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064 #100日後にムスリムになる僕
ハラール認証の是非。
2020年に開催予定だった「東京オリンピック」。オリンピック開催の影響で「ハラール」とか「ハラーム」とかの語句がある程度認知されたような気がしています。
「ハラール」とは「合法」とか「許可」という意味のアラビア語です。
逆に「ハラーム」とは「禁止」「やってはいけないこと」という意味。
「ハラール」と「ハラーム」は対義語的に使われますが、イスラームには「5つ」あると言われています。
イスラム法では、禁止と義務の体系だけでなく、さらに細分化されている。
やらなくてはいけないもの(義務)、ワージブ (wasib/fard)
やった方がいいもの(推奨)、マンドゥーブ (mandub/mustahabb)
やってもやらなくてもかまわないもの(許可)、ハラール (halal)
やらない方がいいもの(忌避)、マクルーフ (makruh)
やってはならないもの(禁止)、ハラーム (haram)
たとえば、女性への求婚はやってもやらなくてもかまわないもの(許可)、窃盗や姦通、飲酒、賭け事はやってはならないもの(禁止)に該当する。
(Wikipediaより転載)
これはイスラーム法(シャリーア)に基づくものなので、神の法の分類学的解釈となります。
ハラール認証というものがあります。これはイスラームの「シュブハ(ハラールとハラームの間にある疑わしいもの)」を明確にするという意図があるとのことです。
ハラール認証は「許可」認証されたものということですが、そもそもハラールは神が決定したことなので、それを人間が勝手に「許可」したり「認証」したりしても良いことなのか、という議論を巻き起こします。
僕個人は「ハラール」と「ハラーム」の間にある「グレーゾーン」をわざわざ2トーンにする必要性はない、その必要があれば神がすでにやっている筈だという認識ですが、「ハラール認証」はビジネスとして成り立っているので、そこでムスリム以外から稼いだお金(ムスリム・フレンドリー投資)を寄付したりするのであれば、じゃんじゃんやればいいと思います。
僕の友人のムスリムたちは「当たり前」のようにハラールかどうかを気にします。友人のムスリムは「バングラデシュ系ムスリム」と「インドネシア系ムスリム」なのですが、その傾向はインドネシア系ムスリムの方が強い気がします。
「ハラール店(ショップ)」とよく彼らは表現するのですが、彼らの住む群馬県の大泉町はブラジリアン街なので、ブラジル食材の店を「ハラール店(みせ)」と表現することが多いです。
彼らがブラジル食材のお店に行く理由は「屠殺時に神に祈りを捧げる」からだとそうです。その神とはキリスト教でいうところの「ヤハウェ」、イスラームでいうところの「アッラー」。つまりセム系一神教の神に捧げているから「ハラール」だということです。
ここで「?」となった方も多いと思います。
イスラームで有名なのは「酒と豚肉は禁止」という戒律ですが、ムスリムがお酒を飲んだり、豚肉を食べたりするのは「ハラーム(禁止)」です。
では、牛肉や鶏肉を食べることはハラームではないのかというと当然ハラームではないです。ならば、別に日本の普通のスーパーで買ったらいいじゃないか?となるのですが、屠殺方法に「ハラール」と「ハラーム」があるのですね。
他の神の名前を唱えられて屠殺された(捧げられた)肉はハラームとなります。「南無阿弥陀仏」と唱えられて殺されたらNG。ヒンズーの神に捧げるために屠殺された肉もNGということです。
イスラーム法学者である中田考さんは「ハラーム認証」に反対の方で、例えば食肉は屠殺方法だけではないく、利子を禁止(ハラームと)するイスラーム法に沿って会社を運営しているのかとか、肥料の流通にしろ、他の神の名前が唱えられたものが使われてないかとか、そういうことを厳密に徹底的に調査しないことには「認証」はされるべきではないし、そこで利益をとってもならないという考えです。
そういう風に考えると、本当のハラールとはなんなんだろう?という迷宮に入り込むことになります。
世界流通の現代において、そのひとつの商品(肉とか食物)の履歴をどこまで追えるのか?ということになります。
多分、無理ですよね。
例えば、ハラール認証を取得した鶏を飼育している会社のスタッフが、毎日、仏壇の前で「祈祷」してから職場に出向き、今日も一羽も病気をせずに過ごせたのは「仏さまのおかげじゃ」と思いながら飼育した鶏は、アッラーに捧げらるべき鶏なのか?とかそういう心の内面にまで踏み込まなければならなくなるのではないか?
イスラームは「他人の心に踏み込まない」宗教だと思っていて、それは信仰告白などに顕著に現れていると思います。口先だけで信仰告白の文言を唱えても信者になることは「可能」ですし、内面を重視するだけの問題であれば、証明としての信仰告白は無意味になってしまいます。
よく言われることがあって、ハラール認証の食材がもしも「ハラーム」だとしても、それを「ハラーム」だと認識していなければ「ハラーム」にはならない。むしろその罰は偽証した者のみに与えられるということです。
これも僕はグレーゾーンと思っていて、それは融通のきく「フレキシブル」な世界線だと思います。
そういう「ゆるやかさ」はイスラームの持つ「強み」だと思うので、ハラール認証がないものは絶対にダメ!口にしない!というのは僕的には「ない」ですね!
とはいえ、ハラールであるかどうかはムスリムであれば、それぞれに気にするべきことなので、そこを容易にする方法自体は「あり」。
本当に美味しいハラール鶏を手に入れられればなあとも思うのでありました。