見出し画像

ブスはフェミニストになれないのか?

私は太っている。

数字で言えば、自分と同じ身長の女性の平均体重プラス20kgとちょっとぐらい。

デリカシーという言葉が彼女の辞書に存在しない姉に言わせると「いじられへんレベルのデブ」らしい。

小学校4年生の頃、私の健康基準曲線のグラフは「ふつう」から「太っている」に評価を変えて、そこからずっと、私は太っている。



中学生になって、お笑い芸人の女の人が自分が太っていることをネタにして、周りの人たちが笑っているのを見て、「ああ、こうすれば太ったままでいることが許されるのか」ということを悟り、同じように自分を「デブ」と呼ぶようになった。


「バスケ部の○○めっちゃイケメン」「女バレの誰々と男バスの誰々が一緒に帰ってた」

まるで一斉に呪いにかかってしまったみたいに、みんな揃って異性の話しかできなくなってしまったのは、高校一年生の頃だった。

でも、私は「女を捨てた女」だったから、自分がそんな話題の中心になることなんて想像もしなかったし、自分とは関係のない、全く別の世界の話だった。

自分に関係のない噂話をたくさんして、盛り上がるのは楽しかった。

それが自分の生きている範囲の世界で起こっている現実ではなかったから。周りの友達もみんな恋愛とは無縁だったから。



「あの男バスの誰々と2組のなになにちゃんはエッチしてるらしい」

「ダンス部の誰々がDチュー(※1)したらしい」

男子たちの声が低くなって、女子たちが色付きリップを持ち歩くようになるように、だんだん噂話が生々しくなっていった。

小学校の頃からの大親友が初めてのキスを経験した。

クラスメイトの男子が誕生日にコンドームをもらっていた。

噂話の世界で起きていたことが、現実なのかもしれないと気づき始めたのは、高校2年生のことだった。


顔の綺麗なジャニーズの男の子と、目が大きくて可愛い新人女優が出ている少女マンガ原作の恋愛映画を見に行こう、とジャニーズファンの友達に誘われても、そのお金が無駄な気がして、断るようになった。

現実世界では、「デブ」で「ブス」なわたしのところには、白馬の王子様は迎えに来てくれないことに気づいていたから。


でもそれなりに高校生活は楽しかった。

「おもろい」私をみんなが評価してくれて、「おもろい」友達に囲まれて、文化祭の真っ最中にぎゃーぎゃー言いながら空き教室で組体操して、毎日大騒ぎして、それがわたしの「社会」だったから。



それなりの受験勉強をして、関西ではそれなりの成績の大学に進学したわたしは、生まれて初めて地元を出て、自分とは全く違う環境で、全く違う場所で育った人たちと初めて出会った。


「ブス」で「デブ」だけど「おもろい」わたしは、スペイン語の授業で出会った女の子に誘われるまま、運動系サークルに所属した。

「一女」(※2)という称号を与えられた18歳のわたし。

「〇〇ちゃんは可愛いから帰っていいけど、お前は飲めよ。」と平気で三女の先輩に言い放つ四男の先輩。

「もう〜ひどい〜」とか言いながら、されるがままになんだかわからないけど強そうなお酒を飲む先輩。

「ブスだから」ひどい扱いをしていいと思っている人がこの世に存在することを知った。

もちろん今思い返すと、その環境が異常だったと理解できるけど、18歳だったわたしにはそれが全てだった。

このまま「ブス」のうえ「デブ」のわたしが、ここにいたら、大変なことになってしまうのではないかとある種の恐怖を覚えて、逃げるようにそのサークルをやめた。

今考えても人生で一番賢い選択だったと思う。



ツイッターで美容垢と呼ばれる界隈のアカウントがバズるようになり、爆発的にアカウントが増え始めたのもこの頃だった。

人並みに化粧に興味のあったわたしは、情報収集の為にそういったアカウントをフォローするようになった。


タイムラインに並ぶ言葉は、一連のサークルでの出来事で傷ついたわたしの容姿のコンプレックスをより根深いものにするには、十分に過激なものだった。

「ブスに人権ない」

「デブになるぐらいだったら死んだ方がマシ」

「かわいいが全て」

「ダイエットは一番の整形」

「恋愛は見た目が90%」

「女は若いうちが花」

当時のわたしはこんな言葉を鵜呑みにして、本当に自分には人権がないと思思い込んでいた。だって、わたしは、彼女たちが魔女狩りのごとく吊るし上げている、「ブス」で「デブ」な女だったから。


そんなわたしに、大きな転機を作ってくれたのは、ある韓国人の女の子だった。


シェアハウスで出会った私たちは、不思議と気が合って、毎日のように朝から晩まで一緒にいるようになった。

江南駅の女性殺害事件(※3)の直後で、女性たちの間にフェミニズムムーブメントの第一波がおとずれていた当時の韓国。「キムジヨン」が出版されたのもこの頃であったと記憶している。

彼女も、自分をフェミニストと呼ぶ、50%の20代韓国人女性のうちの一人だった。

彼女と出会って、たくさん話をして、フェミニズムという概念を知って、自分の心の奥深くに20年間かけて蓄積してきた地層のようなものが、だんだんと溶かされていくようだった。



「ブス」で「デブ」だから、「おもろいやつ」でいなければいけない。普通の女の子みたいに振舞ってしまえば、誰もわたしに興味を持ってくれない。本当のわたしに、価値なんてない。


自虐することで守っていたと思っていた自分を傷つけていたのは、自分自身の言葉だった。わたしはわたしに、自虐することで呪いをかけ続けていた。



これに気づくことで、生きていくことが楽になった。

フェミニズムが、わたしを救ってくれた。


息を吐くように自虐をしていたわたしにとって、そこから脱却するのはほぼ不可能のようなことだった。

けれど、幸運なことに、本当のわたしを見つけて、認めてくれる、たくさんの素晴らしい人たちに出会って、少しずつではあれど、自分に自信が持てるようになってきていると思う。



22歳の今日、ある女の子が、冗談半分ではあるだろうけど、わたしを「デブ」と呼んだ。

わたしは大笑いして、「知ってる」と一言だけ言った。

彼女が悪気なく口にした言葉は、22歳のわたしにも少し傷をつけた。

けれど、もし18歳のわたしが同じ状況に立たされていたら、もっと深い傷がついて、自己防衛のためにもっとひどい自虐で返していたんじゃないかな。


わたしは、カラオケを歌わせるとロマンスの神様を誰よりも盛り上げることができて、思いやりがあって、メイクが上手で、社会問題に関心があって、本を読むのが好きで、髪がめちゃくちゃ綺麗で、英語と韓国語を話して、人と話すのが上手で、大事な時には寝坊しなくて、2人の姪を世界中の誰よりも可愛がっている。


わたしは、そんなわたしが好きだ。



悩める18歳のわたしへ。


※1 田舎の中学生はディープキスのことをDチューと呼びます。

※2 一回生の女の子のこと。もちろん四男は四回生の男性のこと。飲みサーではありがちな称号。

※3 ”江南駅女性殺害事件は2016年5月17日、当時23歳だったある女性が江南駅付近の商店街の男女共用トイレで、男性が振り回した凶器で刺され死亡した事件。”  上記記事より抜粋




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?