【009】街の底
お話を伺った相手:四日市さん
この企画を始める前、偶然会ったばるぼらさんに「インタビューをするにあたっての準備」について色々お聞きする機会がありました。その際「読みたいから四日市にインタビューしてくださいよ」と何度か言われ、確かに四日市さんは現場でよく見かけるけど、根がパンクスぽいしエッジが効きすぎてるから、自分がある程度回数を経てからじゃないとお願いできないな…と躊躇していたのですが、「そろそろ良いのでは?」とお話を聞きに行ってきました。
やっぱりめちゃくちゃ面白かった。面白かったけど調子に乗って聞きすぎて書き起こしが20000字を越えてしまった。それを泣く泣く7000字弱まで短縮しました。めちゃくちゃカットしてこの分量。向井秀徳みたいな語り口、面白いけど脳がくらくらする。
「音楽って全然興味なかったのよ」
「うちは音楽があるような家じゃなかったから」
「だけどおれは『CDを聴く』ていう行為をやりたくて。父親が持ってたCDをひっぱり出して。たしかかぐや姫だったと思う。アコースティックギターの音しかしてこないし、歌の感じもテレビでやってるような音楽とは違った」
「当時はEvery Little ThingやB’zなんですよ。試聴媒体もテレビ。音楽ってそういうものだと思っていたから、フォークソングは『これなんか全然違うな』と思って。違う音楽をCDで聴いている。満足感を得たよね」
「父親に他にないかって聞いたら出してきてくれたのがフォークのオムニバスで、三上寛や友川カズキが入っていた。たぶんURC関係の音源だったんだと思う。それでエンケンの『カレーライス』を聞いて」
「J-POPにしても四畳半フォークにしても、耳に入るような曲はだいたい恋愛のことを歌ってるじゃないですか。音楽ってものはだいたい恋愛を歌うものだと思っていたところに、なんかカレーのこと歌ってるの。これええの?やたら静かな曲だし。『ついでに自分の手も切って』とか歌ってて、こんなものがあるんだ、と」
「そのコンピになぜか頭脳警察が入ってたんですよ。父親にこの人たちは何なのかときいたら『これはレコードが発売禁止になった人達だ』『こういうのはインディーズって呼ぶんだ』と。なんで父親がそんなの持っていたのかは謎なんですけど、こういう恋愛ではない音楽、ちょっと違う音楽をやっている人達、発禁になるような音楽、これはインディーズっていうジャンルなんだ!」
「だからインディーズのことを自主制作の音楽ではなくロックとかポップスみたいなジャンルのひとつだと思っていた。でもインディーズは、どうも売られてないらしい、手に入るお店が限られてるらしい。田舎だからまずCD屋がないんですけど、インディーズは普通のCD屋にも売られていない、ってんで、じゃあインターネットにお任せですよ。ただ当時はまだGoogleなんてないから、ヤフーとか地域情報のサイトを見て」
「それで、インディーズの取り扱いがある店っていうのは、隣町どころじゃない、割と遠くのお店に売られているっぽくて。旅行に出る気分で。『買いに行くか…インディーズを…』」
「店に入ったらインディーズがあるじゃないですか。でもね、何もわからない。知ってるものがない。そもそもさ、メロコアの書体とか読めないんですよ。ぐちゃぐちゃに崩されている、そういうの読めないわけ。ミクスチャーとかもあったけど、ああいうグラフィティっぽいのも読めない。で、その中で『極東最前線』ていうのはすごい安心感があるわな」
「それで『このイースタンユースっていいじゃん』。その時に良かったなと思ったの、イースタン、bloodthirsty butchers、NAHT、怒髪天、ベタに極東の人達」
「転勤族だったんでころころ引っ越すわけですよ。少し都会に引っ越したらインディーズを扱っているお店があったのね。それが『NGOO USELESS SOUNDPIT』っていうんですけど、そのレコード屋さんが、すごかったですね。『インディーズ』どころか、一般的に『レコード屋』って言われて想像されるお店だった。海外のレコード、12インチから7インチがジャンル分けされて売られていて、百円の昭和歌謡の入った箱とか、zineが置いてあって」
「そこでCopass Grinderzの音源を買ったんですよ、ブッチャーズの吉村さんが参加していたのと、非売品って書いてあったんですよね。え?なんかの間違いかなこれ、でもレアっぽい……いいのかな、買っても、みたいな感じで。サンプル盤の中古だったんですけどね」
「そのNGOO USELESS SOUNDPITの店長はバンドマンでU.G MANとか呼んでましたね。そういう人がやってるレコ屋だから、USハードコアもヒップホップもあるし、日本のインディーズや昭和歌謡、エレクトロニカや音響系とかも置いてたと思う。非常にね、非常に『高円寺円盤』的な店だ。パンクスがやってる『円盤』だ」
「自主製作音楽の世界っていうものをそこで知ったわけです。でインディーズっていうのはざっくりこういう音楽のことだと、その頃やっとわかった」
「どうやらインディーズはおおまかに言ってパンクが多い。イースタンユースもパンクらしい。じゃあ『パンクの王様、誰なんだろう』と思って調べてみたらG.I.S.M.がいたわけですよ」
「当時G.I.S.M.は聴けない音楽だった。バンドは活動停止してるし音源はレアだし、本当に聴けなかったんですよ。当然youtubeなんてないし。その頃には色んなパンク、ハードコア聴いてるわけだけども、ある日、G.I.S.M.が凍結解除、活動再開してね。これまで伝説しか知らなかったバンド・G.I.S.M.の新譜が出る、これであの『パンクの王様』を聴くことが出来るんだと思いました。それが『SoniCRIME TheRapy』ですね。それはもう、うやうやしく買いましたよ。正座して聴きました。聴きながらウオーみたいなの全くない、傾聴してる。その時、これはすごいと思ったんだけど同時に『もういらない』って。もうパンクはいらないな、これでいいや、と思った。ジャパコアという価値観の中でこれ以上のものはないな、と。それでジャパコアにはあんまり興味なくなっちゃったんだよね。それまではけっこう熱心に聴いてたんだけど、全くそうではなくなって。まあ結局聴き続けてはいるんですけど」
「NGOO USELESS SOUNDPITはECD『失点 in the park』が割とリアルタイムに入荷してて、世間が盛り上がる前から入荷してた。それがヒップホップとの出会いでした。BUDDHA BRANDとかその後だからヒップホップはかなり遅いです」
「正確に言うと『DEEP IMPACT』とか好きだったのね、ラッパ我リヤとか。でもJ-POPと思って聞いてて。テレビで見たしね。『失点 in the park』は『ヒップホップ』と出会ったって思った」
「ジャズっぽい音楽はまだレコ屋に行くようになる前に、ラジオ、ラジオを聴いてみたい、と。夜中にラジオを聴いてる、勉強机の明かりだけつけてね。それはかっこいいじゃないかという気持ちがあった。東海地方にはZIP-FMというラジオ局があって、それがいい音で入った。当時のZIP-FMはだいたいユーロビートしか流してなかった。ユーロビートの記憶がある。そんな中でスカパラが流れてきて。『戦場に捧げるメロディー』でした。青木さんが亡くなられた時の追悼曲なんだけど『あら、いいじゃない?』と。恋愛のことを歌っている音楽ともちょっと違うし、なんかブラスバンドみたいなのにかっこいいじゃない、ラッパが鳴ってて。ラッパってクラシックのイメージだから。『違う音楽だな』と」
「これは『スカ』という音楽らしい。でも『戦場に捧げるメロディ』ってスカじゃないんですよ。スカだと思ってた。そういう勘違いをしてたからスカコアは全然スカじゃないなって。もう少しオーセンティックなスカをやっているOi-SKALL MATESとかBlue Beat Playersを聞くようになって、おれの好きなスカだ〜、と思っていたら、どうもスカというのはもっと早いものだったらしい、というのがだんだん、だんだん世界が分かってくる。そういうラッパのいるバンド好きの延長でジャズを聞くようになった」
「ある時、近くにタワレコが出来たんですよ。近くっていっても車なんですけど。で、タワレコに通ってたらジャズコーナーに再発盤のコーナーがあって、そこに菊地成孔がコメントを寄せている。このナルヨシって人はジャズをやってて、インテリでサブカルっぽい。そいつがなんかヤバい音楽を紹介している。でもなぜかDCPRGは置いてなかったんですよ。だから菊地成孔がどんな音楽をやっているのかは知らなかった。でもこいつはマイルスを尊敬しているらしい。なら聴くか。そういう感じでつらつらとジャズを聴いてました。知らなかっただけで『革命京劇』は持ってたんですけど。最初に菊地成孔という人間を意識して聴いたのは東京ザヴィヌルバッハ。好きだな、ザヴィヌルバッハ」
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「おれのいた田舎って例えば、漫画が好きな子がいる。でも漫画が好きなのって稀人(まれびと)だったんですよ。やはり本屋がないので、漫画を読まないんですよ。あるにはあるけど、子どもの移動距離は狭いんで。(週刊少年)ジャンプはお兄ちゃんとかお父さんが読んでる家庭の子がおさがりを読んだりしてたかなあ。おれはいまだにジャンプを買ったことがないですね」
「漫画好きのやつらが話してたんですけど『この世には”アフタヌーン”というめちゃくちゃマニアックな漫画雑誌がある』。”アフタヌーン”はとんでもない、すげえディープな、真の漫画好きを喜ばせる漫画がたくさん載ってるんだ、そして今、真の漫画好きの間で非常にホットな『げんしけん』ていう漫画があるらしくて、それは漫画好きを心から喜ばせるものらしいんだ、みたいな。そして『アフタヌーン』は名古屋へ行かないと買えない、おれちょっとバイト代出たから名古屋行ってくるわ、買ってくるわ、みんなに読ませてあげるから、絶対に手に入れてくるから!みたいな。そういう話をしていたレベル」
「そういう世界観だったから当時の自分には本屋にいく習慣自体がないんですよね。何か情報がほしいと思って本屋にいく発想にならない。でも地元にヴィレッジヴァンガードがあることに気付くんですよ。まだ全国展開する前の店舗。夢の国でしたよね。でも雑誌知識ゼロの状態でいきなりSTUDIO VOICEとかQuick Japanとか並べられても何の雑誌なのか分かんない。カルチャー誌ってのがよくわかってないんですよね。インディーズイシューとかインディーズマガジンは音楽雑誌なんだってわかるけど。だからSTUDIO VOICEなんかたまに読んでたけど。毎月買って情報を張るような対象ではなかった」
「その後インターネットはWinMXがきてWinnyとか、音楽専門のP2P、犯罪だ、Soulseek。Soulseekは夢のシステムだよ、Soulseekにはすべての音楽があった。INUの牛若丸(なめとったらどついたるぞ!)とか怒髪天の怒髪犬とか、イースタンユースのファーストとか、そういうのがなぜかあった。当時は貴重性もあまりわかってなかったけど誰かがわざわざレコードやテープから録音したものをP2Pに放流していたんですよ。CDをリッピングしてアップするような手間ではないですよ。当時は気にしなかったけど、レアにしても程度がおかしくないか?そもそも欲しがる人数も知っている人数も少なすぎるのでは?ていうものが結構あった」
「当時(音楽は)ネットで買えない。ネットで買えないし店舗でも買えないんだから音楽をたくさん聴こうと思ったら、違法ダウンロードしかないんですよ。違法か、素人がアップしているものか。New OrderとかJoy Divisionとか、おれ最初に聴いたの完全に違法ダウンロードです。iTunesとかもっとすごいあと。そして黒船Amazonが到来する。たくさんのカタログがあるっていうのが革命だった。遠くの店舗、違法ダウンロード、通信販売、という順序でした。自分の田舎の音楽流通は」
「(tofubeatsは)たぶんtofubeatsという言葉を初めて活字にしたのはおれじゃないか。見本誌がもらえなかったから手元にないんだけど、なんかの雑誌。生身のtofubeatsと初めて会ったのはたぶん京都spicaの『セプテンバー9月』。東京でルームシェアしてたやつらとバンを借りて京都までtomadを届けたんだけど、途中でtofubeatsも拾ったのが最初な気がする。アーティスト活動よりも友達としての記憶のほうが多い。tofubeatsは歌詞がいい。いい歌詞がピッタリのメロディでやってくるから記憶に残る。LOST DECADEの4人の中で一番ポップだと思う」
「(ハイパーポップとか)好きな子たちって昔だったらバンドやってただろうな。(昔なら)パンクやってたと思うんだよ。だから今『クラブ流行ってる』みたいなこと言ってるけど、おれの見方は全然違ってて、みんな『ターンテーブルとマイクを使ってクラブでパンクをやってる』と思うんですよ。今すごくダンスミュージックが敗北していると思うんです。逆にパンクはすごい多様化している。あれ、クラブじゃないんだよ。ライブハウスだと思ってる。全員ターンテーブルとマイクでライブハウスしてる。だから今、ライブハウスの時代なんだと思うよ。ダンスミュージックはめちゃくちゃ敗北してる」
「やっぱね、ダンスミュージックが敗北している現在、ダンスミュージックのDJをやっている現場を見るとうれしくなるんです。Mina & Bryte(来日公演)の時のオカダダは『これってダンスミュージック!』って思ったね」
「クラブっておれはなんかよくわからないところへ行っているつもりでいて、長くクラブ通いを続けている人はプレイヤー側になるしプレイヤー同士でつるむようになるじゃないですか。そうでなくても特定の決まった界隈にずっといるようになる。就職っぽい。就職して会社の人や取引先の人や業界の人との付き合いが増える、そういう、ある共同体に所属したという感じがする。洗練はそこから始まるんだけど、おれはその手前の『よくわからない人達がいっぱいいる状態』にあるシーンですか、初期のマルチネとか、それを観に行くのが好きなんですよ。就職してないやつら、まだ方向性が定まらないぶらぶらしてるやつらがうじゃうじゃ居る所って面白い」
(クラブの値段が上がっている話)
「気楽に行きたいな。3000円とか払っちゃうと一晩いなきゃって思っちゃうし、いなきゃなー、って思うと一気につらくなってくる。もったいない感が出ちゃうといやなんですよ。ぶらっと行っていい気分になって帰る。そういうクラビングがしたい」
「ライブはそれでもいいですよ。観ないと!みたいな感じで行くじゃないですか。それもいいんだけど、それはライブだから。一晩もライブを観るものではないんで」
「でも真逆のことを言うんですけど、つらい現場が好き。そういう現場を体験したい。RAWLIFEはつらかったなー。本当にいい思い出なんですけど、その時その瞬間はとにかくつらい、しんどいと思ってた。でも今は良さしか残ってない。終わって消えてなくなると、いい思い出になるじゃないですか」
「とはいえ、学生の頃は最初のワンドリンクで最後までみたいなのやってたけどさ、今はそんなガッツもないんで、飲みたいしね。だからどこまで(クラブに)通い続けるかはわからないね」
*
(ブラジルに行ってきた話)「ブラジルのクラブは機能としてキャバクラなんですよ。女の子にお酒を奢って、女の子にバックが入って、みたいな。思っていたかっこいいクラブじゃないっていう体験があった。ファンキの立ち位置もおもしろかった」
「居酒屋から爆音が聞こえるの。中にサンババンドが居る。スピーカーではなく生音でものすごいボリュームで音を出してる。それで客寄せしてるのよ。これがサウンドシステムか、と」
「あと路上にブラスバンドが居る。若者が何人が歩いてきてそこでサックスとか吹き始めて演奏してるなと思ったら、どんどん人が増えてきて、物売りのおっさんが来てね、自発的な酒盛りが始まって、レイブ会場が出現するの。ファンクとか、流行りのEDMを(金管で)吹いてみたり、そういうのがいて、これだけ音楽が身近な世界って美しいと思ったね。初めてライブハウスやクラブへ行った時と同じぐらい経験値がない体験」
「(公園とDJブースと公的空間)ニューヨークの『The Lot Radio』とか、コミュニケーションスペースになってて、クラブっぽいのにクラブじゃない。こういうのに行くと経験値ゼロに戻れてすごくおもしろいし、カオスに見えるんだよね、わからないから。自分、海外経験ってほとんどないんで。海外のクラブとか音楽の現場に行くっていうのをやると、無限にね、おもろいものがある。まだまだやっていける」
メキシコとかブラジルの話はもっと面白かったのですが、世の中にはインターネットに書けないこともあるのでそこは削りました。たいへん楽しかったです。どうか脳と身体を健康に長生きしてほしい。そしてまたおもしろい話を聞かせてほしい。ありがとうございました!
(2024年3月某日・メキシコ料理店にて)