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子供のことを、、、。

 子育て支援についての、いろいろな意見を動画や国会中継でみてみている。

  年齢別のアプローチが必要、結婚はいずれするだろうという適齢期と呼ばれる年代の言葉、お金がないのだから、お金をあげたら言いと言う人や、地方の考え方を変えることが必要という人など、、、どれもある視点からみたら筋は通ってるが、ある視点からみるとなんだかなぁと思えるものばかりで、、、。

 総合的に視る力や、なぜ結婚しない、生まない選択をするかとか、そこに切り込む人の説明はわかりやすいなぁと思いながらも、個人の価値観が多様化する時代での議論が大変なんだと思いながら、きいていた。

 30才から40歳の1人として、周りは不妊治療を開始している人ばかりだが、そんなことは公に言わないので、周りからは子供を持たない選択をしている人と思われ、仕事のノルマや責任からさらに、子供が作れない時間と体力が削られていたような気がする。
 私の場合は、これ以上タイムロスは無理という気持ちと、仕事はやりがいは大きいが、この先に仕事以外の楽しみや生き甲斐があるのかと考えたときに、、、怖くなった。

 人生かけて学び、仕事をこなして、周りからはありがとうと言われたりしているが、自分が体調を崩したときに心だけでもそばにいてくれる存在はだれなんだろう、、、病気になればまず、仕事に支障がでるはずだし、年齢的にも仕事ができなくなるだろう。

 そして、入退院が始まれば次第に仕事から離れないといけないだろうし、、、よくきく話しは、仕事仲間となかがよかったと楽しそうに語るが、その仲間ともかなり前に縁が薄れていることが多い。
 親族のことになるとお金があるかや、昔からの付き合いによって最期だけ知らせてなんていうことも多く、、、こんなにも孤独を抱え込みながら生きていかなければいけないのかと、若い時の自分は不安が尽きなかった。

そして、結論が仕事よりもまずは、自分が家族に対して縁をつなぎ合わせたいと思い、それは両親の今後にも繋がると思うことになったからだ。

 すると、不思議なことに自分の願い以上の結果がもたらされてきて、1人目を妊娠、出産、復職とすることができた。
 ただ、復職後は年休は子供と自分の体調不良で使いきるなど、子供がいないときには余りすぎていたものが足りないということになった。

 このときに、両親が近くにいたら、体調不良ですぐ診てもらえて、保育園に病児育児が常備されていたら、夫が休みやすく私じゃなくても良ければ、家事代行サービスに家事を依頼してからだを休めたら、、、。

 核家族、ワンオペ育児を想定した支援があれば、まずは子供を産んで育てられる環境が出来上がるのだろうと、親目線からは考えていた。

 だが、子供の目線になるとどうなのか? 
 具合の悪いときの子供の様子をみていると、母を連呼しているし、元気になってくるときも、母の時と父の時には甘えかたが違うのはよくわかる。
 母のときは、はしゃいでいるが、父のときは寝てることが多いらしい。。。だから、手がかからないと夫は話すが、それはちょっと、、、我慢してるのではないか?と思ってしまう。

 たくさんの大人に構ってもらえるのは、子供にとっては社会性や忍耐力が与えられる環境でもあるが、それは適切な保育を受ける場面だけだと言える。

 親として、子供に教えてない言葉や仕草をしたときには、どうしてそんなことを?と質問したりして、子供が話せる時間を作るようにしている。
 いいなとおもうものは、親が受け入れるようにしているし、受け入れられたと感じた子供の笑顔はとても楽しいことが伝わってくる。

 これから、二度目の産休に入るが、上の子にも引き続き時間を作れるように、夫にも協力してもらわなければならない。
 子育ては1人ではなく、夫婦としてやらないと、、、今度は夫の家事参加について書いていきたい。

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