生きていました。
学校での僕はと言うと、まあまあ真面目ちゃんでした。しかし嫌だったのが「図工」と「家庭科」の授業です。僕は手先が非常に不器用で、本当に細かい作業をするのが苦手でした。図工では先生に「あんたクラスの中で一番絵が下手」と言われたり、「家庭科」では、ボタン付けや玉止めができず、隣の女子にため息をつかれ、呆れられながらしてもらってました。本当に嫌いでした。「なんでできないのか」という自己否定と、他のことなら俺の方が勝ってるんだぞというプライドが邪魔をしました。二度と裁縫やら美術はやらんからな、マジで。(キレてる)
そんなこんなで小学校を卒業しました。

中学生の時
さあ中学生がスタートしました。他の小学校からきている子が多い中学校に入学したので、友達がほぼいない状態からスタートしました。最初の運動会の時、一人で弁当を食べていた時、きつかったのを覚えています。しかしそこから徐々に友達ができ、中学3年になると卒業したくないという気持ちでいっぱいになりました。
しかしながらこの時思春期真っ只中だったため、異性と喋れず、喋る時になると顔を赤らめ、震えが止まらないという症状に陥りました。斑活動は地獄でした。
部活では、卓球を始め、カットマンとしてプレーしていました。日々努力を怠らなかったこともあり、県大会出場常連になるまで至りました。部活が僕を救ってくれました。
勉強面では英語が得意で、学年1位や2位をポンポン取っていました。塾の先生には感謝ですね。

高校生の時
 高校生は一言でいうと「地獄」でした。1年生の時はまだよかったのですが、2年からは絶望の日々でした。コロナもあり、自粛の日々でした。しかし地獄なのはそこではありません。僕が「いじめ」を受けるようになったことにありました。2年生と3年生の時、野球部の奴が、直接ではないですが、仲間内で僕の陰口をずっと言っていました。きっと高身長なのになよなよしてたのが原因でしょうね。それで僕は学校に来るとストレスでおなかが痛くなり、授業中にも何度も行く羽目になりました。死ぬほど学校に行きたくなかったため、なんども仮病を使って学校を休みました。3年の時は症状がさらに加速し、1週間ほどプチ不登校になったり、保健室登校になったこともありました。友達との不和もあり、死んでやろうと考えたことがよくありました。
 しかし悪いことばかりではありません。部活では、日々の努力が実を結び、県大会シングルスベスト64、ダブルス県大会ベスト16まで進みました。チームメイトとの不和もありきつかったですが、なんやかんや耐えてました。
大学受験もあり、バカなりの猛勉強の末、見事地方国立大学に合格しました。塾の先生には感謝してもしきれません!!
もう二度とあの地獄を味わいたくないですね。マジで。いじめてきたやつ、嫌いな奴に何か祟らねえかな。笑

大学生の時
 地方国立大学に入学しました。1年生の時は、真面目に課題をやりすぎて、鬱になりました。また、コロナが明けて、いきなり対面授業になったことから、社交不安障害と言う、人前に出るのを想像したり、人前に出たりするだけで不安感を感じ、異常に赤面したり、震えが止まらないという心の病気を発症しました。普通に過ごしてるだけなのに、何もしていないのにぽろぽろと涙があふれてくるのです。これはヤバいと思い、精神科と学校の支援室に行きました。主治医の先生にしんどい思いを話すと、今までいじめられてきた苦しい過去を思い出し泣いてしまいました。そこから薬を飲んで、徐々に回復していきました。2年になると、また症状がぶり返し、鬱になり、引きこもるようになってしまいました。単位も取れませんでしたが、ギリギリ3年に進級しました。3年になると、就活や将来などのプレッシャーや、授業への恐怖で、ずっと引きこもるようになりました。ほぼほぼ授業にも出れず、自分なんて生きていていいのか、なぜこの世に生を享けたのかを自問自答する日々でした。まあ、死ななかっただけマシです笑
単位もほぼ取れず、留年と言う形で、もう一度3年生をやろうと家族や主治医と話し合って決めました。こんな僕を助けてくれ、本当に感謝です。
話は変わりますが、2年のころ、好きだった人と、2回のアタックを通してお付き合いすることになりました。しかし付き合い始めて7か月たったある日、電話しているとき、「私とは合わない」と言われ別れを切り出されました。僕の何が悪いとかではなく、単に「合わない」という理由、それだけです。クソ。なんやねん。上から目線で腹立ちました。笑 別れました。
大学1年の時に人生の転機が訪れます。それはtwitterを始めたことです。世界中の人と気軽につながれる楽しさを体感し、たくさんのネットの友達や、お世話になっている方ができました。それの影響もあり、長い間夢見てた漢検準1級・1級合格を達成することができました。本当に感謝です。3年生になると、ネットのお世話になっている配信者様に影響され、ついにyoutubeを始めることとしました。最初はわからないことばかりでしたが、徐々にコミュ力や配信のスキル、動画スキルを身に付け、Vtuber化しました。そして今に至ります。

いかがでしたでしょうか。けっこう波乱万丈の人生です。これからどうなるかわかりませんが、何事も頑張っていこうと思います。これからもどうぞ、わたくしGHOSTを、よろしくお願いいたします!ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました。








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