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好きなアーティストが陰謀論にはまったら

突然だが、私は平沢進というアーティストのファンクラブ(Green Nerve)にはいっている。

一番好きなアーティストはDavid Bowieではあるが、平沢進の楽曲センスはとびぬけていると思っている(なお、Bowieと平沢はまったく関係ないわけではないが、それは割愛する)。

しかし、ファンクラブはもう更新しないつもりだ。楽曲ではなく、彼の発言が正直耐え難いものになっているから。ここではその心情を書こうと思う。キャリア40年以上のアーティストに対する超浅いファンからの「さようなら」である。

平沢進との出会い

最初に平沢の音楽に触れたのは2019年のフジロック(配信)である。

(上記の動画は2021年、フジロックに再度出演したものだが、この楽曲「夢みる機械」は19年にも披露した)

メロディーを奏でるテスラコイル、朗読される謎の詩、サビのローマ式敬礼みたいなポーズ、お辞儀すると盛り上がる観衆。すべてが異質であった。確か19年はThe Cureが目当てで配信を見ていたはずだが気づけば平沢進の虜になっていた。

Youtubeに転がっている動画はほとんど無断転載なので、ここでは紹介しないが、朝から晩まで見ていたこともあった。

パフォーマンスと同時に魅力を感じたのはその詩である。

RIDE THE BLUE LIMBO ハイヤイヨー
孤児のように強く
RIDE THE BLUE LIMBO ハイヤイヨー
迷子らしく求め
RIDE THE BLUE LIMBO ハイヤイヨー
誰ひとり落とすな
RIDE THE BLUE LIMBO なおもまだ
人らしく勤め

出典:joysound

アルバム「Blue Limbo」収録の「RIDE THE BLUE LIMBO 」の一節である。詳細は省くが、イラク戦争を受けて作られたこの曲では過ちを繰り返す人類への希望が歌われていた。この難解な歌詞の中にある純粋な希望に惹かれていった。

初のライブ参戦と感じ始めた違和感

2020年2-3月に有観客で実施されたライブ「会然TREK」には参加できなかったが、2021年4月の「24曼荼羅」には参加した

その名の通り(?)スネアドラムを24万回たたくライブである(厳密には違うのだが)。これまで聞いた楽曲が生ドラムの強烈なビートにのせられるのは快感であった。またあこがれた人が目の前にいること、そしてコロナ禍で観客を入れてライブをやった反骨精神がかっこよかった。

※ちなみに筆者はノーマスクでもないし、ワクチンも3回打っている。ただ、ライブをやることが即非常識みたいな風潮ははっきり言って嫌であった。

その24曼荼羅の1か月後、平沢はこんなツイートをした。

正直、自分はTVの「こんなところにマスクしていない人が!」みたいな感じで一般の人をカメラで追いかけ、映すという報道とは思えないものに辟易していた。私でもそうなのだから、メディア不信が強く、健康への考えが独特な平沢はまあ、多分マスクしねぇんだろうなと思っていた。だから、このときはこの発言を受け入れた。

ただ。「客にマスク必須でライブやっといて、この言いぐさは何だ?」とは思った。

そして、このツイートがあった。

説明するのもバカみたいだが、動画はドナルド・トランプの狂信的支持者がよっている「Qアノン」と呼ばれる陰謀論をなぞったものだ。

はっきり言って、私はトランプが嫌いである。そして、「Qアノン」も好き嫌い以前に意味不明で論ずる価値もないと思う。とはいえ、彼らからみたら私たちこそ陰謀論者なのかもしれない。そう思って受け入れることにした。

こんな奴のファンを名乗るなんて!と言われそうだ。しかし、平沢が何を考えていようと根っこにあるのは「人類への希望」で、それは変わっていないんだと思っていた。それがノーマスクや「Qアノン」に歪んだ形でつながってしまったんだ。そう思うことにした。

新作発売。「アーティストの作品と思想は分けて考えるべき!」…なのか?

そして昨年7月新作「BEACON」が発売された。これまでの平沢の作品に見劣りしない良策で、彼らしい「さわやかな不気味さ」にあふれていた。

なかでも「TIMELINEの終わり」は沖縄を思い起こすようなメロディーと背中を押してくれるような歌詞の一曲でこれまでのファンからも、新しいファンからも評価が高かった。

当然、アーティストの考えと作品の連関は様々な意見がある。分けて考え、どんな人であっても音楽は需要するというのも真っ当な考えだと思う。しかし、平沢のこの作品はそう断言できない。

このアルバムはこれまでと同じくコンセプトアルバムである。もっと読解力のある人に詳しい解説はゆだねるが、中心は「新しい世界への目覚め」である。というか本人が言っている。

そう、この作品は陰謀論的な世界観を前提にしているのだ。「TIMELINEの終わり」で背中を押しているのはドナルド・トランプであろう。

しかし、この曲、めちゃくちゃいいのである。だから困る。この作品を聴くことは陰謀論的な世界観を外部から見て楽しむといういびつな状態になっているのではないか。でも私はこの作品を聴き続けた。なぜならトランプであろうとそこには「人類への希望」があると思っていたから。

とはいえ、平沢の根っこ自体が変わっているのではないかと思い始めたのもこのころ。これまでになく善悪二元論的なものが目立ったからである。

平沢進は変わったのか

そうこうしているうちにインタラクティブ・ライブが発表された

※インタラクティブ・ライブとは新アルバム発売後に開催されるライブ。ストーリー仕立てで進み、観客はいくつかの分岐点で意思表示をし、ストーリーに介入できる。

陰謀論的な世界観が出たアルバムでストーリー仕立てのライブをやる。そこに一抹の不安を覚えながらもチケットを購入。2公演行くことになった。

そんな折、ロシアのウクライナ侵攻があった。生活を、命を破壊する許しがたい暴挙である。そして、この時にわかに注目のあつまった平沢進の楽曲がある。

「高貴な城」だ。前述の「Blue Limbo」収録曲で、イラク戦争へのストレートな怒りが表明された楽曲である。

疚しく光るマシンから
なだれのごとく紡ぎ出す
偽証の理 未曾有の血
声を隠し歌を隠し

聞こえるか ああ 聞こえるか ああ 地の果ての母を撃つ音
ああ 書き記せ ああ 書き記せ ああ気高き君の城壁をうめて

出典:平沢進公式サイト

平沢は同じように今回の暴挙への怒りを表明してくれると思っていたリスナーは多かった。一方、私は一抹の不安を抱えていた。なぜなら「Qアノン」ではプーチンはトランプと並んでヒーローだからだ。

そして、3月7日、夜twitterを開くといきなりこれが目に飛び込んできた。

愕然とした。

平沢進は他者への哀れみすらも失ってしまったのだと察した。これだけなら「募金先は考えないと、怪しい団体に行くよー」みたいな投稿だともとれる。しかし、

これらを読むと、パズルのピースははまっていく。そこに現れるのはプーチンをただ擁護し、戦場の実態から目を背ける姿だった。そこから「人類への希望」も「人間愛」も感じられなかった。

TVから離れ、人間本性に目を向けようとした平沢進。その行きついた先がこれかと思うと、もう空しくてしかたなかった。

そして、平沢は異論を唱えるファンをブロックしている。その姿は平沢が嫌っていた権力者にしか見えなかった。

今私はアルバム「AURORA」を聴きながら、これを書いている。宮沢賢治からインスピレーションを受け、「科学と祈りの間」をうたったその姿と今の平沢。その距離は埋めがたく聞える。

それでも…

彼の「ファン」を名乗ることはないだろう。

今まで作ってきた作品に耳を澄ませ、その時平沢が考えていたことに思いを巡らせたい。

にわかが何言ってんだとも思われるかもしれない。しかし、政治的発言を控えていて、2003年のイラク戦争で惨状を聞き、怒りに直になろうとした平沢進の人間愛、それは今でもとてつもなくかっこいい。

それでも、インタラにはいく。買ってしまったんだから。純粋に楽しもうと思う。

いや、楽しませてくれ。「この人の音楽に出会えてよかった」ともう一度思わせてほしい。ファンをやめようとしていることを思いとどまらせてほしい。もう一度ワクワクさせてくれ。

インタラの感想もnoteにするかもしれない。

ここまで読んでくれた方、駄文にお付き合いいただきありがとうございました。

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