思い煩うことなく正しく生きよ。
いつも間違えてから気付く。
気付いてから、アレは間違いでした、なんて言うのも間違いで、そうなると間違わなかった瞬間なんてどこにもなかったんじゃないかって思ったりもする。
慣れてしまうのは、不慣れでいるよりも居心地が悪い。
緊張感がないと実感もないし、張り詰めてるくらいで丁度良いのだ。
もう優しくしないで、と頼みたくなるし
あんまり居心地が良いのも困ってしまうし
例えば微睡んでしまったら、滲むほど幸せだったら、このまま終わりたいって願うと思う。
さようなら、と言って歩くことのほうがよほど簡単だ。
何も残さず、跡形なく。なんて、できるわけもなく。
ただ、振り返らなければそれで済む。
職場の人から紫陽花をもらった。
私がお花が好きだからって理由だと思うけど、Mさんに呼ばれて少し叱られる。
「ぐぐちゃんが花好きなのは皆知ってるけど、それでも男が花を渡すのは少し下心があるからね」
「今後、既婚者から花をもらってはいけません」
そういうもの?
自分で言って少し悲しいけど、恋バナで盛り上がるような青春時代を送れなかったせいか、そもそも人の気持ちを推し量ることが恐ろしく下手なせいか、親切と下心と好意の区別が付かない。
親切だと思って喜んでいたら服を脱がされる、みたいなこともあるし、下心だと思って警戒してみたら単なる親切なんてこともあるし、好意に至っては、そもそも人から好かれる自分、が上手く想像できない。
「例えば、今の俺がぐぐちゃんにお花をあげたらどう思うの?」
「わぁ綺麗!嬉しい!ありがとう!って思います」
この人の困った笑顔は割と好きだ。
一瞬、撫でようと伸ばされた手に気付かないフリをしてゆっくり一歩下がる。
今の手は、下心だ。たぶんね。知らんけど。
もらった紫陽花は真っ白で、これは先週に私が「白い紫陽花が好き」と話していたからだ。
庭に咲いてるよ、とその人は言って、だから私は素敵なお庭ですね、と相槌を打った。
たったこれだけの会話で下心の入る余地がどこにあるのかと首を傾げる。
既婚者から花をもらってはいけません、は中々気の利いた言葉よね。
既婚者のほうが気が楽ではある。
大切な人がいて、守りたいものがあって、その中で惚れた腫れたと興じるなら、正しくルールを守れば良いだけだもの。
ルール違反してもされても、そしたらもうゲームセット。なんて分かりやすいんだろう。
(あくまで、私は、なので悪しからず)(そんな風に人を好きになる自分のことはあんまり好ましく思わないけど、解りやすさは好ましいな)
と、いうか。なんもないんだけど。
紫陽花もらっただけだし。
優しい良い人、なだけだと思うし、何かあっても断る確固とした理由があるからそれはそれで良い。
うん。このくらいの距離が良い。
あんまり近いと間違える。
正しいものの中で、正しく呼吸をしていたい。
でもきっと、この正しいと思ってることすら間違えてるんだろうなぁ。可笑しいね。