十人十色〜それぞれにあるボランティア論〜2


出会い-②

 活動文化祭が終わり、ジュニアボランティアの活動は又月1の活動になりました。しかし自分と先輩のSさんは、活動文化祭をきっかけにHさんに地元以外のボランティアの講演会やイベントに連れて行ってもらいました。その講演会などで知り合った人が鳥居一頼先生。当時北海道ボランティアコーディネーターで学校の校長などもやられた方です。中学校にもちょくちょく講演しに来ていました。Hさんとかなり親交があったらしく自分とSさんは講演会、ワークショップなど参加しているうちに覚えて貰いました。
出会いは鳥居先生だけでなく、各地区の社協の職員の方、ボランティア活動している方、年齢は上ですがここから色んな人に出会っていきました。

 少し話しはそれますが先輩のSさん、異性の人ですが恋愛感情とかではなく一緒に行動していくにつれ、考え方や行動がとても素敵で人として本当に大好きになりました。今でも大好きです。



戻しますw。

 実は活動文化祭の話を持ちかけてきたのは鳥居先生だったらしく、先生自体も活動文化祭の参加者、というか創設メンバーの一人だったらしいのです。そんな縁もあり地元に先生が来る時は毎回自分は顔を出し、話を聞いてました。いつの間にかそんな活動が当たり前の様になり、ボランティアが日常的に存在してました。そのおかげかよくわかりませんが、中学のときの委員会はその様な活動メインの委員会に入り3年の時は委員長をしました。
 当時中2の子どもだった自分は鳥居先生の事を話をボランティアの先生、という訳の分からないポジションに考えており、たまに来るおじさんというイメージでしかありませんでした。顔を知られてからというもの、講演会など先生が来た時必ず先生は自分に問いかけをしてくれて、自分の考えなどにはうんうんと聞いてくれました。
この先生こそが今後自分の活動の基礎を作ってくれた人なんです。 

 自分の中には3人の人生の師がいます。まあ勝手に思っていることなんですけど。まず最初の師がこの鳥居先生です。ボランティアってなんだろう、ほんとにこの一言は今の自分にも考えさせられる言葉です。そしてこの言葉が自分を成長させたり、たまに壁になったりしたんです。

この時のボランティアの考え方・・・もっと色んな話聞いてみたいし、仕事も人に携わる仕事したいな。


決意

 中3になると自分はジュニアボランティアを通して講演会やワークショップの参加募集ではなく、HさんやOさんから個別に参加依頼などきました。高校生になったSさんと自分は呼ばれるところほぼ全部鳥居先生の講演会の時は発言させられたりして、2人揃ってスキルアップしていきました。もちろんジュニアボランティアは継続しています。
しかし当時自分の学年の人達ほとんどは、高校の内申点目的で名前だけ参加という人が多く、実際活動したのがその半分以下、2割行くか行かないかの人数でした。

名前だけならはじめからくるなよ

この年齢って反抗期や思春期で自分が行ってる活動を自慢げに思ってたりしてたかもしれません。どこかで「知ったかぶりのやつがボランティアするな」とか「来たって何にもできないじゃん」みたいな少しひねくれた考えをもっていました。後に考え方が変化しますが当時はそんな感じですw。

それでも自分は月1の活動の他、Hさんについて周り、色んなボランティア活動に参加しました。
 そして夏には、活動文化祭に参加。もちろんSさんも参加します。2回目なので気持ち的に余裕があり去年参加した人もちらほらいたのですんなり入っていけました。

しかしこの活動文化祭、自分は5回参加しましたが。2002年を最後に終了してしまいました。活動元の資金の関係や参加者減少が終了の原因となったらしいです。それは次のお話で。


夏のイベントの活動文化祭が終わり、中3なので進路なども考えなくてはいけません。いかんせん頭がそんなよくなく(笑)とりあえず行ける高校を選んでました。

介護に進みたい

活動していく中でそう考えるようになりました。進路の事は親の他にもHさんや鳥居先生にも相談。「地元いるならそれがいいんじゃない?」地域貢献と地元就職と考えてそういう道へ進もうと考えました。
その道と決めてから積極的に老人ホームのボランティアいにいったり触れ合う機会を多くしていきました。その甲斐あってかHさんやOさんの誘いではなく個別に老人ホームから手伝いお願いしますという連絡も来る様になりました。

冒頭にも書きましたがジュニアボランティアの半分以上は名前のみ、当然活動するメンバーはいつも決まっています。その中でも保育所から一緒につるんで自分のジュニアボランティアの誘いもすんなり受け入れてくれたある意味兄弟のY。そんな自分と幼馴染のバカさ加減を冷静に見守るT。この二人も後々影響が出る人たちです。

中3の時は地元のみならずいろいろなボランティアのイベントに参加しました。無理矢理Yを誘ったり、社協のOさんに「S来るから来ない?」というエサ(?)を吊らされて参加したり。それがよかったのか良くわかりませんが中3の冬に町の奉仕貢献者としてすごい人数の前で体験談を発表してたりしました。中学の3年間は自分の活動が一気に広がった期間だったと思います。

この時のボランティアの考え方・・・ほんとに気持ちがある人だけボランティア活動すればいいのに。
              (人的にすれてましたw)


繋ぐ

高校生なってからの話をしようと思いましたが、その前に5回参加した活動文化祭のお話をさせて頂きます。

中2から短大1年まで、高2の時部活の合宿で行けなかった以外参加しました。5回となるとベテランの域になるらしく、最後に行った北海道で「5回目です」と言っただけで何故か感心されました。
Sさんは2回しか参加してませんがなんと2回目参加した時にその美しさにファンができて4人くらいから色々猛チャージ受けていました。違うグループだったんですが朝とか普通にSさんと挨拶したりご飯食べたりしていると羨ましい目で見られてた記憶があります。
ボランティアしに行って何してんのやみたいに思うかもしれませんが、そんな活動で結婚までいく人達もいます。出会いはどこであるかわからない、しかし自分は人の出会いは運命であり、自分への今後の力になるものだなって思っています。もちろんいい出会いだけではありません、ただ嫌な出会いも自分にプラスになる、と思っています。
この活動文化祭で教わったのは

「絆」

たった4日だけど人を思う、信じる事が凄く大事だと思いました。
中3東京大会、3日目に全体のグループ発表と最後の夜なのでお祭り的なイベントをするのが必ずあります。自分のグループはそのイベントを進行するというグループでした。どういう流れか良くわかりませんが、総合司会を任され、時間配分と発表順番の最終決定する責任者にさせられました。3日目は朝からそのイベントの会議をずっとしてたのですが何故そうなったんだろうかは今すみません覚えてません、よほどその時頭が真っ白になってたんでしょう。しかし中3の自分がそんな役を任されてもグループメンバーは誰一人反対する事なく全力でサポートしてくれました。

知らない人にここまでできるの?」

そう思っていました。

しかしそれが、みんなからの信頼と絆を意味してたのです。ある意味この日、そんな責任ある仕事が、今後の自分、いや今の自分の強みになっているのかもしれません。そんなマジックにかかってしまうほどの人間形成があるイベントでした。
後で登場しますが後輩のA君も一回参加しました。凄く内気な人間で人前で話す様なタイプではないのですがその4日終わってから地元に帰った時にHさんやOさんがびっくりするほど明るく自分の意見をしっかり言える人間になっていた事に驚いていました。そして何故かA君の親にも自分は感謝されましたw。

自分だって申し訳ないないが好きになった人もいます。初恋は活動文化祭のときです。それも中3の時の東京大会です。オープニングで好きになりましたw最終日一緒に写真撮ってくれたのが嬉しくて結婚する時までというか実家の部屋の写真立てに今でも飾っています。

すみません脱線しましたw

こんな素晴らしいのが突然終わりを告げるという話しを聞いたときはショックというよりやっぱりの気持ちがありました。自分が終わると言われた前の年の栃木大会、参加する人数とそれを支えるスタッフの人数がほぼ同じだったのです。
この減少って学園祭とおんなじなんですよね、準備が楽しいと考える人が多いって結局自己満になると思うです。参加してくれる人が多いほどやりがいと楽しさや苦しみって言うのを考えると思うのですが支えるスタッフが多いとそこの中の会話だけ多く最終日に楽しかったという感情ではなく終わったと思う人が多いとゲスト側は仲間外れ感が強いんです。
最後に参加した北海道大会は自分が初めて参加した青森大会よりかなり少なかったです。


寂しさはありました。今もあの時のあの人どうしてるんだろうなって考える時があります。
でもこの経験が地元での新しい活動のきっかけになります。

次回に続きます。







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