「自分は普通じゃない」という視点を持つ
ごきげんよう、G.G.佐藤です。
突然ですが、「自分は普通じゃない」と思うようにしましょう。って言われたら、以下のどっちの意味だとあなたは受け取りますか?
①「あなたは他人とは違って特別な人だし才能や個性があるんだから、普通じゃないと思ってがんばりなさい」
②「みんなの価値観とあなたの価値観はズレているんだから、みんなとは違うっていうことを自覚しなさい」
いま、希望に満ち溢れていて、何らかの夢や目標に向かっている人は、①って思うかもしれません。
そして、友人に裏切られた事がある人や、いじめられた経験がある人、SNSでも自分の周りに人がいないと感じている人は②を選ぶのかもしれません。
きょうは、②のお話です。
(①だと思った人はがんばってね)
それぞれの人間にとっての「普通」とは、自分自身の価値観そのものです。
自分が高価だと思ったものは高価だし、自分が美味しいと思ったものは美味しい。
そこには、自分の価値観という絶対的なものさしがあります。
SNSが普及する前、そういった自分だけの絶対的な価値観は、基本的に自分の脳みそのなかから出てきませんでした。
しかし、今はSNSがあります。特にツイッターは、自分の脳内をシェアするSNSであると僕は思っています。
だから、波長の合う人が見つかったり、ギョッとするようなことが書いてあるのを見つけてしまったりするのでしょう。
個人の意見、個人の感想、個人の価値観。これは脳みそのなかに留まっているあいだは、個人だけのものですから、何を思っても自由です。
しかし、これがSNSという媒体に書き込んだ瞬間、自分の意見や主張に変わってしまうのです。
そして、それが、普通だと思いこんでいると、思わぬ落とし穴があります。
自分の価値観で、これをすると人が喜ぶに違いない、これをすれば感謝してくれるだろう、こういう風に立ち回れば、この場を収めることができるだろうなんて考えてしまいがちです。
だけど、その自分の価値観がズレていたら?自分の脳みその価値観が、共感されないものだったとしたら?
ゾッとしませんか?
そのまま気付かず突っ走ると、ある日突然自分の周りから人がいなくなってしまうかもしれません。
今まで我慢してあなたに合わせてくれていた人たちが、ふとしたきっかけで反旗を翻すかもしれません。
「自分は普通じゃない」という視点を持つというのは、自分が普通だと思っている価値観を疑うということ。そのちょっとした心がけが、SNSでもリアルでも人間関係において大切なのかもしれません。