すごいって本当に思ってます?
こんばんは、ご無沙汰しております。
最近、自分の中で解消できないモヤモヤがあるのです。
それは相手が指摘してくれる自分の「凄いところ」がどう頑張っても信じられない、という話。
これは、長所とは別の話です。
私の長所は(公共の場に載せるのは少し恥ずかしいが)、例えば
・基本的に誰とでも知り合いと言えるくらいには話せるし、仲良くなれる。
・周りから信頼されやすい。
・意外と地道にコツコツできる。
とか、まあもっとあるはずなんですけど、こんな感じでとにかく長所は挙げられるんです。だけど、別にこの長所(もしくはこれに付随した何か私の性質)がイコール「すごい」には繋がらなく無いか?っていうのが今日の話にも関連してきます。それ以前にすごいとはなにかって話で、私の中ではみんなから「すごいね〜」って言われる、その部分のことを指します。
もちろん、別に凄いところが無くても何かしらの存在価値はあると思ってます。問題なのは、みんなが「U.ちゃんマジですごいよ」って言ってくれても「本当に思ってます??どこがすごいんですか??」って、自分の「凄さ」に鈍感になってしまっているということです。
そりゃ他人が思う私の凄いと思う部分と、私自身が思う凄いことって、人間が違えばその基準もバラバラになるのは違うでしょうが、よくよく考えてみると多分、私が自分に対して凄いな自分と感じる部分のハードルだけ、結構高い気もします。
例えば、ありがたいことに色んな方に「字が綺麗だね」と褒められるんですけど、私からすればそりゃ20年習い続けたらこのくらいかけなきゃ恥ずかしいですよ(泣)と心の中でまず叫んでしまいますし、字のことで本当に褒められるべき人は、でっかい展覧会で入賞するか、毎月の競書(毎月所属している書道会の月刊誌に上手い人が掲載される)で写真版になるとか、それもまぐれじゃ無くて何回か載るとか、そういう人になんです。私はせいぜい展覧会でも入選が精一杯だし、写真版もたまーーーに、ちょこちょこ載るくらいだけど、周りに1番大きい写真に頻繁に載るような同年代のライバルがたくさんいるからなのか、自分の頑張りに対しては、「せいぜい20年間やればこのくらいにはなりますね」っていう評価しか下せない。
中には、20年間続けることがすごいと仰ってくれる人もいるかもしれません。でも習い事に関しては、両親のサポートが本当に、不可欠です。両親が月謝を学生時代払い続けてくれて…送り迎えもしてくれて…。これは私の頑張りの5倍分くらいは、両親の頑張りの賜物だと思っています。
これは、書道というプロもいるような世界に限ったことではありません。他にも、明らかにコミュ力のある人から、「U.さん本当に誰とでも仲良くなれてすごいです」って言われて、いやいやいや君がコミュ力お化けなんだよ(笑)って苦笑いしてみたり、「発表よかったよ」ってほめてもらっても、全然その人がそう感じた要素がわからないくらい自分の中では100点の発表でなかったり…。受け止め方は、前向きにも後ろ向きにもできるのに全部ネガティブになってしまうのって、自分がひねくれているからなのかなと気づいて、残念なおなごだわ、とどこかの私が嘆いている、ここ最近の心の中でした。