66.『若い貴族たち 13階段のマキ』は何故おもしろくないのか?

 「マクー空間に引きずりこめ!」

 

 娯楽系のフィクション(以下、単に「フィクション」とする)は、極端な話、ファンタジーな訳です。実在する警察官と言う職業を扱った『刑事くん』ですら、そうです。「現実にやったら、作品として成立しません」と言う行為を、主人公の三神は行っている訳です。これは、作品を制作するにあたり、平山プロデューサーが警視庁に協賛を求めたところ、シナリオを一読した広報担当に言われており、「協賛するとなると、余計な事も言わなくてはならなくなる」と断られた事からも明白です(「協賛しないが応援する」とエールを送られましたが)。同じ東映で任侠ものを制作する時に、その道の古株の方に監修を依頼したところ、いくつもダメ出しを食らったそうで(「でも、良い脚本だから、このままおやんなさい」と言われた)、SF要素(広義の)が無くても、フィクションはファンタジーな訳です(シナリオの要請とか、予算とか技術の問題とかも有ると思いますが)。

 ノックス氏の「探偵十戒」の1番目に「犯人は、物語の最初の方に登場していなければならない」と有りますが、フィクションの「お約束」も、まさにこれです。物語の最初に、方向性が示されておかねばならないのです。

 例えば、『空の大怪獣ラドン』は、タイトルで怪獣モノと分かりますし、主役がラドン(怪獣)と分かります。従って、序盤の「炭坑内の殺人事件」が、どうラドン登場に結びつくのか? と言う観点から観客は観続けます。原作が黒沼健氏だけあって(?)最初は探偵小説っぽい雰囲気で展開します。炭鉱内での死体発見、犯人(と思われる)人物の消失、と、「炭坑殺人事件」と言うタイトルでも決して間違いではありません。しかし、作品の本質から言えばサギでしょう。この、「(一般的な)殺人事件だと思ったら、メガヌロン(古代の巨大昆虫)の仕業だった」、「メガヌロンすら、ラドンにとってはエサでしかなかった」と言うスケールの拡大ぶりは、本当に見事です。

 2020年は、春先からアマゾンプライムで色々な作品を視聴しました。12月は、志穂美悦子氏主演作品も7本見ました。そこで、問題作『若い貴族たち 13階段のマキ』です。

 志穂美氏は特撮TVドラマ『キカイダー01』のマリ役(ビジンダー人間体。ちなみにビジンダーの声は弓さやか(3代目))がデビュー作に当たるはずですが、当時は同作品を見ていたものの、全く印象になく、リアルタイムで見たのは『熱中時代(1)』(の後半)だけだったと思います。当時は「むちゃくちゃキレイな女優さん」と思っていましたが、まさか1年前(?)までヌンチャク振り回していたとは、思いもよりませんでした。さて、以前、東映チャンネルで「女必殺拳」系の5作品は見たのですが、今回『華麗なる追跡』と『~マキ』を初めてみました。その感想は「『~マキ』は娯楽作品として成立していない」です。

 『仮面ライダー』は、ライダー(1号or2号)がライダーキック(もしくはそれに代わる必殺技)で怪人を倒して事件解決。『ウルトラマン』は、初代マンがスペシウム光線(もしくはそれに代わる必殺技)で怪獣を倒して事件解決…と言うのが基本的な「お約束」で、ライダーはショッカーありき、ウルトラマンは怪獣ありき、と言う世界観です。従って、その範疇で事件が起き、推移します。

 志穂美氏のスクリーンデビュー作『女必殺拳』は、ブルース・リー人気から派生したカンフー映画で、元は香港の女優を主役に据えていたのですが、スケジュールの都合(?)でキャンセルされてしまい、志穂美氏が代役として抜擢されました。以後の志穂美氏主演映画は「悦子が許さない」と言う予告編のテロップに尽きますが、「悦ちゃんがヌンチャク振り回し、悪人どもをバッタバッタと倒してEND」と言うのが「お約束」になります(予告編のテロップに「悦ちゃん」とある)。

 では、何故『~マキ』だけダメなのか? それは梶原イズムとの不協和音だから…と言うべきでしょうか?

 『女必殺拳』に始まるシリーズ3作は、主人公の李紅竜が香港在住の拳法家で…と言うのが起点になっています。リニューアルスタートを期した『必殺女拳士』では、アメリカ帰りの空手家であり、父親が卑劣な罠に陥れられて再起不能にされた…と言う出だしです。つまり、「格闘技で決着をつける」と言う「お約束」が、最初から明示されている訳です(加えて言うと、「外国から始まる」と言う点もファンタジー感を醸し出していた。当時はまだ、海外旅行が庶民のものではなかったし、『アメリカ横断ウルトラクイズ』の人気が高かったのも、それが一因にあると思われる)。『華麗なる追跡』では秘密機関の一員、『女必殺五段拳』では一般市民(ただし空手の達人)ですが、刑事(?)との関係が描かれており、悪の組織と渡り合ってもバックアップが得られる背景が示されています。

 つまり、マクー空間ならぬファンタジー空間(志穂美空間?)に最初から誘われている訳で、「悦ちゃんがヌンチャク振り回して連続KO」と言う伏線がバッチリ明確化されている訳です。

 これに対し『~マキ』は、東映のスケ番路線と言うか、単なる不良娘(ただし空手の達人)でしかなく、麻薬の密売をやっている反社会組織と素手(とヌンチャク)で渡り合うのは正直ムリがあります。ライバル(お嬢様)の父親が反社を裏切って、クルマごと爆死させられますが、この段階でかなりの非道(非情)さが判明しており、とても徒手空拳(プラス2丁ヌンチャク)で立ち向かえる相手ではありません。女必殺拳シリーズの場合、敵が格闘家を用心棒に雇っていたり、ボス自身が格闘技を身に着けていたりしますが、この作品では「何でハジキを使わないの?」と、敵組織に疑問を抱かざるを得ない展開になっており、「撃ったら全員道連れだよ!」と、腹に巻いたダイナマイトの束を見せる…ぐらいの演出は欲しかったところです。

 つまり、「あ…ありのまま(中略)『仮面ライダー』だと思ってたら怪獣が出てきた」みたいな展開で、ミスマッチどころの話ではありません。

 ライバル(用心棒)との共闘はお約束ですが、普通はマキとくっ付く流れなのに、ライバル(お嬢様)とくっ付くのは、さすが志穂美空間と言うべきでしょうか?

 梶原イズムと言いましたが、資本家vs労働者の構図が反映されているのは良いのですが、「資本家は搾取する立場だから、労働者側は(反撃で)何をやっても良い」と言う様な内容は、正直悦ちゃんの清純派路線と乖離しており、ライバル(お嬢様)にイレズミ彫る辺りは「いくら何でもやりすぎ」としか思えず、封印もやむなしと思えます。

 と言う事で、「今回もミョーに…後味の悪い事件だったぜ」とポアポア卿のような感想を持たざるをえませんでした。

 ところで、主題歌をCD化(もしくはDL販売)して欲しいのですが。

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