江戸和竿の経験 その6
江戸和竿の名家
御三家といえば、東作、竿忠、竿治、四天王といえば竿辰が連なるだろう。
上記以外の数多くの竿師が存在し、存在した。2024年春現在店舗を構えているのは、稲荷町東作、北千住の竿忠、押上の竿辰である。しかし東作はお店としてのブランドでもあり、竿師としての東作は空席である。東作の血筋は続いているので、いずれ実力をつけた東作が世に出てくるだろう。私が過去数年で、入手した和竿のうち、「江戸」和竿師としてリストアップされている竿師の手によるものは、2代目竿辰、3代目竿辰、(おそらく)3代目竿忠、竹の子(4代目竿忠)、(おそらく)3代目竿治、(おそらく)4代目竿治、東俊、東正、俊貞作、俊行作、俊秀作、竿庄、竿かづ、東吉、汀石、初代竿富などである。「おそらく」とカッコを付けているのは、何代目か定かではないからである。
江戸和竿の総本家は東作である。東作から釣音が分かれ、釣音の子として竿忠が生まれ、竿忠の叔父さんに竿治がいて、竿治の弟子に竿辰、竿金などがいる。4代目東作には弟子が多く、彼らはわかりやすくだいたい「東〇」「〇作」という銘を持っている。しかし源流を東作に遡らない江戸和竿師のグループもあり、それらの竿師たちによる和竿の品質が劣るということはないと思う。
代表的な江戸和竿の系譜は東作系と釣音あるいは竿忠系である。なかでも書籍類などをみる限りでは初代竿忠は別格の扱いを受けている。読み方に注意しよう。「さおちゅう」と読む。ややこしいのは「名人」という形容詞である。5代目東作松本栄一「和竿辞典(1991年つり人社)」では明治から昭和にかけての名人として、3代目東作、初代竿忠、初代竿治、東治、東吉、2代目竿辰、初代竿敏の名前が挙げられている。
名人の竿に興味津々という人は私以外にも大勢控えていると思うが、6代目東作松本三郎「竹、節ありて強し(2000年小学館)」によると3代目以前の東作の竿はほとんど「残っていない」という。当時東京の釣師が保有していた名人作の和竿は東京の街もろとも震災や空襲であらかた燃えて灰になってしまったのだろうか。しかし名人による現存する和竿は少ないとはいえ、ツチノコ級ではない。具体的には竿辰、東吉、竿敏などは流通し、ネット上で取引されているのをときおり見る。しかし初代竿忠、初代竿治、初期の東作、東治などは葛島一美の「和竿大全(2017年つり人社)」などに掲載されている写真を博物館的に眺めるのみである。あるいは私にはアクセスできない流通のプライベートなネットワークが存在するのかもしれない。
私は自身の目が鑑別する能力という点で十分に鍛えられていない間は、あやしい竿を入手してしまうリスクを小さくしたくて、流通する江戸和竿のうち、どういったものが世の中的に「価値がある」といわれているものなのか知りたくて、著名な竿師の名前とその焼印について調べることに結構な時間を費やしていた。葛島一美の「続・平成の竹竿職人 焼き印の顔(2007年つり人社)」などは愛読書兼参考書である。同氏の他の江戸和竿関連の書物同様、とても人気があり、高値で取引されている。
審美眼はある程度懐を痛めないと鍛えることは難しいかもしれない。私の場合、20本くらい入手して、「自分の好み」というものがやっと分かってきた(気がする)。あまりコスメティックに意匠を凝らしたものよりは、素材にこだわりがあり、デザインは素朴、無骨なものが好きである。
竿師と戦争
私は戦争を知らない世代である。しかし私が小さかった頃に比べると戦争というものが起きる可能性、現実味は高まっている雰囲気はあると思う。それだけに江戸和竿の参考文献を参照している中で、戦争(太平洋戦争)というキーワードに出会うとどうしても注目、反応せざるを得ない。三遊亭金馬の「江戸前つり師(1962年徳間書店)」のヤマメ、ハヤ、ヤマベの章で、「太平洋戦争が夜店の植木屋みたいに大負けに負けたあげく、ぼくも焼けは出されて玉川の尾山台にしばらくいたことがあった」という時代背景の説明があり、歩いて多摩川まで釣り通ったというエピソードがつづく。汀石は「24歳で応召した」と端的に触れているのみである(汀石竿談義1975年文治堂書店)。彼らにとって個人的な戦争体験が小さいわけではないだろう。これらの本が出版された時代というのは戦争を知っている世代が多く生きていたこともあり、戦争を振り返る必要性がなかったのではないか。6代目東作はシベリア抑留を経験している。「あの体験は筆舌に尽くしがたい」と「竹、節ありて強し(2000年小学館)」において短くコメントしている。4年間も抑留されていたのだ。
4代目竿忠は、空襲により家族を一晩で失ってしまった。それから三遊亭金馬、土師清二ら世代にわたり竿忠の家族と懇意にしていた人たちのサポートがあり、グレていた生活をリセットし覚悟を決めて修業を始めたのだ。竿忠の流れを汲む竿辰親方が中根青年を温かく迎えたという。私が所有している「竿忠の寝言(1976年文治堂書店)」は初版が出てから45年後の再版であり、巻末に4代目竿忠による付録「寝言以後」がある。私はこの本のオリジナル部分、断片的なとりとめのないエッセイ風な構成、当時の東京の風俗の読み物として面白くないとはいわないが、付録の方がより読みごたえはあると思う。4代目竿忠の壮絶な経験と覚悟、謙虚で知的な筆致に強い印象が残った。その後、運よく「竹の子」の鮒竿を入手することができた。竿忠銘の鮒竿を触ったことがないので、竿忠らしさの影響があるのかどうかはわからない。しかし気のせいか竿辰っぽい無骨な意匠と作りの竿である。