壁になる前後の思い出
ゆる民俗学・音楽学ラジオ非公式 Advent Calendar 2024
4日目は今村翠さん『知らん横浜、馴染みの地元』
6日目は しうさん『あの日、壁と見た立虫神社の話』、です!
5日目!
担当します、ぐぐ です。
クリスマスのお楽しみは色々あるけれど、いちばんのお楽しみはどこのクッキーを枕元に置いて寝るか考えること!サンタさんは私の口座のお金を使ってプレゼントを買ってくれるだけでいつも家には来てくれなくて悔しい。朝に私が美味しく食べますのでオススメのチョコチップクッキーがあったら教えてください。
さて、何を書こうか迷いに迷ったのですが、私に書けるのは結局私のことしかなく、、、昨年〜今年の私について書きました。
----------
・2023年のこと
2023年夏の終わり頃から、人との程よい距離を保てなくなってしまった。
自分に合わせてほしすぎる人と相手に合わせたすぎる人、それぞれと同時期に過ごす中で「相手がやりたそうなことをあたかも自分がやりたいかのように言う」などをやっていたら、突然限界が来た。
いなくなる気はおろかSNSのアカウントを消す気も起きず、嫌なニュースばかりのオススメ欄を眺めているうちに、何をするにも欠かさなかった音楽も大好きだったゆる〇〇学ラジオたちも聞けなくなって、気がついたら冬に取り込まれて何を食べたいかも分からなくなり、駅のホームでカニ鍋スープ雑炊仕立て(と言う名前の缶スープ)を啜るのを晩ごはんとして、一応生きていた。
毎日仕事には行っていたようだし、カメラロールを見ればディズニー行ったりスキー行ったり飲み会にお茶会に、何かと出かけたりはしていたようなのだが、人が運転する車でウトウトしていたような感覚で全てがぼんやりとしており、今となっては後から写真を見た記憶があるだけだ。
・覚醒
きっかけは2024年2月、少し遅い新年会と称して開かれた職場の飲み会。
話の流れから後輩が「用例」(ゆる言語学ラジオリスナーの愛称)だと発覚した。
あの回が好き!だの派生チャンネルも見てる?!だの、ブラックボックスはお前だーッ!などと話し、久しぶりに「たのしい〜!」と思った。霞んでいた思考がはっきりしてきた気がする。
久しぶりにゆる〇〇学ラジオたちをまた聞こう!と、そこでようやく、ゆる天文学ラジオの相方変更を知った。藤井さんに代わってからすでに何度めかの雑談回が上がっており、しばらく聞けていなかったくせに夏生さんが出演しなくなることをとても寂しがり、その顛末をリアルタイムで追えていなかったこともしっかり悲しんでいた。
が、いくらなんでもおもしろすぎたのだ、藤井さんが……
「面白くあるためには、行動しなければならない」と話す藤井さんを見て、周囲の人がどうとかじゃなくて、私がしたいことを私が面白いと思えたんなら、やればいいのか…あれもこれも、やっていいんだ……と思え、霧が晴れたというか目が覚めたというか、私が新しく生まれたようだった。「本当の」というより「新しい」私だった。
・自分を好きになる
その後の勢いは我ながらすごかった。
勇気を出して天文サポコミュ入会!ディスコードよく分かんない!分かんないけどなんか楽しい!人見知りしてる!でも見てるだけで面白いからいっか!クイズサーバー?楽しそう、入れて〜!chocozapも始めちゃお!あれをやりたいここにも行きたい!友達誘ってみたけど興味なさそう、じゃあ置いてくねバイバ〜イ!あれもこれも楽しそうだな〜!やりたいことリストにしておかないと忘れちゃう!
アドバイスの顔をした枷をかなぐり捨てて自分のやりたいことや自分の好きなことばかりを考えていると、この人めちゃくちゃ気が合うな…という気持ちになってきた。思い付くことは全部面白そうだし行動力もあって、正直好きだ。「お、今日いい感じじゃない?」と鏡に映る自分に言っていたら見た目も好きになってきた。好きと嫌いは紙一重とよく言うが、一歩引いてみるだけでこんなに好きになれるとは。この人のために、この人をより良くしていこう。この人と生涯添い遂げるんだ。
余談だが(ここまでが全部余談みたいなものだが)、この頃から仕事でも研修や委員会に手上げで参加し始めるわ用例の後輩とプロジェクトのようなものを立ち上げたりするわと、上司曰く、元気さの向きが変わった感じがして少し心配だった、とのこと。私もそう思う。
・「ゆる学徒カフェ」へ
そして忘れもしない2024年のゴールデンウィーク、クイズサーバーの方に教えてもらい、池袋のスアール(早押しクイズバー)のお試し回にノリと勢いで行った帰りのこと。
池袋西口って、ゆる学徒カフェが…?あるな…
本当にあるんだ、ゆる学徒カフェって……
行くぞと思ってはいたもののなんとなく緊張してしまい、一旦副都心線の改札まで行き、いやでも…と別の出口から地上へ戻り、カフェに入るまでの階段下で数秒立ち止まった後で引き返し、隣のファミマで意味もなくガムを買い、カフェと逆方向に出て周辺のひと区画をぐるぐると歩き回った後、立教大学の正門を通り過ぎた辺りからゆっくり戻ってくるのを助走としてカフェの階段ひとつひとつを噛み締めながら登り、ついに重いドアに手をかけた。
しかもその日は黒川さんのいらっしゃる日で、明らかに挙動不審な私にも動画で見たとおり気さくな調子で優しく接してくれた。きっと誰しもにそう接することができる素敵な人なんだとしみじみ思いながらハニーレモネードを飲んだことを覚えている。
せっかくカフェに来たので人と話したいような、しかし実際のところ場所見知りもしてるし緊張と高揚で何だか変なテンションだった自分が少し怖く、黙って八木重吉の歌集を読み、心境も相まってとても気に入ったので買って帰った。
家に着き、これは……入ろう、とゆる音民のサポコミュへ入会。
・そこにいた壁たち
様子を伺いながら色々なスレッドを眺めて、居心地がいいところだな〜と思った。
返ってくる反応は大抵ポジティブだし、好きなものは好きと言っているし、知らないことへの探究心の強さも感じられる割に、ほどよく放っておいてくれてとてもありがたい。(多分これが保つべき?正しい?距離なのだろうとも思う)
居心地の良さにかまけて投稿する頻度も増え、カフェでのイベントに行った際そそくさと返っていたのも次第に居座れるようになり、通常営業日にも来店し話の輪にいれてもらうなどし始めた。
9月の半ば、モンゴル料理を食べに行くオフ会に参加させてもらい、美味しくて楽しくてずっと笑っていた。そして何より印象深かったのは帰り道。
川沿いにあった石碑を全員でなんだなんだと言いながら読む時間があった。
気になったら、読んでいいんだ…。
今からしてみれば「そんなの好きなだけ読みゃいいだろ」と思うし、集団で石碑を囲んでいるのは側から見たらすごく怪しかったのだろうけど、なんだかすごく安心した。
ずっとずっと会いたいと思っていた人たちは、ここにいた。
その後飛び込んだ関西オフ会や公式オフ会、VCやサーバー内でのやり取り、全て、旧知の仲のような安心感があった。
大人ってつまんない人しかいないと思ってたのに、特定の人物がという訳ではなく誰と会ってもこの空気がある。すごい。世の中におもしろい大人がたくさんいる。うれしい。
皆さんの優しさと親切さにあぐらをかかず、私も皆さんのようでありたいと思った。
つい先日、中東料理屋さんへ行くオフに参加した際、羊の頭が出てきたことにも「脳みそ食べる人〜?」という店主の呼びかけにも真っ先に反応したのは壁たちのテーブルで、私はほんとにこの人たちが好きだなと改めて思った。
・おわりに
いつか、あの寒い駅のホームで小さく座っている私のところへ「鯛茶漬け風スープ(という名前の缶スープ)も出たんだよ〜!」って駆けてって、肩組みながら一緒に飲んで、その後に起きる楽しいことを全部話したい。あの頃の私は嫌がりそうだからこのnoteを見せるだけでもいい。
タイムマシンが出来るまで、もしくは何らかの手段で会えるようになるまで、身体を壊さない程度に元気にたくさん行動しながら私のために暮らしていかないと。多分やりたいことを片っ端からやってたらすごい速さで時間が過ぎていくはず。
恐ろしくも、楽しみだ。
まずは来年、大好きな私と、大好きな壁の皆さんとこれからも楽しく過ごせれば何よりです、どうぞよろしくお願いします!!!
(おわり)
----------
ゆる民俗学ラジオ・ゆる音楽学ラジオ
サポーターコミュニティはこちらから!↓