“DJごっこ”【エッセイ】
『stand.fm』って、知っているだろか?
誰もが”自分の声“を発信出来るのが『stand.fm』だ。
ラジオをよく聴いていた昭和の少年少女はラジオのDJに憧れていた者は少なくはないと思う。
今は『stand.fm』で誰もがDJになれる。
もう45年くらい前のことだが、本当に狭いエリアで”DJ“の真似事して楽しんでいた友人の話しをしよう。
昭和53(1978)年。
僕が高校1年生の時の話しだ。
僕は、帯広農業高等学校の酪農科に入った。
農業科(Aクラス、Bクラス)と酪農科(Dクラス)は、1年間寮生活を強いられた。
基本、1部屋3人で構成されるが2人のところもあった。
前期、後期で部屋のメンバーは入れ替わる。
入学して、前期同室だったのAクラスのK君、BクラスのM君、そしてDクラスの僕の3人。
ある時、同室のK君がSONYのトランスミッター[TMR]
(ミキシング装置を搭載したFMトランスミッター。音声と音楽をミキシングしてFM電波で飛ばし、FMラジオで受信する。飛距離は屋外見通しで約80m、屋内見通しで約40m)を使い配信を始めた。
始めは同室の3人と僕ら3人と仲の良い友人数人だけの”DJごっこ“だったがすぐに寮全体に広まった。
消灯時間が過ぎてからの布団の中からの配信で声を抑えながらで話し、音楽を流していた。
当直の教師の見廻りを回避しながら配信し、聴く方もイヤホンをして聴いていた。
似ている似ていないは別として、k君はウルフマンジャック風のDJや小林克也風のDJ、スネークマンショーのような配信をして、寮内でリスナーは増えていった。
ただ、毎日配信しているとネタを仕込むのが大変だったので、またに同室の僕やM君も配信をした。
僕は、話しは少なめで自分の好きなBilly JoelやBoz Scaggs、Marvin Gayeなどの曲を主に流した。
M君は、ピンク・レディーのミーちゃんが好きでピンク・レディーの曲を中心にその当時の女性アイドルの曲を流していた。
そのうちに聴いている方も自分で配信したいという者が出て来て、SONYのトランスミッター[TMR]を購入して配信を始める者も出て来た。
K君も僕もM君も布団を被って声を抑えて、当直の見廻りを警戒しながら配信していたが、新たに始めた奴らは声を抑えての配信でなかったので声や音が部屋の外に漏れ、当直に見つかり、トランスミッターを没収され、K君も密告され配信していたことがバレてトランスミッターを没収されて”DJごっこ“は約2ヶ月で終わった。
本当に今のような気軽に配信出来ない時代に限られたエリアだけ配信だったが楽しかった。
極々狭いエリアだったが昭和の時代にstand.fmの配信のようなことをしていた。