十人十色〜それぞれにあるボランティア論〜3
新しい活動
高校生になった自分は中学のジュニアボランティアではなくHさんやOさんと一緒に県内のボランティアフェスや講演会などについて周りました。もちろんSさんや馴染みのYとTも一緒に行動する事が多くなりました。
鳥居先生も自分の地域に来る事が増え、何度か食事や話す機会が多くなり、自分のスキルを磨く事ができていました。まだ高校時代は活動文化祭もあったので夏はそれが楽しみになっていました。
そして、
高2になった春・・・
Hさんに呼び出され町の社協に行きました。そこにはHさんとOさんがいてちょい真面目なトークになり、
「Gen、活文みたいなのここでやらない?」
やりたい!!!!!
二言返事でした。自分の町合わせて隣接する4市町の社協が合同で地域の学生を集めボランティア活動をしようという事でした。
ヤングボランティアフォーラム通称ヤンボラと名づけられた活動の内容は1泊2日ではありますが活文みたいに地域活動や話し合いなどです。鳥居先生が話を持ちかけたらしく、Hさんを中心とした人たちが近隣の社協をまとめ、現実に至ったという事です。自分は活文参加でありその様な場所の経験があるという事で第1回かたスタッフとして参加する形になりました。
高校生スタッフは当時の4社協それぞれの高校のJRCなどに声をかけ、選りすぐりの初代ヤンボラ高校生スタッフ役20名ほどが選ばれました。
少し脱線しますw
一回目から参加してくれたあるスタッフがいました。まあ自分は同い年です。ヤンボラで知り合って、
その後・・・
その人と結婚しました!!!
自分の兄貴がw!!!!!!!!!!!
すみませんw
兄貴はボランティア関係ありませんが、どうやって人の巡り合わせなるかわかりません。高校時代ヤンボラで知り合った人は今は義理の姉ですw
兄貴の結婚式がプチ同窓会になりましたw
戻しますw
高校生が主なスタッフで実行委員長も自分の同い年の人でした。その中で一人だけ中学生が混ざっていたのです。それが前回の2で少し出てきた後輩のA君、当時は何も喋れずオドオドしたちんちくりんな子でしたw
学生の夏休みに合わせて開催しようとの事で7月下旬に日にちを固定、これはずっと同じ様な日にちで行きました。
会議も4月から本番までの約3か月、休みの日はほぼありました。
自分は「そういうとこ見てきたから計画出せる」
そう変な自信がありました。
しかし・・・他人に振られると話せるのですが自分から率先して切り出すのがなかなかできませんでした。
そう、これがただの過信だったのです。この過信はこの時は何も思ってませんでした。
自分はHさんやOさんがいて、Sさんと共に行動し、色んな場所にいきました。それって自分で行動したのでしょうか?違います。やってもたった事をただやっただけなんです。
当時少しそれに気づいた事があり、自分で自分を責めた時期もありました。けどやっぱりこの時も少し変に尖ってましたw
この時の考え方・・・結局俺は何がしたいのや (反抗期ですw)
自信と過信
第1回ヤンボラ開催までもちろん会議は続きました。
鳥居先生のアドバイスもありいろいろプログラムは決定していきます。
1泊2日の中で講演があり初回の講演者は鳥居先生に決まりました。
そのほか活動としてベーシックな保育所訪問などの地域貢献、みんなで盛り上がるイベントも考えました。
ひとつだけなかなか決まらなかったのがあり、それがグループを作りディベートする内容です。
何を題材にして話せばいいんだろ?
そりゃボランティアの話すればいいかもしれません。しかしそこで集まったんだからいろんな内容でみんなで意見を言い合おうという結論になりました。その時のディベートの一つに
100万円あったら何に使う?
これがありました。
一つの質問なのですが人それぞれ答えが違います。そこで考えるのが人それぞれの答えなんです。それこそ記事のタイトルの十人十色なんです。
俺は欲しいモノを全部買いたい!
私は親に半分渡したい!
ひとつの質問で自分なりの答えをする、自己発言をする。これ凄く大事だと思うんです。自分はこう思ってるんだけどどうかな?とかその気持ちわかる!など自分の考え、共感、人それぞれなんです。10人いれば10通りの考え方があると思います。一人一人の意見を聞き、他人を思う、それがボランティアの一歩じゃないかなって思います。
実行委員長は自分と同い年の人がやることになり、何名かが副という形で決まりました。自分は役にもつかずペーペーです。
第一回ヤングボランティアフォーラムが始まりました。
参加者は役150名ほどだったと思います。
スタッフ側に立ち見守る事は初めてでした。なんか凄く嬉しかったし2日間頑張ろう思いました。
この時点で前回言っていた学園祭の法則がもう始まってるんです。
「自分達は頑張ったから成功する!」
今思うと何が成功なのやと当時の自分に言いたいです。
やった事に満足、無事に終えた事に満足。これは前回言った事丸々なんです。
自分もこれを成功させようとしか思ってませんでした。
(成功とは何?)
当時はやってる自分に満足してました。結局活文のスタッフと同じなんです。やった事に満足する。本当に今思うとやった事に満足してるんだなと思います。
これは今改めて思ってる事で当時は「自分は頑張った」
「これがボランティアだ」と勘違いしてました。
マイナスな話しかしてませんがw
自分の事だけしかだけじゃありません。自然と自分はどこかでみんなを盛り上げようという気持ちがあったのです。参加者、スタッフ含め笑顔になってほしい、夜に開催したところのお祭りをやるイベントがあったのですが自分は率先して盛り上げたり、各発表にも声を出して盛り上げたりと、気が付いたら自分はそういう役に徹していました。
これは今後の自分の活動において自信につながる行動だったのです。過信であった部分もありますが、成長した部分もありました。
1泊2日のなかで講演、活動、ディベート、交流イベント、ぎゅうぎゅうに詰められた内容でしたが無事に終わる事ができました。
高2の自分はボランティアに関しては意味わからない過信が大きくあり、本当に調子こいてたかもしれません。
ヤンボラが終わって活文にいく、忙しい、すみませんそれに酔いしれていました。ボランティアで自分はこんだけ動いている、全国見てきている。
結局過信でした。後々何もできない自分に気がつくのは後程です。
この時のボランティアの考え方・・・ボランティアの素晴らしさ俺は教えてるんだな(過信です)
すみません今回はこれで終わりですが次回の記事はネガティブな気持ちとかが多くなります。弱い時の自分を見せる事になりますが、そこはご了承ください。