江戸和竿の経験 その3
江戸和竿の実用性と機能
長らくルアーやフライロッド(一部バンブーロッド含む)を使ってきた私が当初想定していたイメージと比べて、和竿は「丈夫」であり、機能面では「工夫」され、また意匠面で「洗練」されている印象を受けた。単にしなやかな素材の竹を継げるようにしてあるだけではなく、「釣りやすさ」を追及している。
しかし「いい話」ばかりしていてもしょうがない。江戸和竿で釣りをして、「おや?」と思った経験をお伝えしよう。
ある初夏の曇天の日中、いつものポイントに鮒釣りにいった。何匹か釣った後、小雨が降り始めた。その竿には口栓がついていた。口栓とは竿の差し込まれる側に用いる文字通り「栓」である。私は雨水が入らないように栓をして、急いで帰宅した。しかし、家に帰って口栓を抜こうとしてもビクともしない。水が竹に染み込んで膨張してしまったのだろうか。押上の竿師竿辰親方に相談すると「1週間くらい置いておけば、抜けますから大丈夫です」という。しかし1週間では抜けなかった。1か月くらい放置していたところ、スポンと抜けた。
釣竿の穂先は竿全体のアクションと釣り味に決定的な役割を果たす。竿の中には、何匹か釣ったのちに、「反り」「曲がり」が出てくる竿がある。これは新品でも中古であってもあり得る。一方でそれらの現象が起きないか目立たない竿も存在する。穂先や穂持の弱いものは減点の対象になる旨、「汀石」こと島田一郎は「汀石竿談義(文治堂書店1975年)」の中で厳しく述べている。気に入った竿の穂先にグワンと曲がりが出たのには呆然としてしまったが、「まあいいや、これも学びのひとつだ」と自分を納得させている。さらに、曲がりがでてもやがてまっすぐに戻る竿もあるから不思議である。これらはもとの原料としての竹のオリジナルの性格と竿師の焼き入れという工程の優劣が影響しているらしい。
江戸和竿は「1本のまっすぐな竹」を伐り、持ち運びができるように何等分かに分割して、それを改めて組み直しているのではない。イメージする硬さやアクションを作るために、別々の竹の在庫から原料を選んで、組み立てるのだ。いろんなオプションを検討して最適解を探すのだ。あるいは原料としての在庫がないのであれば、竹を探しに山に行くのだ。それらの素材はかならずしも同じ竹の種から取っているのではない。竹にもいくつか種類がある。
浮きの釣り、ミャク釣りというものがある。浮き釣りは、ウキというものを目印にして魚のあたりを視覚的に把握する釣りである。ミャク釣りとは、感度によってあたりを把握する釣りである。そのために穂先の素材がとても大事ということになり、穂先の素材を見れば、どのような釣りを狙いとした竿か予想がつく。布袋竹の穂先は信じられないくらい敏感に針先の異常を釣師に伝える。4メートル以上あるヤマベのミャク竿で、3センチくらいのヤマベの稚魚のアタリが容易に感じとれるのには驚いた。
素材の強さのみならず、竹の重さ、太さも考慮に入れて、釣師が疲れないように素材を選んで竿は設計される。もう一点、竿の継ぎ方として、並継ぎと印籠継ぎというものがあるが、水戸黄門的な名称から印籠継ぎが高級竿と勘違いしている人が多い。私もその一人だった。事実、同じような長さの竿の場合、印籠継ぎの方が値段は高い場合が多いだろう。しかし、並継ぎにするか、印籠継ぎにするかは、釣師の竿の曲がりの調子の好みであり、その求める釣りに合っているかどうかで決まるので、「自分は高級志向だから印籠継ぎ」というのは本末転倒である。印籠継ぎは芋継ぎともいわれるが、並継ぎと異なり、より胴調子になる。先端ではなくセンターよりに曲がりがくるのだ。
最後に漆について。50年くらい前の竿辰の竿で、漆がところどころ剥げていてみすぼらしいと感じ、どうにかならないかと押上を訪ねた。竿辰親方はてっきりすぐに漆を塗り直すことに同意してくれる思いきや「いい竹の色が出ているじゃないですか」と思いもよらぬ反応を示した。その時に漆というものは経年変化すること、その経年変化を楽しめるということも和竿を所有する喜びのひとつだと気づかされたのだ。