085 #100日後にムスリムになる僕
神(アッラー)はどこにいる?
クルアーン、読んでますか?と唐突に訊ねてみる。
ムスリムなら当然としても、キリスト教徒の人にも是非とも読んでいただきたいと思っているのです。
漠然としたイメージでキリスト教の「神」とイスラームの「神」が、日本で言うところの天神さまの「神」だとか天照大神の「神」ように、別文化の中の別の「神」、「神」と称されるもののバリエーションとして捉えていらっしゃらないだろうか?
答えはもちろん「ノー」であって、キリスト教の神もイスラームの神もユダヤ教の神も「同一の神」です。
僕は聖典(啓典)と呼ばれるものは、聖書(旧約・新約)から読み始めていて、幼少期はパブテスタントの教会に通っていたので、ある程度の「キリスト教の知識」はあった方です。
イエス・キリストは「聖母マリア」が神の子を「処女懐胎」で授かり、ベツレヘムの馬小屋で海、ヨハネの洗礼を受け、枯れないワインをそそぎ、無くならないパンをちぎっては渡しを繰り返し、十字架で磔になって、生き返った人物。
イスラームでもキリストは「イーサー」と呼ばれていて、預言者の一人として尊敬の対象となっています。
キリストはキリスト教では神の子として語られているけれども、イスラームでは人の子として扱われています。
僕はそもそもがキリスト教徒ではないので、キリストはマリアの子であることに納得しているのですが、それでも、一般教養として「神の子」とされていることは知っています。
けれども、キリスト教を学んだことのないムスリムたちは「イーサー」を預言者としては扱うけれども、「神の子のイエス」は否定します。それはクルアーンに書いてあるから。
では、イスラームは「イエス」を卑下しているのかというとそうではなく、「神の子」という考え方が「存在してはならないから」です。
なぜなら「神」は創造主であって、子どもを作らないから。
神は唯一の存在であって、家族もいないし、親によって作られたものでもなく、絶対的な存在として「いる」ということ。
神の存在は「継承」されるものではなく、いつまでも永遠に存在すると考え方です。
イスラームからすると「キリストが神の子」「人間はすべて神の子」という考え方は「神を否定する」ことに直結するのです。
だから、イスラームはキリスト「教」を否定するというわけです。
もちろん、その意味ではユダヤ教もキリスト「教」を否定しますし、もっというと「神の子キリスト」すらも否定します。
神(アッラー)はすべての創造主ですので、すべてはアッラーの創造物です。
「作られた人間」はもちろんアッラーの被創造物なので、アッラーとは無縁であるわけがないですし、アッラーを意識するというのは自然なことだったりします。
アッラーは意識すればどこにでもいます。
これが結構大事なことだったりします。
キリスト教徒の人が「クルアーン」を読むと、キリストは神の子ではなく人であることに憤慨すると思いますが、同じ「神」の教えとして読んでいくと、色々と気づきがあります。
是非、騙されたと思って手にとってみてください。同じようにムスリムももっと聖書を読むべきだと思っています。