ミュージカルの起源を探る1~オペレッタ~

今回はオペレッタについてです。

起源(名称)

18世紀中ごろにイタリアで作られた、オペラの幕間に行われたコメディア・デ・ラルテ(即興喜劇)風の歌入り喜劇『インテルメッツォ』に端を発すると言われる。ぺルゴ・レージの『奥様女中』(1733年)でジャンルが確立、ヨーロッパに広まった。各国でヴォードヴィル(フランス)、オペラ・コミーク(フランス)、オペラ・ブフ(フランス)、バラッド・オペラ(イギリス)、ジングシュピール(ドイツ)などと呼ばれ、庶民に愛された。

起源(形式)

1848年のフランス第二帝政期開始後、オッフェンバックが時代の雰囲気を反映した音楽劇を作り出した。

『第二帝政』はいわば人類がサブカルチャー的な作品のときならぬ隆盛に立ち会った最初の時代だと言えます。

蓮實重彦(「文学界」2005年8月号)

オペラは貴族のサロンで生まれ発達したが、オペレッタは庶民の求める新しい娯楽として生まれた、いわばサブカルという立場だった。底抜けに明るい音楽、美しいメロディ、早いテンポのガロップ(galop、2/4拍子の早い旋回舞曲)、フレンチカンカンで客を楽しませると同時に、音楽と台詞の中に社会への痛烈な風刺を込めた、”笑い”と”パロディ”をたっぷり含んだ内容だった。これが今のオペレッタの原型である。

オペラとの違い

オペラがレチタティーヴォなどを多用して音楽中心で作られるのに対し、オペレッタは台詞の部分が非常に多く、ストレートプレイ的要素が多い。扱う内容もオペラに比べてより身近でリアルであり、分かりやすい。また、オペラよりもエンターテインメント性が強いというのも大きな特徴である。

黄金時代

フランス第二帝政期(1848~1870)の後半に入ると、フランスのオペレッタは下火となった。代わりにヨハン・シュトラウス(『こうもり』1874年)、スッペ(『ボッカチオ』『寄宿学校』)、ミレッカー(『乞食学生』)などによりウインナオペレッタの時代が始まる。これを黄金時代と呼ぶ。風刺はまろやかになり、上品になり、カンカンの代わりにウインナワルツを使った。

白銀時代

20世紀になるとレハール(『メリーウィドウ』)、オスカー・シュトラウス(『ワルツの夢』)、カールマン(『チャルダーシュの女王』)がウイーン世紀末の情緒、風潮を写し取った。音楽的にはウインナワルツに、ハンガリーのチャルダーシュやアメリカのフォックストロットのリズムが加わり、国際色豊かになった。これを白銀時代と要。1906年にはニューヨークで『メリーウィドウ』の公演が行われ大人気となった。

余談ですが、学生時代に音楽の授業で『メリーウィドウ』の上演映像を見せてもらったのですが、いわゆるメリーウィドウワルツのシーンでショーストップとなりました。すると舞台の幕がするすると降り、その前で役者が再びメリーウィドウワルツを歌ったのです。オペレッタとはこういうことが起きるんだ、と先生が教えてくれたことがとても記憶に残っていたので今回そういう例になる動画がどこかにないかと探したのですが、私の探し方が悪いのか見つける事ができませんでした。
どこかにこの習慣の動画の在り処をご存じの方がいたらぜひ教えていただきたいものです……

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?