transit

先月のことだが、またひとつ歳をとった。

その時期はそれどころじゃなくバタついていたので、日にちが近づこうが過ぎようが「どうでもいいこと」として扱っていた。もちろん祝ってもらえたことは嬉しかった。甘いものがたくさん集まってきたので、ありがたく戴いた。今思えば、もっと誠意をもって感謝や喜びを表すべきだったなと思う。

バタついていた理由は、プログラミング講座の最終課題に直面していたからだった。2か月の受講期間は、案外早く過ぎた。終わってしまってホッとしている。解放感しかない。

さて本題。ひとつ歳をとった自分はこれから何をしていけばいいのか。…?

いや、講座にまで通ったんだから(しかも周りに迷惑もかけて)プログラミングを続けろよ、って、みんながみんな言うと思う。ところがどっこい、そりゃそうですよねハハハ、と言えない自分がいる。どうもおかしい。

修了証書を受け取ってから、生活は2か月前のそれにほとんど戻った。車の運転をする頻度が少し上がったことが、唯一の変化と言えるかもしれない。それも本当は乗りたくない。「乗り続けなければまたペーパードライバーに逆戻りだぞ」と言われて乗っている。本当は自転車に乗りたい。

どうもおかしい。どうして私は何でも、嫌だ嫌だと思うようになったのか。そして気づけば、何にでも「ない」をつけるようになっていた。ネガティブな人の特徴そのものズバリじゃないか。ほらね。

ティーンの頃から、自分はネガティブな人間だと自覚しながら生きてきた。自分に自信はないが自信なくてもどうにか生きていけるだろうだって自信なんかないんだもの、という意識にしがみつきながら上流から下流へ流れる川を下ってきた、そんな感じ。最近はとうとう、見える景色に対して「ここまで来たのか」と思うことが多くなった。気づけば周りに誰もいなかった。みんな陸に上がっているのに自分だけ顔まで水に浸かっている、みたいな。

「ない」より「ある」を探しなさいとよく言うけれど、これまで培ってきた自信のなさが、「ある」をことごとく打ち消す。あったのになぁ、あるはずだけどなぁ、あったらいいのになぁ、が決まり文句になる。
昔は絵を描くのが好きだったなぁ、今は描きたいと思わない
好きな曲があったなぁ、近ごろは音楽すら聴かなくなった
断捨離してしまいたいなぁ、そもそも片づけられないし時間もない
やっぱり新しいパソコンが欲しいなぁ、でもお金はとっとかないといけない
車を乗りこなせたらもっと遠くに行けるんだろうなぁ、いや、できる気がしない
次の仕事につながるように勉強を続けなきゃなぁ、でも私なんかが社会の役に立つとは思えない
こんなことをずうっと考えている。

いい歳して悩んでいる内容がこんなことだなんて、恥である。でも、恥だからと言って隠していては何にもならない気がしたので書いた。
願わくば来年の今頃には、「ある」を一つ増やせていますように。