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エクリプスシーズンの海を泳ぎ渡る

みなさん、こんにちは。さっかです。

このところ書く余裕がなく、前の記事から時間が空いてしまいましたが、みなさんお元気でしたか。

ちょっと前(9月18日)に部分月食を伴うスーパームーンの満月があり、今日は秋分の日で、もう少ししたらてんびん座の新月と日食もあり、天上と地上でエネルギー値がすごく高くなっています。

ですが、今日は詳しい星の話しはやめて、思ったことを書こうと思います。たくさん伝えたいことがあり、あれもこれも考えていたのですが、今思うことを伝えます。

わたしは、確か自己紹介のページにも書いたと思いますが、幼い頃から世界各地で暮らしてきました。最初が香港で、その後も東南アジアの国にゆき、それからアメリカ東北部、主にニューヨーク市を拠点に暮らし、それから・・と各地に続くわけですが、引っ越しは、全部で30回以上してきたと思います。20回目くらいまでは覚えているのですが、その20回目がいつだったかも思い出せないほどで、実は、合計がいくつかわからないのです。そのくらい、移動しながら生きてきました。

こんな生活をしようと計画していたわけではありません。自分が海外に行くだろう、と言うのは小学校に上がる前から誰に言われることもなく知っていましたし、予感していましたが、それ以上は、ただその時々の流れと好奇心や探究心に従っただけでした。

それが良かったかどうか、と言うのはわかりません。豊かな生き方だったと思いますが、大変なこともたくさんありました。ただ、一つだけ、こんな生き方をしてきて良かった、と思うことがあります。

それはさまざまな文化と遭遇することで「固定観念」と言うものから解放された、と言うことです。「これが絶対」だとか「こうじゃなくはいけない」とか、そう言うことから解放されてきた、あるいは捨てざるを得なかった、と言うことです。そして同時に、自分の中の自分なりの哲学のようなものが生まれたことです。

例えば、日本で床に座って食事をする場合、膝を立てて食事をすると行儀が悪く、正座が一番良いとされています。けれど、モロッコ人の家族の家で食事をさせてもらったとき、食事自体を床に置き、みんなで片膝を立てて座って食べているのを見て、モロッコではこれが人々の自然な行儀なんだな、と思いました。どちらが体に良いか悪いか・・というと、もしかすると悪いのは日本の方かも知れません。膝に負担がかかるからです。けれど、片膝を立てて食べることは日本ではNGで、モロッコでは大丈夫で、もっと言えば、床で食べること自体に抵抗や衝撃を感じるのが、欧米の人だったりします。

色々な国や文化圏で暮らすと、意識と行動が違うので、何かにこだわっていたら、やってゆけなかったのです。モロッコ人に「膝立てて食べるの、それ、お行儀悪いよ!」って、言ってもね・・。ポカンとされるか、ポカンと叩かれるだけでしょう。

今でも覚えていて笑えるのは、大学の「異文化体験講義」を文化人類学の講義の一環で受け、そこで、ある先輩の男子学生が言ったことです。

「日本にはトルコ式トイレ(屈んでするトイレ)があり、これは世界の古い文化には結構あるので珍しくはないが、日本が特異なのは、トイレの空間が狭い上に、なんと、トイレがドアに背を向けていることだ。これにはショックだ。だって・・大便をしているとき、すぐそこにある入り口に裸のお尻を向けているから、安心して便ができない!常に背後を振り返りながらしてしまう」

爆笑してしまいましたが、日本には一般家庭で後ろに向いた便器って確かにあるな、と思いました。そして、学生みんなと教授で「なぜ、そうなのか」「丸裸のお尻を向けるくらい、日本人は他者を信頼しきっているのか。」「それとも空間が狭いからそれしか方法がないのか」などと、真剣に話し合ったものです。

こう言うのを、カルチャーショック、もとい、異文化衝撃、と呼ぶのだ、と、真面目に議論し合いましたが、わたしも異文化衝撃とどこの文化でも出会ってきました。そうして「これが普通」と言うのは、文化によって、国によって、そして人によって違うのだ、と言うのを骨身に叩き込まれてきました。

それでも・・日本に戻ってきた時の衝撃が一番大きかったかもしれません。まず第一に、パンデミック以来それが少なくなりましたが「これが当たり前」と言う言葉を、ほとんどの人が口にしたことです。え?それって、日本以外では当たり前じゃないし、国内でも全員にとっての「当たり前」なんて、なくない?何を基準に、何の経験をもとに、何を「当たり前」だと決めているのだろう?と思い、違和感と衝撃を受けました。わたしにとっては、当たり前と言うのはないのが当たり前、だったからです。

そして、田舎生活との遭遇がこれまた衝撃が激しかったのです。いわゆる、工業的発展途上国と言われる国々も含めて各国で暮らしてきましたが、そのほとんどが都市部だったのです。

最初の驚きはなんと言っても、DIYショップが朝7時半に開き夕方7時には閉まることでした。こんな時間帯だと働いている人たちはなかなか来れないし、第一誰がそんな朝早くからDYIショップに行くのだろう!?と、閉まったゲートを前にして、半ば腹を立ててしまいました。

よくよく考えたら、田舎なのでDIYショップの顧客は農家の人が多いため、朝早くに開いて夕方早くに閉まるのです。日が暮れたら畑仕事もしないので出かけないし、農機具や肥料などを主に扱っているDIYショップは、日没とともに閉まるのです。会社帰りの人が寄る都市部の観葉植物や生活用グッズを売っているDIYショップが、午後10時に閉まるのとは違うのです。

それに、ヨーロッパに住んでいたときもことごとくお店が6時に閉まっいて買い物ができずにショックを受けたな。キリスト教の影響だと言ってたな。おかげで、夜遅くまで開いてたのは家のそばのイスラム教の中東の人たちの店だけで、毎日ケバブを買って食べてたな。あれはあれで美味しかったけどホントに毎日ケバブだったなぁ、などと・・と思い出しました。

日本の田舎のDIYショップの営業時間に腹を立てた自分に苦笑したと同時に、これはリバースカルチャーショック、母国に戻った時に受ける、逆カルチャーショックだ、と気づきました。

逆カルチャーショックの方が強いと言われていますが、なぜかというと、「自分の国だからショックを受けることはない」と思い込んでいることが一つ。次に「自分の国のことはわかっている」と勘違いしている。この二つが主な理由だと言われています。

日本に戻ってからの衝撃は半端ないもので、苦労に苦労を重ねましたが、それも含めて幼い頃からショックを身をもって体験し続けたしたことは、良かったと思っています。なぜなら、固まりがちな、偏りがちな考え方や観念と価値観をあちこちで打ち崩されながら生きてきたため、今のような時代の移り変わりの早い時も、自分の中で「移動」できるからです。

口で説明するのが難しいですが、同じ場所にいても時空を旅するような感じです。「ここにいるからこうじゃなきゃ」より、「ここにいるけど、もう昨日のここじゃない」と、認識するのです。そして、昨日と同じじゃない今日を「そのままできるだけ事実に忠実に」受け止め、そこから対応するのです。大変でもありますが、これが現実であり、ベストだと感じています。

さまざまな国で、違う世界に遭遇することに恐怖を持ったり抵抗する人たちを、何度も見てきました。そう言う人たちは、他国に行って鬱になったり、攻撃的になったりしていました。わたしたちは動物なので、未知のものを怖がるのは自然なことです。けれどわたしたちには、感情や理性があり、それらを元に、対応し行動する能力も持ち合わせています。それを信じて駆使するときです。

今、わたしたちは、ものすごいスピードで変化する世の中を生きています。次々に未知の経験をしています。パンデミックが起こり、戦争が起こり、気候変動が起こり、テクノロジーの変化が凄まじく、さまざまな意見や価値観がぶつかり合い、そして、政変も世界各地で起こっています。

これまでと同じものなんてほとんどありません。物価だって、円相場だって違います。教育現場も、生徒たちに何をどう教え導いたら良いのか、迷っている人たちがいるでしょう。企業や組織も、どんな運営方針でやってゆくのが良いのか、悩んでいる人たちがいるでしょう。個人レベルでは、どんな生き方がベストなのか、手探り状態の人がいることでしょう。

違う国、いえ、違う星に来たんだ、くらいに思うと良いと思います。いちいち驚いたり、いちいち恐怖を持って振り回されていたらやってられません。かといって、なかったかのようにすると、底なし沼にハマるのも確実。

なので、別の時空に来てカルチャーショックを受けている、と認識し、対応してゆくと良いと思います。日本のトルコ式トイレで、大便を安心してする方法を考えたり、人に裸のお尻を見せるかもしれない恐怖を授業で他の学生や教授と分かち合うことで、精神的負荷を軽減させたアメリカ人学生と同じように。田舎のDIYショップの閉まったゲートの前で立ち尽くしたわたしが、やがて地域の情勢を理解して受け入れたように。

これから特に数年は、どんどんスピードを上げて違う世界へと入ってゆくことが、星の動きから伺えます。窓から見える世界はどんな風に変わっているのか、自分が座っている便座はどんな便座なのか、一緒にいる人はどんな言語を話しているのか、客観的に見つめ理性的に判断することが求められています。

そして、感覚的に方向性を見出してゆくときです。「あ、こっちだ!」と、感じる方向を見るときです。感受性を駆使するときです。


このエクリプスシーズン、わたしも漏れなくさまざまな強烈な経験をこのところしていますが、景色が違うように見えてきているのを感じています。駅構内にあるからという理由だけで何気なく利用していたパン屋さんが、すごく鮮明に見えてきたり、木々がキラキラ輝いて見えたり。

秋分の後にくるてんびん座の新月は、祈りの力の作用の強い新月です。しかも、今回は日食も伴っています。火星はかに座にあります。

理性と感受性を駆使して見出す未来、その実現の願いをかけることをお勧めします。パワフルなときです。

そして何より、今はエクリプスシーズンなので、捨てるべきものを区別して捨てるときです。

これまでの自分の在り方、もうすでに機能しなくなっている関係性、古くなってしまった視点や考え方、移ったほうが良い住居や仕事場、そしてもちろん物理的な捨てたほうがよいモノ。

潔く手放すことが求めらています。そうしないと、ガラクタと化したものたちに、変化の中で足を取られることでしょう。

11月中旬過ぎると、また、世の中の情勢や空気が変わってきます。それまで、捨てるものと、新しく見出すものや生み出すものを整理しながら行動してゆくと、良いときです。

息を吸い息を吐いて全ての瞬間を生きているように、次々に起こる出来事を、吸って吐いて、吸って吐いてゆくと良いでしょう。

Talk to you soon. Good luck navigating in the ocean of eclipse season!
(また近いうちに。エクリプスシーズンの海を上手に泳いで渡れますよう!)

目(さっか)


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