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【言語化】エッセイ書くときに何を考えているか【とは】

初めてのエッセイ集『産む気もないのに生理かよ!』の発売から一ヶ月ちょっと経ちました。早いような長かったような。

感想もたくさんいただいていて、とくに多いのが『こんなに言語化してくれてるのすごい』『言語化が上手い』などの、産む産まない問題についての言語化をよくやってくれた、みたいなお声です(自分で書くと照れるね)。




「言語化」って流行語にもなってたし、どうやったら言語化が上手になるかを説く本などもたくさん出てて、世はまさに大言語化時代……みんな「モヤモヤ」をなんかいい感じに言い表したいのですね。

私はどこかで文章を習ったわけではなく、言語化するための本とか買って勉強したわけでもなく、幼い頃から親や親戚に「あんたはよくそうやってちょうどいい言葉がすぐ出てくるわね」と、そこだけは明確に褒められていたので、たぶんもともと得意寄りなのでしょう。
だから「どうやって言語化するか」みたいなことは全く説明できないわけです。全てノリと勢いで書いております。(言語化するための方法を本とかで体系的にまとめて説明できる人は本当にすごい)

ただ、あまりに言語化の部分について褒めてもらえて嬉しいので、改めて自分が文章書くときにどうやって言葉を考えているのかを自分でも整理してみることにしました。

私はなんの専門家でもないので、根拠もなければフィーリング話が多くなりそうな気もしますが、とくに「モヤモヤ」を言葉で言い表したい!という練習の参考などになったらいいなと思います!

ちなみに私は「言語化する方法」系の本を本当に一冊も読んだことがないので、自分が野生の勘で体得してきたことがそういう本の内容とどれくらい違うのか・同じなのかがすごく気になっている。後日なんかしら読んでみようかな。

①「モヤモヤ」という言葉を使うのをやめる

いきなりちょっと難しいかもなのですが、これは明確に意識しています。話し言葉でやむを得ず使うこともありますが、なるべく「モヤモヤ」とは言わないようにしている。なぜなら「モヤモヤ」で片付けた瞬間にその先を考えるのを辞めてしまうからです。
「モヤモヤ」が便利すぎるんですよね。なんか言ってるようで言ってない。この状況が不快であるということしか自分でもわかってない。「モヤモヤする」と言いかけたそのときは言語化チャンスでもあります。そのモヤモヤを一旦留保して、流さずに考えてみましょう。

「モヤモヤ」で片付けずに、何がどう自分の感情に影響を及ぼしているのかをしつこく考えることが、言語化第一歩だと思うし、逆にこれを怠るとどんどん言葉にする筋力が弱っていく気がする。言語化は筋トレ!

②本当にそうかな?と疑う

たとえば誰かに言われた言葉にモヤモヤしたとします。そのとき、「Aさんに◯◯って言われてモヤモヤした」と思うんだけど、本当にそうなんだっけ?と1回疑ってみるのもよくやっています。もはや思考の癖なので意識すらしてないですが、よく考えたらそうしてるなと思います。

こういうときってAさんを「モヤること言ってくる嫌な奴」だと思いがちなんですが、それは単に悪口を言われて嫌だったのか、何かの核心を突かれて内心ギクッとして、でもそれを自覚したくないから「Aさんが嫌なことを言ってきた」ということにしておきたいのか、などなど、自分が自分に嘘をついたり隠し事をしようとしてる場合も結構あると思ってます。

ここで自分の汚いところや自覚したくないところを見過ごすと、言語化チャンスを逃します。自分が自分についている嘘を見過ごすと、どんなに言葉を尽くしても「なんか薄っぺらい」「なんか嘘っぽい」という印象は拭えないんですよね。

事象に対して受けた第一印象を手癖で「Aさんに嫌なこと言われた」とするのではなく、事象によって動いた自分の内面をもう一歩掘り下げてみると良い気がします。

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