江戸和竿の経験 シーズン2 その7
タナゴ竿で小鮒を釣る
4月、花粉症がいったん小康になりくしゃみの頻度が減ったようである。人がいうには花粉の種類が変わったのだという。本当だろうか。
数年前から通う用水路に水が戻っていた。口コミでいずれロコアングラーたちがやってくるだろうが、地元民として地の利を活かし、早めに数釣を楽しみたいと考えた。ここのポイントは例年鯉、鮒、ヤマベ、カワムツ、アブラハヤ、クチボソ、カマツカ、ドジョウ、タモロコが釣れる。しばらく同じ場所で季節問わず頻繁に通っていると「みえてくる」ものがある。ダイサギやカラスはきっと私のことを認識している。「また、あいつがきた」と。水の流れの強さに対する好みは魚によってだいぶ異なるようだ。ヤマベやカワムツは流れのはやいところを寧ろ好む気がするが、緩いところも大丈夫である。一方、鮒やクチボソは流れがあるところの近くでより流れの緩い場所を好む。その流れがあるところからの距離感も大事で、鮒やクチボソは流れから遠ざかる傾向にある。しかしナマズなどの捕食者は本気を出せば流れに逆らって泳げるし、遊泳力のない魚が上流から流れてくるから、流れの付近の下流側の影や深いところにじっと隠れていることが多い。
さて、川底を覗くと子魚が多く群れているのが確認できた。注意深く観察すると小鮒や中鮒がヒラを打つのが確認できた。ギラギラっと鱗が反射する。フナは底にいることが多く、ここでは棚を合せることがとても重要である。竿辰親方には怒られるかもしれないが、魚の引きを楽しみたくて、鮒用ではなく昨年押上で買い求めた5尺ほどのタナゴ竿で、短い時間だが楽しい時間を過ごした。
佐藤垢石と井伏鱒二
80年代、90年代をルアー時々フライによるバス釣りに興じていた私たちの世代にとっては、単なるこどもの遊びではないちょっと格調高い釣り、釣りに釣り以上のものを求める気持ち、そんなオトナな心情を味わわせてくれる代表的作家に開高健がいた。私は早稲田大学の歴史ある釣りサークルに所属していたが、開高をリスペクトする先輩がいて、少しでも批判的な文句を吐こうものなら、「開高を理解できないオマエのレベルはそんなものだろう」と攻められ大変閉口したのを覚えている。私はいまだったら少し彼の文章を咀嚼して味わい深いものとして読むことができる気もするが、当時は彼が使う道具類、アブのアンバサダー、ヘドンのプラグをいちいちカッコいいなあ、真似したいなあとあこがれており、カタログ的に「オーパ!シリーズ」などをパラパラとページをめくっているのみだった。
最近は釣り人の心情の機微や心理を表現している文筆家としては佐藤垢石と井伏鱒二に注目するようになった。佐藤垢石は「垢石」という名前から容易に想像できるように鮎釣りに精力を傾けた人物である。文章もとてもうまい。井伏鱒二は佐藤の釣りの弟子である。ふたりの関係性は井伏のエッセー「川釣り(1952年岩波書店)」「釣師・釣場(1960年新潮社)」などから伺うことができるが佐藤はかなり豪放な、釣りの方針と実行については有無を言わさぬ鬼軍曹のようなところがあったようだ。佐藤は多摩川で脱糞をしたことがあるらしい。(土師清二 魚つり三十年 青蛙房 1957年)
多摩川は私にもなじみのある釣り場であるが不幸にもまだ脱糞する機会に恵まれていない。しかし私のこども2人は小学生の低学年くらいの時期に脱糞をした。だから佐藤がいい年して尻をプリンと出してその行為に及んだというエピソードを知って、親近感が沸いた。しかし釣場では合いたくないタイプではある。