江戸和竿の経験 シーズン2 その4
この稿を書いているのは3月頭でまだ少し寒い。例年私が良く通っていた釣場は水路のようなところであり、シーズンオフが無かった。フナとヤマベが1月でも2月でも釣れたのだ。すぐ足元を釣り、水深は深いところで60センチくらい、タナゴでいう「エンコ釣り」のスタイルが可能だった。釣れるのであれば、温かいお茶かコーヒーを水筒にいれて、昼前後の数時間は平気で頑張ることができる。しかし昨年のある時期、上流で完全に水を堰き止められてしまい、いまは完全に水が枯れているので釣りにならない。本当は少し遠出をして釣場を探すべきなのだが、遠征が好きではないので、どうしても自転車で15分圏内くらいではないと釣りに行く気が起きないのだ。
江戸和竿と相性のよい道具類を揃えたい
江戸和竿は天然の素材で作られている。天然のものという以前に見た目に美しさと温かさがある。さてそのような工芸品を手にするときに、竿の相棒ともいうべき道具類との「相性」が気になる。スタイルとして「統一性」を持たせたくなるのは自然なことである。まず具体的には竿袋である。江戸和竿のための竿袋の口を閉じるのにチャックやジッパーのようなものは似合わない。紐あるいは紐的なものである必要がある。そしてなるべく素朴なデザインである方がいい。竿師によって決まった意匠の竿袋と竿師の銘を書いていたり、落款を押したりしていることもあるだろう。東作は渋くて落ち着いた竿袋を用意する。竿辰はレモン色の竿袋を使っている。竿師から竿を買う場合は必ず竿袋を付けてくれるだろうが、中古市場において買い求めた場合、必ずしも竿袋が付属していない場合もあるし、竿そのものと竿袋がまったく似合っていない場合も多い。その時に竿袋だけを買い求める必要が出てくる。器用な人はミシンで作ってしまうだろう。私は竿袋のほとんどを根津で買い求めている。もう十袋くらいは買っているのでどこの棚にあるのかわかり、竿富親方に断りをいれてから自分でめぼしいものを探させてもらうようになっている。
竿袋は自宅から釣場まで移動する際に、大切な釣竿を守ってくれる。そして釣りの後、竿油を浸した布でさっと表面を拭いたあとに、同じ竿袋に「またよろしく」と挨拶してから戻す。
川釣りの場合は、ウキとミャク釣りがある。ミャクの目印についてはここでは述べない。今日はウキに限定して話をしたい。ウキについて調べてみるとそれなりに深い世界があることがわかる。江戸和竿の相棒としてはプラスチックの丸ウキはどうも格好がつかず、漆塗のウキを自然と探し始めることになる。いろいろな形状と塗りのウキが存在する。少し遠いポイントを攻める場合、老眼が来ているために、ウキの動向がなるべく分かりやすい方がよい。色については、朱とか白とか黄色とか。沈みが分かりやすいために、縦に長い唐辛子のようなものを選んだりする。独楽のようなもの、団栗のようなものがある。使い込んでみるとどうしてその色使いと形状になったのか、何となく理解できる。
ヤマベ用に使える小型のウキの分野で「馬井助」なるものが高価で取引されていることにやがて気づいた。しっかりした箱に収められ落款がある。驚くほどの値段がついている場合がある。まるで人間国宝の職人が作った茶碗のような扱いである。機能面と美しい色使いなど兼ねているものはもちろんある。しかし意匠面で行き過ぎていて、「弱さ」を感じさせるものがあり、全面的に馬井助だから素晴らしいということにはならない。いちど箱に入っているものを「これは誰にでも売ることはできないんだけど」と前置きをされて見せてもらったことがある。私は店主には伝えなかったが本来の釣りという本筋から逸脱しているように思ってしまった。
釣ったあとに「弱る」速さは、魚によって大きく異なる。フナはとても強いが、ヤマベはとても弱い。エアーレーション(酸素の供給)がない場合、ヤマベは早々に死んでしまう。あるいはジャンプして脱走を試みる。フナは水さえあれば、数時間平気で生きている。私は餌つりを始めた際に、まずはどのホームセンターでも売っているような透明のプラスチックケースの臨時水槽に魚をいれて、観察したのち、逃がしていた。プラスチックケースのフタに何度もヤマベが頭をぶつけるのを見るのは心地よいものではない。どうやったらヤマベを元気に川に戻すことができるかを考え、縦長の網魚籠、そのあとに鮎釣師が「おとり鮎」を生かすケースを使うようになった。大きな船のようなものではなく、コンパクトなステンレスのものである。水に漬けておき、常に水流と酸素が供給されるので、ストレスはあるだろうが、死んでしまうことはない。私にはブラックバスを釣っていた小学生時代からキャッチアンドリリースが染み込んでおり、どんな魚でも釣ったあと逃がす習性が抜けない。したがってフナもコイもカワムツも、当然ヤマベも逃がす。本当は以前のように釣り上げたら即逃がせば良いのだが、小型の魚はどうしても10匹くらい釣って群れのような様子を観察して満足したいという気持ちが勝る。1980年代くらいまでだろうか、各地でヤマベの釣り大会が開催されていた時代は、1時間で100匹くらい釣る猛者もいたという。その場合は競技の釣りで当然検量などするから、ヤマベのような弱い魚はすべて死んでしまうだろう。私のように釣った魚を食べる習慣がない者からすると、この話を竿師から聞いたときに、1時間でも100匹釣った事実よりも、100匹も殺してしまったのか、ということの方に暗いインパクトがあった。大なり小なり釣りという行為は魚を傷つけているので、あまり批判する資格はなさそうではある。
しかし、「ヤマベはおいしい」という記述を複数見つけて、「いちど食べてみようかしら」という気持ちになっている。
「戦後は改良バヤがうんと増えたわね。地バヤと勢力が逆転したかんじじゃった。けんど最近はそうでものうて、また地バヤが増えちゅうようやね。食べて上手いのが改良バヤのほうじゃ。夏場はさっぱりした魚じゃけんど、寒の時期には味が出てくる。から揚げらあにしたらなかなかのもんよ。(宮崎弥太郎、かくまつとむ 仁淀川漁師秘伝 弥太さん自慢ばなし 2020年 山と渓谷社)ここでいう地バヤとはカワムツのことで、改良バヤがヤマベである。
そうすると釣場から腐らせずにどうやって自宅まで持って帰るか、それも「
なるべく良い装いで」となると、竹でできた魚籠に辿り着いた。構造的に風が通り、フタもあり日が当たらず、比較的長時間保存が効くらしいのだ。釣りの世界で有名な作家の物があるようだが、名もない作者のものでもたいへん品質の高いものを手ごろな価格で中古市場において買い求めることができる。
押上
仕事が忙しくてまた気持ちにゆとりがなく、しばらく押上を訪ねる時間がなかった。少し暖かい日の昼に、昨年親方にお願いしたハゼ竿の修理の状況を確認しようと半蔵門線に乗った。押上の駅周辺、スカイツリーの麓は相変わらず外国からの観光客で賑わっている。「こんにちは」と暗い店内に入る。すると「はーい、脚が悪くてね、すみませんね、いま行きますから」と奥の居間から竿辰親方の声が聞こえる。
私がお願いした2代目竿辰のハゼ竿はややこしい修理が必要で「もう少し時間がかかります」といわれた。私はいつもどおり「急いでいません」と回答する。
水雷の竿を見せてもらう。ハゼ竿でよくみる「中通し」ではなく「外通し」で、穂先はセミクジラである。とても細いガイドが着いている。もともと女性の釣師が中通しの構造を嫌がり注文したものの姉弟竿らしい。水雷(すいらい)とは、競技竿で船で釣りをするときに人よりも多く釣るための選択肢としての短い竿である。水雷そのものにはあまり興味がなかったが、竿辰親方からその竿が作られた背景を聞いて、手に持たせてもらったときに、ハリー・ポッターシンドローム(ハリーポッターが魔法の杖に出会ったように、その釣竿が釣師としての自分の訪問を待っていたかのように錯覚する現象)に打たれてしまった。手許部分に太い紐がついている。海用の江戸和竿の多くには紐が着いているのはなぜだろうと思っていたが理由を尋ねると、船の上から海水面に落とした場合に備えてのものということだった。