#20 模試で英語満点で慶應法3位を獲得
後期になると、明らかにクラスの空気も変わり、
ピリッとしてきました。
前期までは現役時の敗北を引きずって、
あまり本気でなかった人もいた雰囲気でしたが、
後期になると流石にみんな覚悟の決まり方が違ってました。
自分も浪人したからには、早稲田より上の慶應になんとしても受からなければという思いが強く、
「今回受験に失敗したら、今度こそ○ぬしかない」と本気で思ってました。
「浪人して早稲田すら受からなかったら、もう人間じゃない」
「最低でも絶対早稲田は受かる」
と本当に背水の陣のつもりで、
覚悟を決めてました。
成績優秀者だらけのクラス
うちのクラスは、模試のたびに1/3は成績優秀者として模試の冊子に載ってました。
(全国でトップ何名まで載るアレです)
一方自分は国語の成績が悪かったせいで、
一回も載れず仕舞いでした。
ちなみに、30名くらいあるクラスの英語の平均偏差値は
なんと驚異の67でした。
自分は71くらいあったので超えてはいましたが、
あまりの高さにビビりました。
全国でもトップクラスの高さのクラスだったようです。
早大&慶大プレ模試
一番良い成績を残したいこの2大模試を秋頃に受けました。
(早大は夏だったかも)
この頃は毎週のように模試を受けており、
マーク模試や記述模試の成績は良かったため、
この2つもその勢いで受けました。
結果どちらも惨敗でした。
どちらも偏差値は55程度でした。
このときは本当に焦りました。
テストの内容も普通に難しかったのですが、
最低でも60は超えていると思っていたからです。
ここからさらに気合を入れて勉強に打ち込みました。
英語満点と慶應法学部3位
マーク模試で
なんと英語200点を取れました。
自己採点のとき,
全て正解していたので、思わず手が震えて、
「やったぁぁぁぁああ!!!」
と自室で叫んでしまいました笑
おまけに日本史も2問間違いで、
94点でした。
(国語は130点で爆死でした…)
今思えば、このあと続く2浪目を含め、
3年間でこの日が一番喜んだ日になりました。
模試の結果は下記のとおりです。
英語はもちろん全国1位。
慶應法は英語と地歴でしか判定がでないので、
志願者の中でなんと3位でした!
もう終盤の模試だったので、
「さすがにこれはもう勝った!」
「来年からは慶應ボーイだ!!」
と浮かれちゃいました。
今まで模試でここまでの成績は出したことなかったので、素直に嬉しかったです。
友達にも
「すげぇ!!」と言われ、
本当にこの日はテンションが高く、
初めて浪人して良かったと思いました。
クラスの友達もさらに増え
普段から常に成績優秀者に名を連ねていた、
同じクラスのN崎くんとも友達になり、
彼も自分と同じ早稲田の法学部志望者でした。
お互い近況を話したり、鼓舞しあったりしたのですが、
本当にいい人でもっと早く声を掛ければ良かったと後悔しました。
(現役の時も終盤に塾の友達が一気に増えて楽しかったのですが、
もっと早く仲良くなれてたらと何度も思いました。)
ちなみに、結果を先に書くと
彼は早稲田(法)に合格してました。
冬期講習~センター試験(現大学共通テスト)まで
英語は毎日の音読の効果+英文解釈教室による構文への理解がすさまじく、
語彙力なども増えたことにより、
絶対的な自信科目になっていました。
国語は、裏技的な古い参考書を読んで
選択肢の内容だけで正答を絞る方法まで会得し、
古文と漢文も現役時よりはやり込みました。
日本史は、現役時のノートの暗唱+問題集を毎日解き続け、
こちらも相変わらずかなりの自信科目でした。
過去問は、慶應法のめちゃくちゃ難しい年代以外は合格点を取れ、
難しかったときのものは相当復習して、
英語は構文もすべて分析して、
何が来ても大丈夫なようにまで習熟度を上げました。
小論文も何度も書き、
60点以下を取ることはなくなってました。
最後まで毎日個人的に先生に添削をしてもらいに行き、
どんなテーマが来ても70点以上は取れる内容まで仕上げ、
8テーマ分の全ての内容を暗唱しきり、
何が来ても全て内容を書き出すくらいまで覚えきりました。
もうここまで来ると、
受かる気しかしておらず、
「早く試験日になってくれ!!」
という楽しみでしかたないという状態にまでなってました。
つづく