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家系ラーメン吉村家が新杉田駅近くにあった頃

この前、横浜家系ラーメン発祥の吉村家とその一番弟子の店杉田家の事を買いたけど、少し後日談があるから、忘れないうちに書いておく

吉村さんが濁声で若い弟子達を叱咤激励、ポカポカやっていると、近くのいかにも銀行員風のキチンとした背広姿のが4人ほどはいっきた
親父がまた何を言うか、期待して待ってたところ、始まった

俺達は、こんなラーメン屋をやってけど、これでも年3億売り上げてる、この近くの土地買って、次の商売始めっからよぅ、云々かんぬん
汁も飲み干したので続きは聞けなかったのは、残念だった、次がつかえてるし、一緒に入った人もあらかた席をたってるし、空のラーメンどんぶりを目の前にして、粘る訳にはいかない、渋々ご馳走さんって言って席を後にした

そして、ある日、職場で吉村家の親父がキャバレーを始めて蝶ネクタイしてたと聞いた、うーむ、この為に融資の前哨戦をやってたのかと、だいぶん後に気がついた

わかってる人は、分かってるのだなあと

我々は、工員服だから、食べ方を教えてくれる、麺は、下に硬いのを入れ、上に柔らかいのを入れてるから、上から食べてもらえれば、良いようにしてあるのだけど、お客さんがわざわざ、最初に麺をひっくり返すんだよねとか
スープにお酢を入れるとさっぱり食べられますよ、お好みでとか、結構親切、丁寧に教えてくれる

この親父は、産業道路の上り線側で、築地とか横浜の市場に乗り込む前のトラック運転手さんたちの腹ごしらえと時間調整を見切って店を出してるのだ、ほんと偉い人って云うのは、こんな人をさすのだなあとしみじみ思ったものだ

そして、キャバレーを開いたと聞いてしばらして、なんと新聞の地方版に売◯防止法で捕まったと書いてあったので、これまた、びっくりした

しばらくして、横浜西口に越して行ってしまった

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