フォリーズの出演者たち1

今回からは、調べていくうちに「えっ、この人が? この人も!?」となった出演者たちを、ばばばっと羅列していこうと思います。一応、各出演者のウィキへのリンクは貼っておきますので、気になった方は調べてみてください。
※日本語版ウィキに単独ページがない方は、英語版へのリンクになります。

ジャック・ノーワース

ソングライター、歌手、ヴォードヴィルパフォーマー。ティン・パン・アレーの人気作曲家として知られ、”Take me out to the ballgame”の作詞者でもある。1950年に心臓発作で亡くなると、アナハイムのエンゼルス球場の向かいにある墓地に葬られた。

ノラ・ベイズ

アメリカ国内のみならず、ヨーロッパでも人気を博した歌手、ヴォードヴィルパフォーマー。ジャック・ノーワースの妻(後に離婚)。第一次世界大戦のアメリカ参戦時に大流行した曲”Overthere”を歌った歌手の1人。※1917~1918年のアメリカのレコードセールストップ10のうち6曲は、歌手違いの”Overthere”だった。

ファニー・ブライス

歌手、コメディアン、舞台俳優、映画俳優。伝記ミュージカル映画『ファニー・ガール』で知られる。1936年に上映されたジーグフェルドの伝記映画『巨星ジーグフェルド』と1945年の映画『ジーグフェルド・フォリーズ』には、オリジナルのフォリーズのメンバーとして唯一出演した。

バート・ウィリアムズ

黒人のミンストレルパフォーマーであり、コメディアン、歌手、俳優。映画で初めて主演を務めた最初の黒人俳優であり、ニューヨークのフリーメーソンに加入することを許された最初の黒人でもあった。前述のノラ・ベイズと同じほどの人気歌手で、今の価値にすると億単位のギャラを稼いでいたが、人種的な問題で俳優組合などに参加が許されていなかった。後述のW.C.フィールズは、ウィリアムズを「私が見た中で最も面白く、私が知る中で最も悲しい男」と評した。

アネット・ケラーマン

オーストラリア出身のプロスイマーで、シンクロナイズドスイミングの普及に貢献した。ワンピース水着を身に着けた最初期の女性。また、映画にヌードで出た最初のメジャー女優。

W.C.フィールズ

コメディアン、ジャグラー、役者、作家。初期のディズニーは長編アニメ映画を作る前に実際の役者でライブフィルムを作っていたが、フィールズは『不思議の国のアリス』のライブフィルムでハンプティ・ダンプティを演じた。

マリオン・デイヴィス

俳優、脚本家、プロデューサー。フォリーズに出演している時、新聞王と呼ばれたウイリアム・ランドルフ・ハーストと出会い、愛人となる。ハーストは映画『市民ケーン』のモデルであり、映画に出て来るケーンの2番目の妻スーザンは、マリオンがモデルとなっている。


余談ですが、NHKに『映像の世紀』という番組がありますが、その中で”Overthere”の話や、バート・ウィリアムズの紹介がなされていました。特にバート・ウィリアムズが記録された白黒の映像を見た時の何とも言えない物悲しい印象や、俳優組合に入れなかったせいでストライキの事を知らず、劇場へ出勤したら誰もいなかったという逸話が今も心に残っています。番組中で流されたウィリアムズの代表曲"Nobody"の歌詞はリンクしたウィキで見る事が出来ますが、どれだけ人気者になっても社会の一員として看做されないという現実は、想像もつかない圧倒的な孤独だった事と思います。

まだまだ紹介したい出演者がいますので、まだしばらくこの羅列形式の記事は続きそうです。

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