江戸和竿の経験 シーズン2 その18
10月末根津に顔を出してみる。季節通りの寒さで長袖が必要になったり、翌日には半袖の猛暑になったりする。しかしその日はとてもすこやかな天候であった。
住まいを海沿いに移すプランがあり、海用の竿を欲しくなり、しかし海の小物の釣りをどうやってやるのか、どんな釣りなのかもわからず教えを請いに行ったのだ。
まずはカワハギから。ガサゴソと入口正面から見て左の「海用の棚」を探りいくつか見せてくれる。私はいままで淡水の竿ばかり見せてもらっていたので、左の棚の探索は初めてかもしれない。淡水の竿は反対の右側の棚にある。
最初に見せてくれたのはセミクジラの穂先の竿たちだった。私にはソリッドと鯨の区別がつかない。しかし親方は見た目でどっちかはわかるという。「そりゃあ、わかるよ」
黒かったり、ちょっとクリーム茶色だったりするが、色の違いは何か目的があるのか?と聞くと、「まあ、気分だね」「イワシもいいけどやっぱりセミだよ」
何しろカワハギは美味しいという。身だけだと淡泊だけど、肝がこれまたうまいんだよ。
カワハギは両軸リールを付けることが多い。カワハギ釣りが流行ったのは戦後だという。戦前の釣りの本でカワハギの名前は出てこない。リールの登場によって深場にアプローチできるからこその釣りなのだ。私が買い物をするスーパーにはカワハギは少なくとも置いていない。小舟を浮かべて、江戸和竿を使って20センチくらいのカワハギを3匹くらい釣って家に持ち帰り、家族と食べたらそれは最高じゃないかと親方の話を聞きながら食卓の団欒を想像した。
次にシロギス。シロギスの方は、ソリッドの先端の竿が多かった。シロギスはスピニングリール仕様が多い。そこまで深場ではないし、「ちょい投げ」をするために、バックラッシュをする両軸は不向きだという。カワハギ用の竿もシロギス用の竿も見分けがつかない私の反応を見てか、カワハギはアタリをとることが非常に大事であり、シロギスは重りで曲がるようなやわらかさがあり、魚が持っていくとグーっと曲がっていくようなものがいいという説明だった。シロギスとアオギスは大きさも違うが、「鱗が違う」という。アオギスは掛けバリというもので引っ掛ける釣りが主だったそうだが、アオギスは針に掛かるが、シロギスは針には掛かりにくいという。その昔根津ではアオギス用に掛けバリも作って販売もしていたという。
竿富の親方は釣りの腕も凄腕で所属する釣りクラブで横綱であったくらいなので、釣場でも常連であり、アオギスのときは懇意の船頭から頼まれて脚立を並べることなどを手伝うこともあったという。
横浜方面の竿では素材として「丸節」を使っている。丸節という素材について質問すると、あれは漁師が使う素材で私たち江戸和竿師は「好んでは使わない」。つまり何がいいたいのかというと東京の専門の竿師が使うべき主たる素材ではない、他の仕事(専業は漁師)の合間に手近にある竹を使って適当に誂えるということ自体が釣りの用途や顧客の嗜好を深く理解して素材を選択する江戸和竿師としてはあまり快く思っていない、竿作りの姿勢が違うとおっしゃっているのかしらとの印象を受けた。
カワハギ用もシロギス用も時間をかけていろんな長さ、硬さ、素材、意匠の竿を見せてくれた。ふと外をみると運送屋さんが入口のところで歩道側でモジモジしていた。親方と私が熱心に話し込んでいるので声を掛けられなかったのだ。運送屋さんに「何か荷物ですか」と声を掛けると「はい、着払いの荷物がございまして」と申し訳なさそうにいう。親方は奥様から預かったというお金を払いその後しばらくレクチャーは続いた。
いわゆる金銭的な値段からいうと安い買い物ではないかもしれない。しかしどうやって対象魚にアプローチするのか、どんな仕掛けを使うのか、なぜその素材を選択しているのか、作製した竿師から直接聞くことができる。しかもそれが人生を釣りと竿作りに捧げた人との交流でもある。私が渉猟してきた書物とはまた違った生き生きとした江戸和竿の伝統を感じる。何と価値がある購買体験だろうか。
カワハギ竿もシロギス竿も買いますと思わず口から自然と出ていた。財布にはたしか3千円しかなかったはずだが、、、