祖父の原稿 「コロが応答した」

 平成17年1月28日。この日は私が84回に当る誕生日である。テレビが”崖っぷち犬”の抽選会を放映していた。
 徳島県神山町の県動物愛護管理センターで行われていた”崖っぷち犬”の抽選会に、その犬の抽選申込者が11人と、他の犬の譲渡を申し込んだ30名を含めて、400名の人が詰めかけていた。
 犬はこの2ヶ月前の11月。山肌80メートルもある崖の中腹まで転落し、狭い棚場に引っ掛って、幸いさらに落下は免れたのだが、上下、左右は崖で逃げ出せず、1週間も多数の衆目を集めて助けを待った。
 ようやくレスキュー隊が動いた。子犬を助ける作業は、崖上に止めたロープに縋って降りてくる隊員の救出劇がテレビで放映され、全国茶の間が一喜一憂に沸いた。
 ようやく救助された”崖っぷち犬”と、もう一匹の崖の頂部にうずくまっていた双子の姉妹と思われる野犬を、動物愛護管理センターが保護したもので、今日はその里親探しの抽選会の日であった。
 抽選の結果”崖っぷち犬”は、徳島県西部に住む66歳の主婦が引き当てて里親となった。主婦は、テレビで見て「動物を飼ったことはない。しかしこの犬は野犬となって可哀想な犬だから面倒見てやりたい」と犬への愛情を語っていた。
 だがこの一匹だけで他の犬の里親が現れない”崖っぷち犬”とまったく相似で、判別出来ない程同形のもう一匹の姉妹犬には、里親のなり手がなくセンターに残された。さらに抽選を申し込んだ他の犬の10名は、一人でも多い里親をと願っていたのに空振りに終わった。
 何で参加したのだろう。どんな動機で譲渡会に参加したのだろうか。犬に関心があって参加したのだったら、どうして他の一匹を連れて帰ってくれないのか。この人達の行動に腹が立ってきた。
 さらに里親探し25匹の譲渡犬のうち、8匹については引き取り手が決まったが、残る17匹は30名の申込者があったのに、センターに残る羽目になったのが、可哀想でならなかった。話題性のあることだけに関心があって、それ以外は単なる好奇心か、刹那的な思考によるのか、愛玩用として求めるために抽選会に参加したのか、いずれにしても犬を救い出そうという気持ちが無いことが分かった。
 抽選会に出されたが引き取り手のない子犬たちは、やがて施設の手による安楽死が待っている。生命を絶たれる運命にあることを皆知らないのだろうか。奇特な人との出会いを待って、極限を生きている犬を、自分の好みに合わないからと、救い出す気持ちになれなかった人に、非情と吐き捨てたい気持ちにうずいた。
 どんな思いで、ただ見に来ただけの何の感情も起きずに帰ってしまったのだろう。残された犬の数の多いのに批判するのではないが、無性に割り切れない気持ちになった。
 ”崖っぷち犬”を見てから半年後の7月、徳島であった譲渡犬のような環境にいた生後6ヶ月の子犬を手に入れた。
 静岡市動物指導センターに出向いて捨て犬か、野良犬か悲運から生き延びている動物を選り好みはしない。真っ先に自分達に近づいてきた子犬に決めた。「責任を持って犬を飼育します」と長男一彦が保証人となって、約束書を書いて犬を貰ってきた。
 富子は骨折以来足が不自由となり、その上体調不良が続いて、薬局運営が出来なくなった。久美子さんに任せて、家に引籠る。難聴の自分と二人だけの日常は通夜の連続だった。そこへ犬が現れた。私達は犬との共生に希望を抱いた。先代犬の名を引き継いでもらうことにしてコロと名付けた。コロは小さいがたちまち我が家人気者となった。老人二人をより強く引きつける媒体となって動き回る賢い仲間になってくれた。
私は82歳と高齢の上、電話の呼び鈴も聴き取れない難聴で、人と話すことが苦痛である。補聴器を色々変えてみても、聴覚器官の損傷している耳には合う物がなくて、極端に人から遠ざかるようになった。なるたけ外に出ないよう閉じ籠りの人間になってしまった。
 一方富子は、大腿部骨折事故を起こし手術して金属製の人工骨を入れた。歩行困難となり身体障害者でありその上膠原病の一種で、今だに病名が付けられていない難病を合わせ持っている。情報過多で、競争原理に血道をあげている社会にはとても伍して行けるものではなく、完全に孤独な人間になってしまった。
 すべてに希望を失って家の中は真っ暗になった。自分はこの難聴のため劣等意識を引きずってきた。60年前の1944年。21歳で戦争に駆り出された。敗戦を目前にして制海空権の無くなった南太平洋を横断して、セレベス派遣の輸送船に乗って、バシー海峡、セレベス海での2回、アメリカ軍潜水艦から発射の魚雷攻撃を受けて乗船が爆発沈没した。幸い海に逃れたが救助を待つ長い浮遊中に、敵潜を攻撃する友軍の投下する爆雷の破裂水圧を耳に受け受けて鼓膜を傷つけた。
 さらに上陸してから、未防備な野営でマラリヤに刺され、デングの高熱に冒されて聴覚神経不全の元になった。それが年齢と共に機能低下を増大し、容易に人に言葉を理解出来ない不具者となってしまった。家に引込んでいる電話機のボリュームをいっぱいに上げても、呼び出し音には気がつかず、受話器を取ったとしても、相手の言葉は我が神経には伝わってこない。電話が社会との唯一の連絡機関だがこれは使い物にはならず、完全に社会とは繋がりが無くなってしまった。
 生活改善のためにと、新聞、テレビ、チラシとあらゆる情報機関を使って、携帯電話の売り込み攻勢が始まってきた。一億二千万の日本人口に対して、七千万以上が普及しているとも言われる、この売り込みが、閉塞感の煮えたぎっている俺に猛烈に声を掛けてくる。反感で自分を見失ってしまう。がどこを見ても携帯、携帯で、持っていないのはこの老人ばかりだと、人は笑っているんじゃないかとまた別な感情に火がつく。生活、人生をエンジョイするものが有るだろうが、自分には全く無用の長物だと反感があり、携帯を持っている人間に憎悪を感ずる。
 片手は携帯を持って耳に当て、口をもぐもぐ動かしながら、片方の手はハンドルを握って車を走らせている。混雑する街路を傍若無人に走らせながら、交信している不逞輩の多いこと、少女、子供に見向きもせず取り返しのつかない悪に入ってしまう携帯社会を見ると、とてもこんな社会の呼びかけには、応じ切れないだけでなく怒りさえあって無視してしまう。
 富子の方も、十万に一人あるかないかと言われている、血行不良が続いてこのまま進行すれば血管組織が破壊する。進行の先に足を切断しなくてはならなくなると、その危機感を背負って、不自由な身体を無理に動かしながら毎週血管注射に病院通いを余儀なくしている。その上10年前にベッドから転落して、大腿骨を折り、再生は困難と金属製の人工骨を入れている障害3級の高齢者である。
 歩行器にすがって立ち歩きすると、悪い足に負担がかかって、痛みが出てきて苦しいと泣き出す。が痛いからといって一日中腰掛けていたり、ベッドに伏せていたのでは、歩行機能が退化して、寝たきりの病人になってしまう。それで悩むようになった。
 ジパング会員(はつらつネットふじのくに会員)になっているので、研修会、観劇、旅行と催事の案内がたくさん呼び掛けてくるのだが、とてもとても二人共出席できるものではない。
 高橋哲哉さんの”応答の言葉”が身に染みてくる。「あらゆる社会、あらゆる人間関係の基礎には、人と人とが共在していくための最低限度の信頼関係として、呼びかけを聞いたら応答するという一種の『約束』がある。中略。
 私達は、言葉を語り、他者と共に社会の中で生きてゆく存在である限り、この『約束』には拘束される。その約束を破棄する。つまり呼び掛けに応答することをやめるときは、人間社会に生きることをやめざるを得ないし、結局『人間』として生きていくことを、やめざるを得ないでしょう」 中略
 
高橋さんが言うように、我々2人は社会に生きられる存在でないので、多くの社会からの呼び掛けがあっても、応答を拒否した。
 扉を閉じた生活の中に犬を呼び入れた。犬に2人の余生を託すことにした。

 不眠で夜が長いとボヤいていた富子に呼びつけられた。改まって何だろうとベッドに寄っていった。足が痛くて苦しんでいるところへ隣の部屋に寝ている俺のいびきが騒がしくて毎晩眠れない。前から言おうとしたが我慢していたがもう駄目。悪いが2階へ行ってくれないと言うことだった。それと犬が元気になって昼夜を分かたずベッドに上がってきて体にさわる。可愛いが苦しいのが辛い。夜間は犬をリードに繋いで玄関に寄せて、と自分に降りかかってくる苦しさから逃れる注文だった。
 いつ、何が起きるか分からない重病人を、夜間1階に一人にすることが心配だった。どうしてもと言うのでやむなく2階の一番奥の部屋に寝室を変える。犬も夜は玄関番のように玄関で寝てもらうことにした。三物体は完全に分離する悲運状態となる。
 
 84歳(平成19年)の誕生日を迎えた。憂さ晴らしもあっていつも以上に杯を空けた。介護も放棄してベッドに入ったまま寝付いてしまった。
 何かの感触で目覚めた。気付いたらコロだ。ベッドに前足を掛けて、背伸びしながら片足で俺をたたいていた。驚いた。繋いでおいた犬がどうしてここへ来たのかすぐ起き上がった。コロは俺を見届けて部屋を出て行った。これは何かあったなとコロの後を追って階段を飛び降りて玄関に出た。
 富子が廊下へベタッと腰を張り付けている。目を吊り上げ口をひん曲げ這いつくばっている。「どうした」驚いて声をかけた。
 トイレに行こうと起き上がり、ベッドの縁に腰掛けて立ちあがろうとしたら、力を入れていた足が滑って、床に尻餅をついて座り込んでしまった。ベッドに掴まって立とうとしたが、伸びた足が曲がらなくて立つことが出来ず、廊下をいざり出てようやくコロに近づいた。「お父さんを呼んできて」とリードから犬を離したと痛いのを我慢していて泣き出しそうな声で今までのことを話した。
 極寒の真夜中一時間以上も自立しようと大障害を持つ身体で、声も立てずに努力を続けたので状態を悪化させないかと心配が先だったこの危機を2才の小犬が救ってくれた。言葉は分からないのに、俺を呼びに来た。
 家内の病状体調が、これほど悪いとは気づかなかった。立ち居振る舞いで車椅子を必要とするのは分かっていたが、床に座り込んだら自力では立ち上がれないなどは考えてもいなかった。惨状を初めて知った。もう一瞬たりとも見離せない。こうした夫婦の重大なことが、無事に取り除かれたことは、思ってもいなかった犬コロの行動だった。感動した。コロを見直した。不幸な星の元に生まれてまだ2年もたっていないこの小犬が、老々介護の我が家に仲間入りして、早くも信頼のおける我々のパートナーとなり、呼びかけに絶妙の応答をしてくれた。
 俺はコロから絶大な教訓を得た。社会の呼びかけに応答することをやめ、人間として生きることを放棄した我が生活の中で、コロの偉大な応答は、俺が再び人間社会の呼びかけに応答できる人間に戻る動機づけをしてくれたことである。自分の疾患から意固地な生活に閉じこもった孤立状態から人間復活への希望と勇気まで与えてくれたのである。
 二重三重にありがとうとコロに言う。
 


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