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エッジで生きる1週間

随分前から思っていた。

定期的にプチ出家をしたほうがいい。

正確なことは知らないけれど、出家というのは俗社会から離れ、精神世界に入ったり、日常の利便性や快楽から遠のくことだと理解している。そうすることで精神が洗われ己を取り戻すと同時に、日常にある利便性が「当たり前」でないことがわかり、感謝の気持ちや節制の気持ちが沸くのだと思う。

わたしにとっての出家は、アフリカに行くことだった。アフリカでわたしが暮らしていた国は、世界の中で下から数えて経済的に5番目に貧しい国だった。実は、世界のアルミニウム生産の1/3のシェアを占める国なのだけれど・・そのことはまたいつか話すとして、富は白人や日本人がかすみとり享受し、現地の人たちの暮らしは貧しかった。

人々は、飢えていたわけではない。豊かな食生活だったし、豊かな文化生活だったし、豊かな精神生活だった。しかし、工業国の利便性というものはほとんどなかった。電車もなく、車も少なく、もちろん信号機もなかった。多分、今もない。

人々は歩いた。人々は手で洗濯をしていた。人々は火をおこして食事を用意した。洗濯物は地べたに並べて干す人たちもいた。すぐにカラカラに乾いていたけれど・・。お風呂は、ドラム缶に水を汲んで溜めその水を浴びた。生まれて初めて手で洗濯をしたら手の皮がむけて痛くなり、それを見かねた近所の人が、そんな洗い方をするからよ、と、正しいやり方を教えてくれた。

そんな生活から、お風呂が二つあり一つは大理石張りでジャグジー付きで天窓付きのお風呂、トイレは三つありもちろん水洗で、ドラム式の洗濯機と乾燥機があり、これも大理石の長いカウンター付きキッチンには大きな食洗機があり、大きなオーブン付きの4個口レンジがあり、居間の吹き抜けのガラス張り天井には自動開閉カーテンが付いていて・・・そんなニューヨークの家に戻ると、同じ時代の同じ地球なのが不思議に思えた。そうして、アフリカから戻っても数週間は手で洗濯をしたり、自炊していた。

けれど、数週間が過ぎるとまた元のニューヨーク生活に戻り、洗濯物は洗濯機に放り込み、食事は朝から晩までほとんど外でして、たまにテイクアウトの時に使った食器は食洗機に投げ込み、車を運転し・・・工業社会生活者に戻った。とても自然に。

それでも、アフリカでの生活はわたしの脳内設定を知らずのうちに変え、日々の生活に影響を与えていた。広いデッキで苺とズッキーニとトマトを育て、ミミズを飼って天然肥料を作るようになり、モノやお金に対する意識も変わり、社会構造がよりよく見えるようになり、生きるということと死ぬということをもう一度見直すようになった。それまで見ていたものが、違う角度から見えるようになったのだ。

日常から離れる、違う価値観に身を置く、というのはそういうことなのだ、と気付かされた。

定期的に行っていたアフリカは、色々な意味で修行の場であり出家先だった。

今回、宮崎県で大きな地震があり、翌日に神奈川県でも地震があった。わたしは、風呂に水を溜め、タンクにも飲み水を溜め、猫の食事を買ってきて、来るかもしれない大地震のために、いろいろと用意をした。その間は、至って冷静だった。

けれど、もし停電になったら冷蔵庫が使えなくなる、エアコンも使えなくなる、と思ったら不安になった。アフリカでも経験したことのないこの暑さだと、猫も近所の年寄りたちも危ないだろうと思った。田舎には木陰も涼しいところもそれでもあるが、都市部の人たちはどうなるのだろう。想像したら怖くなった。そして、わたし自身は冷蔵庫のない生活が不安でたまらなくなった。

振り返ってみたら笑えるようなことだけれど、氷水が飲めなくなるのが嫌だったのだ。わたしには妙なことにこだわるところがある。別に氷水じゃなくてもいいのに、元々あまり氷水は飲まないできたのに・・このところ、祖母が昔作ってくれていたカチ割り氷を自分で作るようになり、それにハマっていたのだ。

不安と恐怖でぼんやりしてしまった。そうしたら、猫がわたしの顔を覗き込んでものすごい勢いで鳴き始め、やめなかった。彼女には、わたしの心の動きがわかるのだ。

それで、我に返った。

ここには水がある。人は、水があれば1ヶ月は保つ。ガスもあるし、コメもあるし、畑にはわずかながらの食べ物もある。大丈夫だ。なんとかなるだろう。ネットも見れず暇になったら、読めずに溜まっている本を読もう。良い機会かも!

ゴロンとして本を読んでいる自分が見えてきたら、気持ちが落ち着いて眠りについた。

そして翌朝、思った。

これから1週間ほどは、来るかもしれない大地震を心の隅に置いて過ごすことになる。普段通りの生活をしながら、どこかで We are living on the edge. ギリギリのところ、どっちに転ぶかわからない状態で生きている。

これって、一種の出家のようなものだ。

違う視点から日常と世界を見ながら過ごしている。

パソコンの使えない生活。トイレが流れない生活。冷蔵庫が使えない生活。洗濯機の使えない生活。夜はロウソクや懐中電灯の生活。蛇口から水の出ない生活。輸送の途絶える生活。

それらをどこかで想像しながら、準備しながら生きている。心も備えている。これまでと同じ空間に生きながら、心と体が出家をしているのだ。

こういう時って必要だ。同じところで同じような生活ばかりをしていたら、人は慢心してしまって想像力や創造力が萎えてしまう。生きている実感がなくなるのだ。

自然の猛威が来るときだけでなく、定期的に出家したほうがいい。

それだけでなく、わたしはガザ地区のパレスチナの人々のことを思った。数千人あたりに一つしかない、ないのと同じトイレ。まともな食べ物も水さえない日々。いつどこから来るかわからない攻撃。蔓延する伝染病。失った家族とたくさんの死体。猛烈な暑さ。

その一方で、冷蔵庫を一時的に失うかもしれないだけで、カチ割り氷の氷水が飲めなくなるかもしれないだけで、不安になったわたし。

あるものが奪われることで生まれる他者への共感力、というのもあるのではないだろうか。

・・・

文・バナー写真 by さっか








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