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『阿修羅のごとく』と昭和への忌避感と令和の私達がなくしたものの話
足が軽く肉離れしてしまってレッスンに行けないので、Netflixの『阿修羅のごとく』をようやく見てる。
いやお芝居も映像も脚本も素晴らしいのだけど、昭和の男尊女卑がほんとに空気のように存在する感じが「ウッ」となってしまうんだよな…(このドラマの本質は全然そこじゃねえというのはわかっているものの)
しかしそれは私が人間に「正しくあれ」と念じすぎ、人の正しくなさを許容しなすぎな傾向があるせいもあるでしょう。「浮気するような奴とは別れるべき」「男がいなくても自分で食っていけるように女は職を得るべき」「腹の探りあいをしてないで夫婦や家族で話し合うべき」などなどなど。それができないから人生は複雑になり、ドラマが生まれるんだけどもねえ。最近は自分のこの正論をすぐ持ってこようとする感じに自ら辟易気味でもあります。
ハラスメントは罰されて、女は働いて賃金を得るようになり男も家事育児をするようになる。世の中はたしかに進歩しているし昭和に生まれなくてよかったと心底思うのだが、人の汚い部分を見ないようにしたり受け流したりして、人間の複雑さを受け入れるのは昔の人のほうが上手だったのかもしれない。(「見ぬこと清し」でさまざまな痛みが封殺されてきたこともまた事実だと思うけど)(昔はよかった、セクハラパワハラくらいでギャーギャー騒ぐな、みたいなのは全然違うけど)
社会のしくみが少しずつでも正しい方に向かっているなら、それに合わせて人間も正しい在り方を覚えなければならないんだろうが、そう簡単に人類は進化しない。全然ずっと間違えてる。少しでも進んだ時代のマシな生き物になるために、せめて正しい謝り方と許し方を全員で覚えなければならないな、などと思う。
…てか待って、これ書きながら3話まで見てたらすごく面白く感じられてきたな…!?!?なんでだろう。
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