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四月生まれは光って見える

四月が去って、五月。この前、こんなツイートをした。

幼い頃のこと。ダイヤモンドについて、世界で最も硬い物質であると本に書いてあるのを読んだ。テレビドラマなんかを見てると、およめさんになったら、どうやら指につけてもらえるらしい。父が運転する車内で、プリンセスプリンセスが「ダイヤモンドだねー」と歌っている。こどもながらに、「ダイヤモンドってスゴいみたい」と思っていた。

そんなとき誕生石の一覧表を見て、うわー!と思った。四月はダイヤモンドなんだ。四月だけ、こんなに光っちゃってる。他の月もそれぞれにカラフルな石なんだけど、ダイヤモンドの透明なきらきらが何よりも美しく見えた。そういえば、おばあちゃんは四月生まれだ。

一方、わたしは十月生まれ。表をまじまじと見ると、オパールと書かれていた。オパール? なんか、あんまりかっこいい名前じゃないな。写真をしげしげと眺める。白く濁ってて、表面はぎらぎらと虹色に光ってる。なんか……昆虫図鑑に載ってそうな感じだ。わたしはむーと口をとがらす。ダイヤモンドは、こんなにきれいなのに。こんなに透明で、天使かなにかみたいなのに。おばあちゃんはいいなあ、四月生まれで。いいなあ、おばあちゃんはダイヤモンドで。

祖母はわたしが中学生の頃になくなった。あれからずいぶん時が経ったけれど、祖母が四月生まれで、四月の誕生石がダイヤモンドだってことを、わたしは忘れることも、記憶が薄れることもなく、まるで心に刻まれたみたいに過ごしてきた。
「おばあちゃんみたいに年をとるとね、死ぬのがあんまり怖くなくなるのよ」と、いつか祖母は言っていた。あの居間のテーブルの、いつもの席に座って、いつもの湯呑みでお茶を飲みながら、関東生まれの、スマートな標準語でそう言っていた。祖母は自分の心地良いものをよく知っている人だったと思う。「それは、わたしはあんまり好きじゃないわ」なんてサッパリ言うところなんか、かっこよかった。家の中にいても赤い口紅をひいて、かわいらしいスカーフをいくつも持っていた。祖母のつくる甘い卵焼きが、とても好きだった。
そんな祖母の光を、わたしは今も四月生まれの人にかすかに見つけるのかもしれない。

それから。大人になった今、十月の誕生石もなかなか悪くないように思う。オパールは確かに七色に光ってタマムシみたいだけども、どこか印象派の絵画みたいに見えなくもないし。
四月が去って、五月。五月の石はエメラルド。季節をそのまま閉じ込めたようなさわやかなグリーン。五月もいいな。五月生まれの人も、いいな。
顔をしかめて誕生石を吟味していたあの頃を思うと、年を重ねてふと嬉しくなるのは、こうやって何事も「全部それぞれいいのだ」って思えることかもしれないな、そんなふうに思う。

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