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江戸和竿の経験 シーズン2 その16

山形に出張した際タクシーを利用した。少し移動が長いと運転手と雑談をするようにしている。
ちょうど山形と秋田に100年に一度くらいの規模の豪雨があり川の下流に住む人たちは甚大な被害を受けた後だった。農家もたいへんで経済的な打撃を受けたのは間違いない。呑気な発想かもしれないがものすごい激流の中、川に棲息している魚たちはどうやってやり過ごしているのだろうか、あるいはやり過ごせなかったのか、と考える。釣師としての個人的経験からいうと魚たちは大雨の後しばらくするとその場所に戻ってくる。地形が変わってしまったら話が別だが川の周りの植物や木がなぎ倒されたような状況であっても魚たちは水の流れに変更がなければホームに戻る、というように理解している。彼らは人間が天気予報によって異変を知るより早く何かの自然のサインを感じて避難しているのだろうか。
10年以上前に鹿児島に住んでいた頃お世話になった釣具屋の店主は「毎日空を眺めるという習慣を続けているとやがて天気はある程度予測できるようになる」と教えてくれた。しかし私の空眺め天気予報士生活は三日坊主に終わった。

タクシーの運転手は70歳前後の男性で息子さんが川の上流に住んでいる。お孫さんが川でカジカなどを網で採って家で観察したいといったものの、清冽な環境ではないのですぐに家の水槽では死んでしまったというような私も経験があるような話を聞く。ふと「鮎はこちらでは釣れますか?」と聞いてみた。
すると「この地域の鮎はおいしいです。小国川の鮎は特別に美味しいです。近くに他の河川もありますが風味がまったく違います」と熱弁を振るわれた。運転手は鮎釣りはしないが同年代の友達が友釣をやっていてシーズンになるとSNSで自慢の写真が送られてくるのだという。「夢中でやってますよ」「鮎が釣れると聞いたら彼は全国どこでも行きますよ」
「すべての魚は、いずれもお国自慢であるが、中でもアユという魚は、どの地方へ行っても鼻高々と自慢の種である。水戸那珂川のアユは、砂食いといって、東京の者には喜ばれないが、土地の人は、黄門さまと同じように日本にひとつしかないと自慢する」(「江戸前つり師」三遊亭金馬 徳間書店 1962)
「鮎が水垢をなめて育つのは誰でも知っている。人間に米や麦が必要であるのと同じようなものだ。しかし、水垢のないところでも、鮎は育つ。田圃の用水にも、溜め池にも棲んで大きくなる。甚だしいのになると、相州小田原在山王川のような溝川にさえ、盛んに鮎が溯上してきて育っている。だが、水垢のない川で育った鮎には香気がない。そして、肉がやわらかでおいしくないのである。鮎という形を備えているのみで、食味としては劣等品である。」(「釣の本」佐藤垢石 改造社 1938)
「アユがおいしい」というのはその川が健康であるということである。石に良質の水垢が育ちその水垢をアユが食むわけだが、アユ本来のおいしさと藻がブレンドして、最高の味ということになるようだ。タクシー運転手の友達に比べると、電車で1時間くらいかけて移動しハゼ釣りにいくことすら面倒臭いと考える私などは釣りキチとは言えないだろう。
 釣りキチといえば「東吉(宇田川吉太郎)」のドブ釣りの竿を私は持っている。ドブ釣りとは毛ばりで鮎にアプローチする手法のひとつである。鮎釣りには、代表的には友釣り、ドブ釣り、コロガシの3つがある。近年の名人汀石(島田一郎)が鮎竿に取り組む上で東吉を「手本にした」というからそれは凄い竿師に違いない。そう思って状態の良い中古品をついつい買い求めてしまったのだ。私はカーボンの鮎竿を見たことがないのでそれと比較して和竿がどうこういうことはできない。だからだろうか太さの割にその竹の長尺の竿を「とても軽い」と感じた。東吉の竿にはかわいらしい魚の形をした焼印が押してあるものの、竿そのものは素朴でコスメティック的なところへの関心の薄さは明らかである。あくまでも釣るための道具としての機能を追っている。もちろん竿から醸し出される全体として統一した美意識は強く感じる。これは汀石、竿辰に共通する。
竹を素材とする和竿の場合近年カーボンの友竿で鮎をヒョイっと抜き上げてタモでパッとキャッチするというようなことはしなかったといつか竿師の親方が教えてくれた。竹の反発力で自然とアユが寄ってくるのを待ったものだと。
しかし鮎竿は相当に太いので場所を占有する。しばらく鮎にはチャレンジする機会がなさそうだから誰かに譲ろうかと考えていたところ上記のとおり山形で「鮎は美味しい」という話を聞いて、東吉を手放すのは保留することにした。

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