001 #100日後にムスリムになる僕

人生が旅とするならば。

もしも人生を旅となぞらえることが正確であるのであれば、
僕の残りの人生のなかに信仰をもつことはきっと意味があるだろう。

はじめまして。「#100日後にムスリムになる僕」です。
今日(8月15日)を起点として100日後の11月22日にムスリムになります。
(なぜ100日後なのかの理由のひとつは「はじめに」をご参照ください)

信仰をもつということと、ムスリム(イスラーム教徒)になることを一致させるには、ある程度の時間が僕には必要でした。

それは僕が幼い頃より身につけていく日本の宗教的慣習と、僕が自発的に身につけていった学問的宗教との折り合いをつけていく作業の時間といっていいかもしれません。

僕と宗教との接点①

僕は非常にライトな仏教徒の家庭に生まれました。
なぜライトかというと両親ともに生まれ故郷から離れた街に生活の基盤を置き、伝承されるべき地域的宗教色の中に生活していなかったから。もっというと宗教に全く興味がない。

この日本においてライトな仏教徒とは無宗教に近いと思います。

僕の家には「仏壇」があり、「お墓」があり、「神棚」があり、クリスマスにはケーキを食べる家庭でした。

僕は子どもの頃、キリスト・プロテスタント系の教会が運営する幼稚園に通っていました。
幼少の頃の通過儀礼的な幼稚園生活ではあるのですが、僕は日曜学校に自ら進んで通う感じの子どもでした。

通常の幼稚園生活にも「お祈り」を捧げることが当たり前になっていて、生活のなかに信仰がある非常に宗教色の濃い生活でした。とはいえ、家に戻って食事の前にお祈りを捧げると母親に非常に嫌がられるのでお祈りは禁止されるという矛盾も常にありましたが、母がいない場所では何をするにも「神」の存在というものを意識する、意識しなければならないという生活でした。

幼いながらの記憶の中で鮮明で覚えているのは日曜学校での出来事です。

日曜学校では朝に子どもたちや数名の大人が集まるとまず最初に教会内でお祈りを捧げます。一連の教会儀式が終わると子どもたちは幼稚園の教室に集まり、勉強をしたりするのですが、ぼんやりと外を見ていると、後からやってきた大人たちが教会に入っていくのが見えました。

ある日曜日、僕はなぜか大人たちの礼拝の中にいたました。自分からお願いして参加したのか、先生から参加しろと誘いがあったのか、今となっては理由はわからないのですが、そこで僕が見たのは「洗礼」でした。洗礼は入信のための大事な儀式なので、大人たちはみんな真剣な感じで異様なありさまでした。

洗礼を受けていたのは女性でした。記憶が曖昧ですが、たぶん、20代半ばとかそういう年代の女性だった気がします。

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その当時はそれが洗礼という大事な儀式だとはわからなかったのですが、その女性が泣いていたのを覚えていて、その行為自体に神聖さを感じました。

多感な時代の子どもですから、洗礼を受けたいことを幼稚園の先生たち、母親にもお願いしたのですが、願いは叶えられませんでした。きっと母親が反対したからだと思います。

だったら最初から教会に通わせなければいいのに!と思うのですが、今から思うと、僕の母親の見栄だったような気もします。この幼稚園は月謝が高いことで有名でしたし、同じ年齢のクラスの友だちも10人いませんでした。貧しい幼少時代を過ごした母親の「子どもにしてあげられる最高の教育」だっと思うのですが、あまりにも信仰に無頓着すぎた。
その教育(図らずともそれは宗教的な教育)を原体験として持つ僕は、小学校の低学年までほぼ毎日就寝時には「天にまします我らの父よ」と「神の子」としてお祈りを捧げていました。

神=主が常にいるという生活が幼少の僕には当たり前でした。
今、ムスリムになる前に考えてみると、その素養があることが必然だったような気がします。

そんな僕のクリスチャン的な生活も小学校高学年になると、非常に仏教色が強くなっていくのですが、それはまた次回に。

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